11年目。
お母さんへ
11年目。
51歳になるね。39歳だったのにね。
私も27歳になるね。15歳だったのにね。
この1年はたぶん、
22歳頃くらいに辛い年だった。
9月末でダブルワークをやめて
10月から人生で初めて正社員になったけど
夕方17時から翌日朝6~7時あたりまでの仕事。
上からは毎日怒鳴られ、無視され、罵倒され、
下からは舐められ、馬鹿にされ、裏切られ
味方はいない。庇ってくれる人もいない。
外人勢は優しかったし
慕ってくれる後輩は確かにいた。
けど何かできるわけではない。
1年ちょっと続けてた仕事だったけど
プツッと何かが切れて。
泣きながら彼氏に言った「死にたい」に対して
「辞めたらいい」って言われたので
みやの助けを借りて、シェルターに逃げました。
去年の12月から職場の寮に住んでいたけど
同じ職場の彼氏が家賃を払うなら
私は今まで通り住んでいい、と社長が言ってくれて
私は1週間でシェルターを出ることができ
彼氏が家賃を払ってくれているので
今も寮に住むことができています。
2月にみやが働いてた
平和通りにあるバーで働き始めたけど
極寒の中長時間のキャッチに加え
店長と合わずどんどん辞めていく子たち。
その時仲良かった子たちと上手くいかなくなり、
仕事も上手くいかず、
お金が無いのに出勤めっちゃ減らされたり
彼氏とも喧嘩ばっかりで
前職の上司たちが私がキャッチしてる前を
わざと通りかかったりして
その度パニック起こして過呼吸なりかけ、
色んなことが重なりストレスがかかりすぎた結果
初めてのOD+飲酒でパキって気付いた時には
左腕に一生消えない傷がたくさんできていました。
目の前にはいつの間にか彼氏がいて
いつ来たのか、何を話したのか一切覚えてなくて
後から聞く話によると
記念日だから会いに来たら
血塗れでヘラヘラ笑う私がいたらしい。
逆の立場だったらまじでトラウマになると思う
本当にごめん
その次の日に新しい職を求めて
情報収集を兼ねて飲みに出たら
HAMMOCKでいっちゃんさん
(オーナーしょーごさんの彼女さん)と
一緒に飲みに来てた居酒屋のオーナーさんに
「明日からうちで働くといいよ」って言って貰えて
今もそこで働いています。
いっちゃんさんは前にも
私が職に困ってる時に仕事紹介してくれ
2回も助けてくれて本当に感謝しかないです。
今は優しい人に囲まれて
常連さんにも可愛がられ
今までたくさん飲食やってきたけど
1番働きやすい環境で過ごせてます。
相変わらずお金は無いので
掛け持ち先を探してるけど
新しい環境がものすごくストレスになるので
なかなか先に進めず。
彼氏に家賃代で負担かけてしまっているので
せめて半分でも出せるように少しずつでも頑張る。
彼氏はさっきも書いたけど
職場が同じで私の2つ下だけど元先輩?上司?
支店の店長を任されています。
私がバイト時代は1番話を聞いてくれて
よく笑ってくれて
仕事で困ってたり落ち込んでると
すぐ気付いてフォローに回ってくれる
頼れる人でした。
いつもLINEとか電話で告白する私が
多分初めて直接面と向かって
「好きです」って告白してOK貰えた人です。
初めは元々先輩だから
敬語もさん付けもなかなか抜けなくて
「ゆっきぃさん」ってずっと呼んでたりして
何回も敬語やめて!って言われて
2週間くらいかかってやっと普通に喋れるようになり
呼び方も「ゆー」に変わり
私も「まなちゃん」って呼ばれてたのが「まな」になり
多分今までで1番深い関係を築くのに時間がかかった。
LINEでは話し合えるけど直接はダメ。
酒癖が悪いから飲み会の度に喧嘩。
物に当たるし寝起きは最悪
辛い時に普通に傷付くこと言うし
障がい者や病気に理解が無いというか知識が無いから
寄り添ってくれない(多分寄り添い方を知らないだけ)。
めちゃくちゃムカつくことたくさんあるし
もうやっていけない無理別れたいと思うことも何回もあった。
でもゆーはゆーなりに私のことが大好きで
きっと大事に思ってくれてるはずで
ただ愛情表現が下手くそなだけだって知ってるから。
私は短気だけど同時に限界まで我慢してしまって
爆発してスーパーメンヘラ起こしたりするし
理解能力低いからゆーの言いたいこと上手く理解できなくて
しょっちゅうイライラさせるし
きっとゆーもムカつくことたくさんあるだろうし
別れたいって思われたこともあるかもしれない。
でもどんなに喧嘩しても
ゆーから嫌いとか別れようって言葉は言われたことなくて
それはきっと私が付き合う時に
「冗談でも嫌いとか別れようって言われるのは嫌です」
って伝えたことを守ってくれてるから。
確実に負担になってるはずなのに
27になるのに腕傷だらけにしたりする
めんどくさいバカな私と一緒にいてくれてありがとう
「最近冷たい」って言われるけど
確かにちゃんと言葉にしてなかったね
ごめんね。大好きだよ
いつもありがとう
私は人と関係を上手く築くことが本当に苦手で
なんでかわからないうちに離れていって
昔から常に友達が少なかった。
とうとう海里ともさよならしました。
誰が離れていっても
今まで1番近くで私を支え続けてくれた人。
誰よりも私を理解してくれていた人。
誰よりも理解していたからこそ
誰よりも私を苦しめていた。
多分私も同じように海里を苦しめていた。
大好きだった私の可愛い妹。
「貴方が辛い時に話してくれないのが辛い」
って言ってたけど
私は私の大事な人に
私のせいで辛い思いをして欲しくなくて
私のために時間を使わせるのが申し訳なくて
聞かれないと言えないし
自分から連絡するのも苦手で
それを「必要とされてない」と思わせてしまった。
完全に言い訳だけど
私はここ1年くらいずっと自分のことで精一杯で
他の人の辛いことを一緒に背負う余裕は無かったし
常に病んでたので正常な思考回路も持ち合わせてなかった。
そもそも海里や他の人の言う
「普通」や「大人」ではなかったし
理解できなかったし、なれなかった。
長年苦しめてごめんね。
お金もちゃんと返しきれずでごめん。
それはいつか必ず返すから。
私のいない所で、
振り返らずに幸せになってください。
今まで本当にありがとう
色んな友達が友達じゃなくなり
私のことをよく知らない
浅い関係の人たちばかりが残り
人と距離を詰めるのが早過ぎる私は
誰とも上手くいかなくて
「距離バグ」と言われたりして
ずっと孤独感が消えなくて。
「一言多い」「ムカつく話し方しかできない」
ってよく言われるけど
それを言ってくる人って
普段から私に暴言吐いてくるような人で
私は暴言吐いてるわけじゃないので
見下してる相手から
癪に障ること言われるのが嫌なだけでは?
と最近思ったりもして。
でも多分意思疎通上手くできないのは私の方だし
多分余計なこと言ってるのも確かで
必要最低限のことだけしか喋らない方が
上手くいくんかな、とか
私は傷付くことたくさん言われてるのに
私は何喋ってもダメなんだ、とか
最近ずっとそんなことを考えてる。
どうしたら上手くいくんだろうね。
今が人生で1番友達がいない。
遊んでくれるのは中学時代から仲良いグループ
「おにぎり」の5人のうち、2人だけ。
ひとりはグループから抜け音信不通、
ひとりは仕事で福岡に転勤、
もうひとりはLINEのグループにはいるけどほぼ空気。
あとの2人、きんゆうと玉ちゃんは
コロナで3年くらい会えてなかったけど
今年入ってから月1くらいで3人で遊んでます。
ほぼLINEもしないし
予定立てる時だけとかの
業務連絡みたいなのしかやり取りしないけど
会えば永遠に笑ってるし
どんなネタでも拾ってくれるし
本当に昔から楽で大好き。
まきは7月に帰省するから
その時は4人で遊びたいな。
ユキちゃんとちょねんさんは元気かな。
いつかまた会いたいな
去年6月に家を出て以来
おじぃとは2回?だけ会い
潮穏とは会っていません。
家族ってなんだろう。友達ってなんだろう。
そんなことをずっと考えてる1年でした。
お母さんは仲良くして欲しいだろうけど
会う度にイーさんと復縁しろと言ってくるおじぃや
モラハラを繰り返す潮穏とはもう会いたくないです。
私を追い出しオッパ(イーさん)を匿い続け
オッパは今年の2月末まで居座ってたそうです。
冷静に頭おかしい別れたの去年の4月なのに。
そんなこんなで
二度と実家には戻りません。
ばあちゃんからも今日電話かかってきたけど
ここ数年言うことはほぼ同じで
「夜の仕事するな、早く結婚して子ども産め、家族仲良くしろ」
って内容でした。
もう何年も会ってないし
私のこと全然知らないのに
年に1回くらい思い出したように電話かけてきて
言いたいことだけ一方的にワーッと喋って
満足したら切る。
まじで口出すなら金出してくれ……
本当にほっといてくれ……
家族バラバラでごめんね。
でもお母さんならおじぃの無神経さへのイライラも
ばあちゃんのめんどくささもわかってくれると思う。
潮穏とは仲良くして欲しかっただろうけど
ごめんね。無理っぽい。
いつか私が家庭を持つことが出来たら
私が大事にされなかった分、私が大事にします。
本当は去年のうちに入れたかったんだけど
色々ありすぎて、まあ今もなんだけど
やっと理想通りのデザイン描いてくれる人を見つけ、
イメージぴったりの彫り師さんも見付けたので
右足にお母さんの命日と百合の花と
小さい薔薇のタトゥーを入れました。
お母さんの名前の小百合の百合。
お母さんが好きだった薔薇。
葉っぱはハートっぽくして愛波の愛(ハート)。
デザインした人も彫り師さんも
誰も意識してないと思うけど
茎の最後の部分は波に見えるのがお気に入り。
本当に自己満だけど
色んな想いを込めた一生残るものとして
形にしたかった。
デザイン描いてくれて
それを彫ってくれて
お2人ともありがとうございました。
そういえば今思い出したけど
ばあちゃんに「タトゥーは入れるな」
って言われたことあったなぁ。
まだ中学生くらいのときだったのに
未来予知してたんかな
でもピアスにはなんも言ってこなかったんよね
不思議な人。
ピアス同様タトゥーも増える気がしています。
完成した時の高揚感が
ピアッシング後のそれと一緒でした。
もう誰に何を言われても
好きな事を好きなだけすることにしました。
「親から貰った体に〜」って言う人は絶対いるけど
私のお母さんはハイテンションで
「可愛いじゃん!!!さすが私の娘♥️♥️」
って言うタイプです。絶対そう。
私のお母さんだもん。
なので私は自分ウケを大事にして
好きな見た目を貫きます。
私はこれまで通り
来る者拒まず去るもの追わずに加え
私のことが好きって言ってくれる人を大事にして
逆に私のことが嫌いで傷付けてくる人とは
徹底的に関わらないことにしました。
少しだけ生きやすくなった気がします。
私の根本にあっていつまでも消えない
「死にたい」という希死念慮
「まだ生きたい」
に変えていけるように
今はまだ、難しいけど。
お母さんといつかまた再会できた時に
笑顔でいられるように
私は今日も生きます。
愛してるよ。
愛波