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映画「帆花」

今日見てきた。

ぼくは「障害者の人権」についての研修を受ける機会が多いけど、個人的には障害の有無を「人権」という土俵で語るべきではないと思っているから、ここでぼくの感想を述べてもきっと参考にならないと思うので、支援員の視点で見た感想を。

撮影は4年近くという長期間に渡っているけど、つきっきりでケアされているお母さんの体調と精神面がどうしても気になった。

ご夫妻の結婚式の映像も出てくるけど、当時と比べて頬はこけ、目も険しくなり、昼間のキッチンの隅に映り込む発泡酒の缶や、お祖母ちゃんの手のほうが若く見えるくらいボロボロに荒れた両手。

監督は「日常にある幸せ」とおっしゃっていたけど、カメラを向けられていない日常はきっと、苦悩と葛藤の連続なんだろうな···と胸がいっぱいになる。

帆花さんが成長していくと同時に、周囲も年を取る。残酷だけど、こればかりは抗うことはできず「親なきあと」を想像せずにはいられない。

社会に必要なのは批判や陰口じゃない。
ボロボロになった両手をぎゅっと握りしめる温かさがあれば、それを乗り越えることができるし、そういう社会であってほしいと願う。

そして最後に苦言というか解消できなかった疑問がひとつ。映画のタイトルにもなっている「帆花」の名前の由来。
名前は、親が生まれてきた我が子に最初に込めるメッセージ。
ご両親はどんな願いを込めて名付けられたのか、そこを知りたかった。

追記:
後日監督からメールが届き、ご両親が「帆花」と命名された由来が、

大きな帆を上げて大海原へ出て、たくさん旅ができるように。

そして、

お花のようにみんなに可愛いと愛されるように。

と教えていただいた。

そんなご両親の思いを胸に、これからの帆花さんの成長をみんなで見守っていかれたら···と強く思った。


今後も記事を増やしていきますので、ご期待ください。