Goodbye Nakamura ~あまり知られていないオキナワの物語~
おかげさまで色々と忙しく、実に久しぶりの投稿になってしまった…
先月まで上野の国立博物館で開催されていた「琉球展」。個人的には近年稀に見る大当たり企画展で、期間中に3回も見に行った。
でも飽きないどころか見れば見るほどロマンが広がっていって、本当に素晴らしい企画だった。
7月から9月まで九州国立博物館で開催されているので、ぜひ多くの人に足を運んでもらうことを願っている。
もともとぼくは沖縄というか琉球の文化が好きということもあるんだけど、日常生活でも沖縄をテーマにした曲を聴くことが多い。
その中でぜひオススメしたい一曲がある。
オーストラリア出身のシンガーソングライター、ドナ・バークさんの作品で、実話に基づいた物語のようなメロウなバラード。
多くの人がイメージする沖縄とはまったく異なっていて、曲に三線も琉球諸語も登場しない。しかし、この曲にはあまり知られていない沖縄の歴史が綴られている。
この物語に登場するのは、戦前から終戦直後の沖縄。
沖縄は琉球統合以前から船を用いた交易で繁栄を誇っていたと同時に、日本や世界各地に出稼ぎに出る人も少なくなかった。
そのひとつに、オーストラリアでの真珠採取というものがあった。
オーストラリア北部の木曜島やブルーム、ローバックは良質な真珠貝が採取できることで知られ、19世紀後半から1960年代まで多くの出稼ぎダイバーが働いていた。
いろいろ調べてみると、真珠採取の仕事は"御殿が建つ"と噂になるほど魅力的で、日本人だけでなく中国人やマレー人などアジア各国から人が集まっていたとのこと。
しかし、当時のオーストラリアは非ヨーロッパ系住民を排除する「白豪主義」の真っ只中で彼らは早々に帰国の憂き目に合う。
その代わりに白羽の矢が立ったのがアメリカ統治下のウチナーンチュだった。(沖縄の人は「特別な免除」によって白豪主義の枠から外れることができたとのことだけど、アメリカ統治下の沖縄ということも関係しているらしい。)
この物語に登場するナカムラ少年もその一人で、沖縄に許嫁を残し、若干20歳で海を渡ってくる。
一攫千金を夢見て、来る日も来る日も海に潜り真珠採取に勤しむナカムラ青年。
しかしある日、突然のスコールに見舞われ仲間が陸に引き上げる中、ひとり海の底に取り残されてしまったナカムラ青年は、潜水病に襲われ命を落としてしまう。沖縄で待つ許嫁との約束を果たせないまま。
終の棲家は故郷沖縄ではなく遠く離れたウェストオーストラリア。歌の最後にもその悲しい情景が表現されている。
沖縄で待つ許嫁が、その墓石の前に立つ日は訪れたのだろうか?
聴くたびにいつも、このことが気になって泣きそうになる。
ちなみに太平洋戦争中は、太平洋地域の連合軍の捕虜となった日本人移民の強制収容所が置かれ、捕虜とともに出稼ぎに来ていたダイバーたちも数年間収容されていた。
戦前から戦後まで隆盛を極めた真珠採取の出稼ぎの歴史も、戦後彼らが沖縄に引き揚げることで終わりを告げることとなった。
今後も記事を増やしていきますので、ご期待ください。