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Road to ポルノグラフィティ 〜私の音楽遍歴①小学生編〜

ポルノグラフィティと同世代(75ers)の私。20代でポルノさんに出会うまでの長く永い旅路を思い出してみようと思って書いています。長い道のり。

子どもの頃からずっと頭の中で何かしらの音楽、いわゆるイヤーワームってやつが流れていました。とにかく音楽が大好きで。
幼稚園の頃だったか、ピアノなど習っていないのに突然それいけカープ(セレクトがザ・広島人)を両手で弾き始めたそうで、両親は「この子は神童(not新藤)じゃ!」となり小学生に入るや否やエレクトーン教室に通わせてくれるようになったんです。貧乏なのに。

この頃聴いてた音楽といえば、他の子どもと変わらず情報源はベストテンやトップテン、夜のヒットスタジオ等のテレビからでした。現代の子とは大違い。
なので明菜ちゃん、聖子ちゃんに始まりキョンキョン、ミポリン、チェッカーズ、光GENJI、おニャン子クラブなどなど、どこにでもいる子どもと同じものを聴いたりしていました。
でも多分バンドというものに初めて触れたのはチェッカーズで、アルバムを聴くというのはチェッカーズが初めてだったと思います。

たまに、親の聴いていたビートルズやローリングストーンズなんかも聴いたり。そして小学校の高学年になるとちょっと上のお兄さんお姉さんが聴いていたバービーボーイズなんかに少し触れてみたり。ここら辺でちょっとRoad to ポルノグラフィティへの一筋の光が見えてきますがまだまだ長い道のり。

他の人と少し違ったのはエレクトーンを習っていたこと。教室の先生にヘンリーマンシーニなどの映画音楽や、フュージョンというジャンル(特にTHE SQUAREやシャカタク)を教えてもらいちょっと片足突っ込んでみたりしました。
特に当時THE SQUARE(今はT-SQUARE)のS・P・O・R・T・Sというアルバムは初めて自分のお小遣いで購入したCDだったと記憶しています。
今やブラスバンドでも有名な曲、宝島をなんとかエレクトーンで弾きたい!そういう一心で一生懸命聴いてました。
※でもT-SQUAREで一番好きなアルバムは本田雅人氏が加入したNEW-Sです!衝撃的だったな

こんな感じで、エレクトーンで少し大人の世界を見つつ歌謡曲・ポップスに触れていた子どもでした。
エレクトーンは、最初は神童だともてはやされましたが成長するにつれ「あれ、私の手小さい…指短い…」ということに気づきだんだん難しい曲についていけなくなるにつれ気持ちが冷めてしまって高学年になって辞めてしまいました。負けるのが嫌ですぐ諦めちゃう性格なんです。子どもの頃から。一人っ子だからかな。

ちなみに、初めてコンサートに行ったのも小学生の頃で多分少年隊だったと思います。これは私が熱望して、というわけではなく私の母が熱狂的ヒガシファンだったんです。少年隊の曲は好きで聴いていましたが。自分の意思でコンサートに行きたいと親にお願いし連れて行ってもらったのは広島サンプラザで公演があった光GENJIでした。あっくんファンだったんです。短い期間でしたが。

中学生編に続く。


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