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因島メモリーズ②2001年編

かれこれ23年前の2001年8月に、ラバッパー仲間と因島へ観光しに行きました。

当時原付免許しか持っていなかったので、友だちにレンタカーの運転をお任せして私は助手席でただただ因島の美しい景色を眺めるのんきな旅。
2001年当時のデジカメ画質なのでご了承ください。加工なしで当時の空気感をつかんでくださいね。めんどくさいだけですが。

振り返ると、因島はずいぶんと様変わりしています。当時はコンビニもあまりなかったように思います。
ポルノファンにはJazz upでお馴染みの土生港も昔は漢字表記でしたね。
ここから海沿いの道を初恋を乗せてペダル踏んでたのかと感慨深くなった記憶があります。

昔の土生港。
この日は雨が降ったり止んだりだったみたい

時系列はよく覚えてないけど恐らく次に向かった聖地巡礼先は、Tamaちゃんといえばここ!なホワイトハウスというラブホテル(当時)。
山の上にはいんのしまロッジ(現在はホテルいんのしま)しか無い場所。一本道のその途中にホワイトハウスがあったのかな?自転車で彼女と行ったのが人に見つかって親に告げ口されたとかなんとか。

ホワイトハウスの入り口
外観。今もまだありますか?

Tamaちゃんのエピソードを思いニヤニヤしながら写真を撮ったような記憶があります。

そして我らが一行はこれまた聖地、折古の浜に向かうべく狼を歌いながらかどうかはわかりませんが因島の細い道路を友だちの運転で向かうと突然…あ!
なんと車のタイヤが道路脇の溝にハマってしまったのです。私の全く頼りにならない記憶によると造船所の近くだったかな。
誰もいない道で溝にハマりアワアワする女二人。しかも一人は免許も持っていない役立たず。
どうしよう…と思っていると、人影すら見えなかったはずなのにどこからともなく屈強な男たち(記憶が曖昧なので屈強じゃなかったかもしれません)が現れて車を持ち上げてくれたではありませんか!本当に助かったと同時に、私は確信しました。因島の人たちは良い人たちばかりであると!
大したお礼もできませんでしたが、あの時助けていただいた鶴です。嘘ですHuman Beingです。ありがとうございました。

そしてなんとか無事に夏盛りな折古の浜海水浴場に辿り着きました。当時はまだ海水浴場として運営されてたようですね。盆明けだったので人はまばらだったように思います。

まだ市営の海水浴場だった折古の浜
夏盛り折古の浜

そして海水浴場で泳ぐことなく、恋が成就するパワースポットというウワサの地蔵鼻へ。この頃別に何もなかった気がしますがとりあえずお祈り。

ぷよぷよの二の腕
なんとも素晴らしい景色

その後水軍城とかにも行ったのかな?フラワーセンターにも行った気がする。ランチは何を食べたのだろう。今となっては全く記憶にない。
2001年当時の写真を見ても、今みたいに美味しいランチやディナーの写真なんて残ってないんです。私がただ食に興味がなかっただけなのかどうかわからないけど、いつから皆ごはん屋さんに行ったらパチパチ写真を撮るようになったのだろう。

そして一行は大浜へ。2024年5月に国の重要文化財に指定されることが決まった大浜崎灯台へ。

白い壁面が美しい灯台

当時はここがポルノグラフィティの聖地になるなんて思ってもみませんでしたよ。23年後にここで記念のアーティスト写真を撮るわけです。ひと足お先どころか何十足お先に行ってたらしいです。

この夏に開催された島ごとぽるの展で訪れた方はたくさんいらっしゃるでしょう。謎解きサウンドウォーク、私は体力の無さから参加しませんでした。ちょっともったいない。なので近いうちに訪れようと思っています。

気分はトコナッツココナッツ

そして因島公園内の浜辺でアゲハ蝶の映像みたく行進する我々。気分はタイのサムイ島。
土生港に着いた時には天気がどんよりどよどよで不安にかられていたけど、次第に良い天気となりキレイで穏やかな海を眺めることができました。本当にあの頃から、そして今も素敵な島です。

それなのに、ここから10年因島に足を運ぶことはありませんでした。
2011年に行ったのは尾道へドライブに行ったついでに車でさら〜っと通り過ぎただけ、だったと思います。
書けるようなネタを思い出したら少しお届けしたいと思います。

つづく

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