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Road to ポルノグラフィティ 〜私の音楽遍歴③大学・社会人編〜

ポルノグラフィティに出会うまでの長く永い旅路シーズン3。そろそろ出会うんじゃない?そろそろ。

大学に入ると、"ただひたすら猪突猛進 恋の成就に精進すべき"状態に陥っておりまして。恋愛に遊びにバイトにたまに勉学に忙しい日々を送っておりました。

この頃は自分で音楽を探すというよりは色んな人に教えてもらう方が多かったように思います。人の車の助手席に乗る事も増えたので、その人の車で流れているCDを借りてダビングしたり。
運転じゃなくて助手席?とお思いでしょうがこの頃の私は頭のネジが外れてまして。いつも誰かの車の助手席が指定席でした。チヤホヤされるお年頃でもありますし。“白馬には自分が乗る方がいい”と思い当たるまでに少し時間がかかったんです。

Jpopと渋谷系と邦ロック

ひとの車では色んな音楽を聴きました。いわゆるヒットチャート上位のミスチル、ドリカム、小室プロデュースの曲、ELT、スピッツなど。そして特に時代性を感じるものとしては小沢健二のLIFE!

世は渋谷系ブームの真っ只中です。ミチのミはミーハーのミ、と前回もお話ししたようにブームには全力で乗っかるタイプだったのでハマりました。何回聴いたかわからない。ピチカート・ファイブやオリジナルラブ、スウェディッシュポップのThe Cardigansなども。
その反面、中学生以来に邦ロックも聴いたりしてた。たまに後輩のオススメでTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやBLANKEY JET CITYなど。後にハマるNumber Girlや中村一義にはまだ出会っていない。

その反面の反面、男性アイドルの復権もじわじわ来ていたので、SMAPに始まりKinki kids、TOKIO、V6など色々聴きました。皆華やかなだけじゃなくて曲が良いですからね。
私が特に好きだった曲はV6の愛なんだ。松井五郎と玉置浩二の強力タッグです。しかも編曲はSMAPでお馴染みの広島出身CHOKKAKU氏。ラップパートをカラオケで意気揚々と歌ってました。イエー!

UKとの出会い。ブリットポップムーヴメント

そして、私の中で今思えばかなり重要な出会いだったな、と思うのはブリットポップ!

ブリットポップ(Britpop)またはブリットポップ・ムーブメント(Britpop Movement)は、1990年代にロンドンやマンチェスターを中心に発生したイギリスのポピュラー音楽ムーブメントである

Wikipediaより

デートでタワレコ、HMV、ヴァージンメガストアなんかによく行くわけです。当時の彼は別に音楽好きでは無かったですが、ワガママし放題の私は勝手にふらふらと試聴機の前に陣取りOasis、Blur、Pulp、Suede、後期はMansunなどを手に取り聴き始めたのがこの頃。UKというものに触れるわけです。
一応子どもの頃も洋楽はちらっと聴いていたのでThe BeatlesやThe Rolling Stones、David Bowieなどには触れていたのだけど。
また、ブリットポップではないけれどRadioheadに出会ったのもこの頃かな。ちょうどOK Computerリリースの時期、1997年。ドライブ中のカーラジオのFMからもたくさん流れてた気がする。なんだか暗いけど気になる…そんなイメージのRadiohead。
※ちなみにRadioheadに本格的にハマるのはAmnesiacがリリースされた2001年のこと。

その中でも特に好んで聴いていたのはBlur。私のブラーデビューはPark Lifeではなくこっちでした。

ちょっと人をおちょくったような歌い方や能天気なメロディに最初えっ?となりましたがなんかクセになる…ポップなのにギターがギュインギュイン鳴ってるのもイイ…そして当時は私も乙女でしたから、ブラーのビジュアルの良さにキャッキャ言ってたと思います。

若かりしBlur

今は落ち着いて頭髪も歯も少なくなったデーモン・アルバーンの方が好きなんですけど笑
でもこの頃はライブに行ったりという事は全くしなかったです。音楽は車や移動中に聴くもので私の人生のBGM、という扱いだったのかもしれません。

そういえばライブについて前回記していなかった。
高校生の頃はたまに知り合いの知り合いのバンドを並木ジャンクションに観に行ったり、付き合いで氷室京介のライブ(KISS MEの頃。カッコよかった!)に行ったりする程度。大学生の頃は本当に一度も行かなかった気がする。あんなに楽しくて最高の場なのに…ライブにハマるのは2000年以降から。もうちょっと後。

ポルノグラフィティに出会うまで

そして1998年に新卒として社会人一年生になります。いわゆる就職氷河期真っ只中です。でも何とか就職でき、営業マンとして働き始めます。
こうなるともう音楽を聴く余裕なんてありません。毎日働いて夜は上司先輩たちと飲みに行って休みの日も会社の人たちとBBQやスノボ三昧…こうみると何だか楽しそうな感じですが笑
まあとにかく音楽に没頭する時間なんて無かった。

ポルノグラフィティがデビューした1999年9月8日、あの頃一体私は何をしていたのだろう。私はまだ未熟で仕事で辛いことがたくさんあった上にプライベートでも不穏な空気が流れていた頃。街でアポロを耳にすることはもちろんあったし、「面白い声だな」とは感じてた。そして広島出身ということも。因島ってどこだっけ。

そしてヒトリノ夜やロマンチスト・エゴイストがリリースされた2000年前半。いよいよ心の余裕がなくなって割と底の底の方でただじっとうずくまっていた頃かなと思います。趣味もなく色んなことの歯車が噛み合わない時期。
2000年の6月までは。

という事で長くなったので続きは④で。次回はとうとう運命の出会いを果たします!乞うご期待!

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