レトロ建築を訪ねて:大倉山記念館 その2

画像1 大倉山記念館探索つづき。二階に戻ってまいりました
画像2 三階のさらに上、吹き抜けとなった空間に光が射し込んでいます
画像3 黄一色のステンドグラス……?何か意味がありげですわね。獅子と鷲?の彫像がこちらを見下ろしていますわ。身が引き締まる思いです!
画像4 例の渦巻きもようとロゼット咲き装飾。重厚な木製の扉の向こうにはホールがあるそうです。画廊喫茶マヨヒガの美術室の扉もこんなイメージですわ
画像5 上に行くにつれてせり出す形と、正三角形の意匠。これはいったい……?
画像6 全体にギリシャ神殿のようなつくりをしていて、しかもより原始的な印象を受けます
画像7 ここにも連続三角形あるいはひし形のデザインが
画像8 この色味が、なんとも精神性や神秘性を感じさせますわね……
画像9 あのライオンとめっちゃ目が合いますわ……
画像10 ぬぬ!図書室!
画像11 知の集積場ですのね、ここは!
画像12 ステキデザインのブラケットライト。使いませんの?(ブラケット=壁につける照明器具の総称)
画像13 あっ、解説パネルらしきものが!はやく!はやく情報をおよこしなさいませ!←知に飢えている
画像14 まず、大倉山記念館の大倉さんとは何者か、というところから入ってまいりましょう
画像15 大倉精神文化研究所創立者、大倉山記念館施主 大倉邦彦は、大倉洋紙店(現・新生紙パルプ商事)の三代目社長であり、小田原製紙、特種製紙の社長も務めたビッグビジネスマンです。彼は、個人の成長の上に会社の発展があり、ひいては社会の繁栄があると考えていました
画像16 そこで、企業経営で得た利益を基に教育事業に取り組み、自分の理念を深め、世の中に広く普及するために、昭和七年、大倉精神文化研究所を創立したそうです
画像17 問題の建築様式ですが、結論から申し上げましょう、これは古代ギリシャ鉄器時代以前、青銅器時代に当たるクレタ文明、ミケーネ文明を模したものだということです
画像18 設計者は明治の建築家、長野宇平治。かの辰野金吾の弟子で、数々の銀行建築で知られておりますわ
画像19 『日本銀行本店本館』。たしかに、言われてみれば同じような神殿みがありますわね!(画像はWikipediaより引用)
画像20 クレタ島は地中海に浮かぶ島。牛頭の魔人ミノタウロスが巣食うラビュリントス(迷宮)のモデルとなったクノッソス宮殿があることで有名ですわ
画像21 『クノッソス宮殿』。あの裾細りの柱は……(画像はWikipediaより引用)
画像22 入口で見た、あの柱と同じですわ!
画像23 ミケーネはミュケナイとも表記されます。勘の良い方ならもうお気づきでしょう、かの「トロイア戦争」のもう片方の当事国ですわ
画像24 『ミケーネ城塞正門』。門の上の三角形の意匠は……(画像はWikipediaより引用)
画像25 なるほどこういうことですのね!三角形の意匠は建物の上部に主に見られるそうです!
画像26 なぜ、古代ギリシャ文明よりも古い、クレタ・ミケーネ文明を模したのか…… 思いますに、ひとつのヒントはこのロゼット文様にあるのかもしれません
画像27 ロゼット文は、花びらが放射状に広がった形をした、丸い文です。その特性から、花以外にも、光を放射する太陽を暗示しているとも言われますわ
画像28 このエントランスホールのステンドグラスが黃一色なのは、『朝日のようにくもりなく、清々しい心でありたい』ということを願って設計したから、と大倉邦彦氏本人の言が残されていましたので、ロゼット文も太陽を──昇る朝日を表しているのかもしれません
画像29 すなわち、円熟したギリシャ文明よりも、高みを目指し続けるため、前に進み続けるため、あえて黎明期に近いクレタ・ミケーネ文明を選んだ──そういうことだと、わたくしには感じられました
画像30 大倉精神文化研究所、大倉山記念館。強く正しい心と、豊かな知性を兼ね備えた人間を育てたいと願った大倉邦彦氏の想いに、わたくしの心が呼応する気がいたしました。今度は図書室を利用させていただきますわ!それではまた、どこかのレトロ建築でお会いいたしましょう。ごきげんよう~

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