展覧会レビュー:ハッピー龍(リュウ)イヤー! 〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜(静嘉堂@丸の内)
──酎 愛零が展覧会「ハッピー龍(リュウ)イヤー! 〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜」を鑑賞してレビューする話──
ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中の私です。
今回は、東京都は千代田区、丸の内の明治生命館の中にある静嘉堂@丸の内におもむき、企画展「ハッピー龍(リュウ)イヤー! 〜絵画・工芸の龍を楽しむ〜」を鑑賞してまいりました。
明治生命館は昭和9年(1934年)、に竣工。設計は東京美術学校(現東京藝術大学)教授であった岡田信一郎氏ですわ。
古典主義様式の傑作として高い評価を受け、我が国の近代洋風建築の発展に大いに寄与した建造物と言われておりますの。
1997年(平成9年)、昭和の建造物としては初めて、国の重要文化財に指定されました。なお、現在でも明治生命の本社本館として使用されておりますのよ。
と、まあ、前語りはこのくらいにいたしまして……
この静嘉堂美術館は、以前は東京都世田谷区にございまして、2022年に美術ギャラリーだけ千代田区丸の内に引っ越してまいりましたの。私は移転してから初めての訪問になります。正直、世田谷区にあった時よりも私にとっては行きやすくなったので、建物の歴史的価値・レトロ建築っぷりもあって、好都合なことこの上ありません。それでは、中にお邪魔いたしましょう。
天井が高いですわー!( ╹▽╹ )
吹き抜けの天井には天窓がございます。晴れた日にはどれほどの陽光が射しこむのでしょうか。
人出はそこそこ。そしてなんと、一部を除いてスマホや携帯電話のカメラだけなら撮影可能!なので今回は実際に撮影した画像とともにお送りいたしますわー!✧◝(⁰▿⁰)◜✧
波濤を背景に、五爪の龍が体をくねらせ、正面を見据える図像の大皿ですわ。正面を向いた龍の顔って、知っているようで知りませんわね。あと、現代人の私からすればだいぶはっちゃけたポーズのように感じますわ。サッカー小僧みたい。キラーパス!(≧▽≦)
黄色い地に濃い青がビビッドな大皿。正面を向いた龍のパターンは先の大皿と同じですわね。しかし比べてみるとこちらの方が幾分シンボリックなデザインになっていて、構図も安定しているように思います。色の対比としてはこちらの方が私の好みですし、眉毛?がかわいいのもポイントですわ。
壷の縁を龍が食んでいるデザインには見覚えがありますわね。そう、東京国立博物館で鑑賞した「博物館に初もうで」で同じデザインのものを目にしました。
特筆すべきは絞胎で作られた本体の色味。まるで木目や年輪のようにも見えるマーブル模様は、二種類の粘土を重ね、折り重ねて延ばすことにより層状の模様を形づくる絞胎の技法をよく表しています。一瞬、木工?と思ってしまいましたわ。
摩尼とは、サンスクリット語で「珠」を表すもの。チベット仏教でよくガラガラ回しているあのマニ車のマニと同じものですわ。摩尼宝珠だと珠宝珠になりませんの?まあ、この上なく尊いもの、という意味合いなのでしょうね。
さておき、この図像の龍は、唇?がめくれあがっているような珍しいデザインです。最初はゾウのように鼻先が長いのかしら?と思ったのですけど、よく見ると鼻はちゃんとあるので、なおさらあの伸びた部分が気になりますわ。
塩見政誠は、研出蒔絵の名手。龍の顔を大首絵よろしく印籠いっぱいに描いて、黒漆と金粉の絶妙な研ぎ出しで水墨画的な立体感を出しています。研出蒔絵は水中や雲間などおぼろげな表現こそ真骨頂なので、龍との親和性が高いのも納得ですわ。この頃になると、龍の顔のパーツや配置も定まってくるようですわね。
紺地の絹に所狭しと吉祥の印を配置し、はっちゃけたテンションの龍が四匹。刺繍作品、帳とのこと。帳とは煎茶会を催す際に、茶室の入り口に掛けられる絹製の幕のことですわ。夜の帳が降りる、などと言いますわね。
しかしそれにしてはずいぶん妙な所で生地を継ぎ接いでいます。特に上の方、模様が不自然な箇所がいくつかございます。と思いましたら、中国皇帝の衣服「龍袍」をリフォームした可能性も高いとのこと。なるほど、それなら納得ですわ。
今でこそ日本ではあまり吉祥のイメージが無い「蝙蝠」が飛び交っているのは中国文化圏ならではの意匠ですね。でも実は日本でも蝙蝠を吉祥の象徴としてデザインしてきた歴史があり、江戸時代後期(19世紀)には、歌舞伎役者の市川團十郎が替紋(正紋以外の紋)として蝙蝠の意匠を使ったこともあって一大ブームを巻き起こしていたそう。
緑色と紫色という、あまり見ない組み合わせ。陳列品の中にあってひときわ強烈な存在感を放っておりましたわ。ダイナミックな龍の図柄もあって、もし家にあってもどこにどう置くか悩みますわね……
そして作年である康熙年間とは、賢帝と名高い康煕帝の統治期間。これも東博の「博物館に初もうで」で見た名前ですわね。いいつながりですわッ!
堆朱とは、漆を厚く塗り重ねて板状にし、そこに彫刻を施すもの。申し上げるまでもなく大変な作業でございます。盒は飯盒の盒で、合わせ蓋のついた容器のこと。
ちなみに我が国には新潟県に村上堆朱という工芸品がございますけれども、こちらは木彫に漆を塗り重ねたもので、異なる技法ですわ。
存星とは、中国の漆芸の一種(ただし日本での呼び名)。漆の地に色漆で模様を描く、あるいは嵌め込み(填漆)、輪郭や細部に沈金を施したもののことですわ。
宝珠を中心にした昇り龍、降り龍の図柄に、瑞雲を散らしたデザイン。龍の顔は猛々しいというより、どことなくユーモラスな感じがいたします。輪郭線に金を嵌め込んだ模様は、単に填漆するよりもくっきりと形を際立たせ、かつゴージャスな雰囲気。
こんなに見事なお盆ですと、ものを置くのがはばかられますわね……
出ました、螺鈿のお盆。これに類するものも東博で拝見しましたわね。龍鳳の螺鈿象嵌もすごいですけど、それにも増して縁部分の細かい模様のすごいこと!龍は、上顎に牙がないせいか、象のような顔にも見えるのがチャームポイント。
私常々疑問に思っていたのですけど、螺鈿ってヤコウガイやアワビなどを削って作りますよね?でも貝殻って湾曲してますわよね?でも、平面に貼り付けるためには平面の螺鈿でなくてはならない。では、それをどうやって平らな状態にしているのでしょうか?
謎。
いつか螺鈿を作っている工場に見学に行ってみたいですわー!✧◝(⁰▿⁰)◜✧
私が今回一番やばいと思った作品がこちら。先に出てきた雲龍堆朱盒と同じく堆朱盒なのですけども……
見比べてみれば一目瞭然でわかる彫り込みの差。雲龍堆朱盒の龍のウロコが単に図案化された線の組み合わせだったのに対して、こちらの龍濤堆朱盒の龍のウロコは一枚一枚が逆立つように浮き出しておりますわ。魚のウロコ取りでジャッジャッてやりたいくらい。
さらに圧巻なのはこの波濤の彫り込み。これはまさしく変態の所業ですわ。(褒め言葉)
ここまでくると、並々ならぬ執念と申しますか、狂気に近いものを感じてちょっと引きますわね……
側面の図柄の細かさにも若干引きぎみの私。制作年代とされる清の18〜19世紀といえば、まず間違いなく、治世60年を誇った乾隆帝の時代。国の最盛期の力を誇示するような、すさまじい逸品ですわ。ちなみに初公開だとか。
気分を変えて、次は日本の焼き物、古伊万里。かつては伊万里港から出荷されていた有田地方の焼き物は総て伊万里焼と呼ばれていたそうで、現代では有田地方で作られたものを有田焼、伊万里地方で作られたものを伊万里焼と呼び、それらとは区別するために、かつて伊万里焼とよ呼ばれていたものを「古伊万里」と呼ぶそうですわ。
団龍とは、丸い姿にデザインされて描かれた龍のこと。たしかに団という文字の訓読みは「団い」ですしね。自分のしっぽをつかむ龍のデザインは、北欧神話などのウロボロスを彷彿とさせますわ。自分のしっぽをつかむ=頭(始まり)と尻尾(終わり)がつながる=永遠不滅、という暗示は東洋にもあったのでしょうか。
ばらと椿の花を彩った素三彩の器。ごらんになれますでしょうか、色釉の下にうすーく龍が線刻されているのが。線の溝に沿って色釉が流れている所はわかりやすいかもしれません。この、いかにも「理解る人には理解るッッッ」という通な感じがたまりませんわね〜
三彩とは、二色以上の色釉を施した焼き物のことを指しますの。唐三彩などが有名ですわね。で、この素三彩というものについてですけれども、様々な情報をあたってみたところ、どれも微妙に書いてあることが違っておりまして、いまいちこれだという論拠は見つけられませんでした。字のイメージからすると「素焼きの器に透明釉をかけずに直接色釉をかける」技法で作られた、というのが最もそれらしい解釈になりますけど、当の展示品のキャプションに『無色透明の鉛釉を塗って』と書いてあるので、断言はいたしません。もしかしたら時代によって製法が変わってきて、名前だけそのまま残っているパターンなのかもしれませんわね。魚をごはんで発酵させた鮓が、酢飯に魚介の刺し身を乗せた寿司になったように。
さて、おそらく本展覧会の一番の目玉、東西の屏風の共演!まずは東の方、橋本雅邦の「龍虎図屏風」からごらんいただきます。
完全に上腕→肘関節→前腕→手という構成で描いてありますわ。並の妖怪変化程度ならアイアンクローで握り潰せそう。
屏風の形が図らずも漫画の集中線のような効果を生み、迫力満点。雷光の一本が鑑賞者に向けて迫りくるのがおわかりいただけますか?
口の開け方がどことなく蛇のそれを思い起こさせます。鼻面もまだ長くなく、牙も短いところに生物学的な幼体、という雰囲気を感じさせますわね。
この、竹のしなり方、虎の毛並みのなびき方、とりわけ虎の毛皮の一部が風でかき分けられて白い地毛が見えているところなど、リアリティ充分!
人間が受けたら確実に痛いやつですわ……こうやって雨を表現するのですね。よく見ると弾けた水滴が点々と描かれており、細かい表現にも抜かりがありませんわ。
二匹の虎の関係は明示されておりませんでしたけども、もしかするとつがいで、雄の虎が前に立って龍を威嚇し、雌の虎を守っているのかもしれませんわね。
こちらは西の方、鈴木松年の「群仙図屏風」。群像図ですわね。
遠隔操作型のスタンドですわね。私の目はごまかせませんわよ!(✷‿✷)
鴨を踏んでいるのではなく、自身の沓を鴨に変じているのです。これにより飛行可能ッ!でもでも、この二羽が別々の方向に行こうとしたら……
西王母といえば、中国の神仙思想における、艶やかにして麗しき天界の女帝。その娘たる太真王婦人は龍を乗騎としていることで有名ですわ。
ちなみに、鈴木松年の弟子の中には、美人画の名手として知られる、かの上村松園がおります。太真王婦人の美貌がそのルーツのひとつとなったかもしれないのもうなずける話ですわ。
個人的には、龍の顎下あたりから両脇に出ている黄色い煙のようなものの勢いが、蒸気機関車のそれのように感じました。鈴木松年が蒸気機関を目にしていたかどうかはわかりませんけども、ゴツい乗り物に乗って到着する華麗な装いの美女というのは、なかなかにスチームパンクな感じがして面白かったですわ!
全四室の展示でしたけど、たいへんに見応えのある展覧会でございました!
龍・龍・龍づくし!
見れば見るほど、その存在の謎っぷりが増すばかりでしたわ。
中国古代に発生したキメラ的な概念かと思いきや、時代を経るごとにその姿や役割は洗練されていき、いまや龍を知らない東アジア人はいないという知名度を得るに至りました。
吉祥、権力、永遠、さまざまな意味と結びついた想像上の生き物、龍。それはあらゆる芸術とも結びつき、私たちの想像力をさらに刺激し続けています。蒸気を噴き出す鋼鉄の龍に乗った太真王婦人が目の前に着陸し、ゴーグルをおでこの上にずらして『乗るの?乗らないの?』と微笑みながら手を差し伸べてくる気さえするのです!もちろん、乗らない手はありませんわ!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。