展覧会レビュー:印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館蔵(東京都美術館)
──酎 愛零が展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館蔵」を鑑賞してレビューする話──
ごきげんいかがでしょうか、お嬢様修行中の私です。
今回は、東京都は台東区、上野恩賜公園内にある東京都美術館におもむき、展覧会「印象派 モネからアメリカへ ウスター美術館蔵」を鑑賞してまいりました。
個人的には、久しぶりの印象派展ですわ!同じ上野公園内にある上野の森美術館では、「モネ 連作の情景」と題し、100%モネを謳う展覧会を昨年から開催しておりましたけど、恐ろしいほどの激混みで早々に観覧候補から外しました。私を含め、日本人は印象派がお好きですのね!(≧▽≦)
ウスターは、アメリカ東部・マサチューセッツ州の、ボストンに次ぐ第二の都市。ボストンの西約70kmに位置し、マサチューセッツ州のほぼ中央にございます。大学や美術館・博物館も多く立地しており、学術と芸術の街、という印象を受けますわね。ちなみに英語でのつづりはWorcester。ワーセスターじゃあございませんの?難読英語ですわー!(ᗒᗩᗕ)
1898年に開館したウスター美術館は、ヨーロッパの絵画からアジアの芸術、ギリシャ・ローマの彫刻、武器と防具、そしてもちろんアメリカン・アートまで、豊かなコレクションを所有しています。今回はその中から、「ヨーロッパの印象派」「アメリカの印象派」に的を絞って展示しているということですのね。
ヨーロッパから伝来した印象派がどのようにしてアメリカ人画家の手により花を咲かせたのか。新鮮な驚きを楽しむため、今回はあえて前知識を何も入れない状態で臨みましたわ!さっそく行ってみましょう!Ξ(/^ ^)/
展示は五章に分かれていて、それぞれ「伝統への挑戦」「パリと印象派の画家たち」「国際的な広がり」「アメリカの印象派」「まだ見ぬ景色を求めて」と題されています。型を破った新進気鋭の画家たちの心意気は世界中に伝播し、各地で根を下ろして新たな進化を遂げたということですわね。それがアメリカではどうなっていったのか……というのが今展覧会の主旨だと見ましたわ。
Chapter 1 伝統への挑戦
19世紀なかば、アメリカはまだ建国してから100年も経っていませんでした。第一章は「伝統への挑戦」と銘打っていますけれども、コロー、ドービニー、トマス・コールらの名前と、展示されている彼らの作品からしますと、「挑戦」ではなく「憧憬」の感情を強く感じました。しかし、これらはすべて風景画。ジャンルとして神話画、歴史画を頂点としていた時代からすれば、だいぶ格が落ちるとされていた画題です。まさしく伝統への挑戦と言えましょう。
描かれている主題は、人が往来する山道、緑あふれるゆるやかな谷間、夕日が照り映える川にかかる橋の情景、実りを収穫する姿、釣り人のいる湖畔など、どれも牧歌的で理想化された田舎暮らしの風景。アメリカは19世紀なかば頃からの大量の移民、南北戦争、急速な工業の発展によって人心が疲弊し、心の拠り所を求めて、このような絵画を収集しはじめたのかもしれませんわね。
バルビゾン派の画家、そして動物の画家として知られるコンスタン・トロワイヨンは動物画の名手であり、牛や羊などのいる風景画を多く描いています。牛や羊が都市部にいるのはあまり見ないので、必然的に田舎や田園風景が多くなる……ということですのね。
はじめ、風景画家としては大成しなかったトロワイヨンでしたけれども、オランダに旅行した折りにかの地でパウルス・ポッテル、レンブラント・ファン・レインらの作品を研究し、彼らの影響を受けて新しい手法を確立、動物画家という新たな個性を得て、名声を勝ち得たそうですわ。
この作品では、どこかの村の収穫の様子が描かれています。馬に乗る男、わらぶきのような屋根、家から走り出る幼児、ずらりと干された洗濯物……歴史浅いアメリカの、「存在しない記憶なのに懐かしい」という感情を呼び起こす一枚だと思いますの。
Chapter 2 パリと印象派の画家たち
権威に敢然と反旗を翻した印象派。第二章ではパリで活躍した新時代の画家たちの画業を堪能できますわ。「空の王者」ルイ=ウジェーヌ・ブーダンの作品を皮切りに、シスレー、ピサロ、モネ、ルノワール、モリゾ、カサットなどのビッグネームが顔をそろえます。
モネの「睡蓮」も展示されていて、国立西洋美術館にある「睡蓮」やオランジュリー美術館にある「睡蓮」と比べると小振りなものの、ブルーとバイオレットが明るく溶け合う優しい色合いで、近現代の個人宅に飾るにはちょうどいい大きさでした。
なおこの第二章には、美術館と画商との間で交わされた絵画購入までのやり取りが、手紙と電報という形で展示してあります。『少なくとも二点のうち一点は買う』『美術館価格(※格安)だから、内密に』など、当時の生々しいやりとりがつぶさに分かりますわ。写真だけで、現物を見ないで買うのは冒険が過ぎると思いますわよ!
言わずと知れたモネの作品。実物を目にすると、絵の波から力線──力のベクトルのようなものを感じます。耳を済ますと、潮騒の音まで聞こえてきそう。なぜ税関吏の小屋なるものがこんなブラックジャックがひっそりと医院を開業していそうな所にあるのかは謎。どなたかこの小屋の由来についてご存知ではありませんでしょうか。
この「税関吏の小屋」を含む作品をモネは何枚か描いていて、それぞれ趣が違っておりますわ。同じ主題で何枚も描くのが印象派、特にモネの特徴。こうした連作を、実物で比べる機会があれば、行ってみたいですわね。まあ、それをやっていたのが上野の森美術館で開催されていたモネ展だったのですけれども。
本展覧会のキービジュアルを務める一枚。フレデリック・チャイルド・ハッサムはアメリカ印象派を代表する画家の一人ですわ。この絵を描く前の時点ですでに個展を開くほどの腕前であり、外国を歴訪してさらに腕を磨いた実力派です。
この絵を観ていちばん強く印象に残ったのは、陽光の鮮やかさ、木漏れ日の明るさ、花の輝き、白い服の眩しさ、マロニエの葉裏から透かして見える光。そう、光の美しさです。ハガキのプリントでは伝わらないでしょうけれども、ほんとうに画面から光を放っているようでしたわ。それに構図の比率も、前景と中景のバランスも、全てが洗練されていて、花の香りまでしてきそうなほど、観ていて安心を感じます。印象派をよく学んだことがわかりますわね。家に飾っておきたくなる、美しく明るい一枚だと思います。
Chapter 3 国際的な広がり
印象派の衝撃的なデビューと躍進は世界中の芸術家の目を惹き付け、彼らを引き寄せました。そして実際に印象派の作品を見た彼らはその手法を自国に持ち帰り、印象派はそれぞれの国で独自の進化をたどりはじめます。
印象派のみならず浮世絵にも傾倒した耽美主義のジェームズ・ホイッスラー、アカデミックな教育を受け、「マダムX」など肖像画で有名なジョン・シンガー・サージェント。二科会の創設メンバーで日本印象派の第二世代とも言うべき斎藤豊作、ベルギーで印象派から派生した「ルミニスム」の薫陶を受け、点描技法からさらに自分の道を拓いた太田喜二郎など、まるで世界各国で反射、偏光するがごとく、印象派はその姿を変えていったのです。
お名前からして全力でユダヤ人を主張するのはオランダの画家、今日「ハーグ派」として知られるヨゼフ・イスラエルス。哀愁と哀惜の漂う人物画の名手ですわ。
海辺の風景や漁師をモチーフにした作品が多く、この作品でも波打ち際を背景にした砂丘に座る少女を描いていますわね。概して画面が暗く、寡黙な印象を受ける彼の作品の中では、比較的明るい方ではないでしょうか。
個人的な感覚ですけども、この黙とした静謐性、そして画面内における水平線あるいは地平線の位置の高さは、ミレー(ジャン・フランソワの方)の作品に通じるもの──すなわち庶民の中にある何らかの聖性のようなもの──があると思いますの。
ちなみにご子息は「オランダの印象派」と呼ばれたイサーク・イスラエルス。息子さんのユダヤ名っぷりもすごいですわ!
タイトルの「オパール」とは、湖の水面に反射した光のきらめきを表しているそうですわ。作者のアンデシュ・ソーンは画家、彫刻家、エッチング版画家と、マルチな表現技法を持つアーティストです。絵画においてはツヤッ、テカッ、とした肌の表現を得意とし、光と陰影の使い方はお手の物、といった感じがいたします。
他の作品に比べると、確かにこの作品の光の使い方には印象派の影響が強く出ており、波打つ水面の反射、裸の背中に落ちかかる光などにそれが見られますわ。それにしてもこのお二人は何をしていらっしゃるのかしら。見られているのに気づいて隠れた?隠密?画家はどんな意図があってこの構図を?
アンデシュ・ソーンはライバル画家との奇妙な友情が興味深い画家でもあります。いつかそのあたりも掘り下げてみたいですわねー!(≧▽≦)
Chapter 4 アメリカの印象派
アメリカに持ち帰られた印象派の技法は、アメリカならではの発展をとげます。それは天をつく摩天楼であり、それは荒々しい大自然であり、またそれは都市生活のスナップショットであり、それは生命力にあふれる若い国の活力でした。第二章にも登場したチャイルド・ハッサムの窓シリーズのひとつ「朝食室、冬の朝、ニューヨーク」はそれを端的に表していると言えますわ。
こちらは私が一目見て(日本にありそうな風景……というか日本の画家が描きそう……)と思った作品ですわ。作者であるアメリカの画家ジョン・トワックマンは、外国の画家たちと活発に交流をし、自宅のあるコネチカット州グリニッジに芸術家コロニーを開くに至った印象派の継承者。彼の技法は、筆触分割というよりも、色の勢い、流れといったものを重視しているように思いますの。急流で飛沫をあげ、なかなか消えない泡が流れによって変幻する様を、絵でありながら動きがあるようにとらえておりますわ。
芸術家のコロニー……いい響きですわね……でも私は基本、人の言うことを聞かないですし、ひとさまがどういう価値観のもとに創作活動をしているかも関心がありませんし、そういったコロニーに参加したところで何か変化するかどうかは怪しいところですわ。ここnoteでも、尊敬する人は無言で尊敬しますし、ライバル視する時も黙ってライバル視しますから。陰キャあるある。どなたが尊敬の対象で、どなたがライバル的存在なのかは、ナイショですわ!
Chapter 5 まだ見ぬ景色を求めて
最終章となる第五章ではモネやルノワールの時代は過ぎ、点描派のポール・シニャックや、キュビスムの先駆たるジョルジュ・ブラックなどポスト印象派の画家、アメリカ風景画の父と称されるジョージ・イネスらが台頭してきます。
今回展示されているイネスの作品は最晩年の作(1892年作。イネスは1894年に死去)ということもあってか、観る者を崇高な高みに引き上げるような気さえする、神秘的な画面でした。緑、黄、青、茶といったいわゆるアースカラーに包まれた奥深い森の中、数人の人を乗せた手漕ぎボートが、画面右の、柔らかで安心するような明るい場所へ向けて、静かな沼地を滑るように、音もなく渡っていく場面──私はなぜだか、これは死出の旅路、その心象なのではないか……という印象を持ちました。
また、この頃のアメリカは、トーナリズム(色調主義)と呼ばれる一派が現れはじめます。トーナリズムとは、フランスのバルビゾン派から派生したスタイル。その名も英語の「tone(色調)」から取られております。その発生からも想像できる通り、自然や農村、海景などをモチーフとし、鮮烈で劇的な光よりも、霧や影といった柔和で控えめな明るさを好み、そうした風景を茶、黄、青、緑、灰などの落ち着いた色合いで描きました。上記のジョージ・イネスはもちろん、耽美派のジェームズ・ホイッスラーもトーナリズムの画家に数えられます。
思いますに、雄大な手付かずの自然が多いアメリカでは、せせこましく輪郭線を描くよりも、色を自由に、大胆かつ繊細に扱う手法が適していたのでしょう。その土壌があれば、バルビゾン派からトーナリズムという進化の過程をたどったのも納得というものですわ。
最後にご紹介するのは、ニューヨーク生まれの画家、デウィット・パーシャルの描いた「ハーミット・クリーク・キャニオン」。美しい地層のしま模様が、太陽の光に照らされ、迫りくるダイナミズムとおおらかな自然の広がりを感じさせます。
1864年にニューヨーク州バッファローで生まれたデウィット・パーシャルは、はじめカリカチュア(風刺画)で頭角を顕し、後にドレスデンの王立アカデミー、パリのジュリアンアカデミー、コルモンアカデミーでも学び、海景や風景などを多く手掛けております。中でも有名なのがグランドキャニオンを描いた作品群。
アメリカ西部、アリゾナ砂漠を切り開くコロラド河の形作る絶景を、パーシャルは1910年から1917年にかけて集中的に描いています。なぜその時期に……というのは、当時できたばかりのサンタフェ鉄道の、いわゆる販売促進のために絵を描いていたということらしいですわ。目隠しをして崖っぷちまで連れてこられ、そこで初めて目隠しを外され、眼前に広がる絶景、その感動を絵にした──ということですけども、よくもまあそんなリアクション芸人みたいなことをやりましたわね……気持ちはわかりますけど。
余談ですけど、この「デウィット」という名前に馴染みがないのか、けっこうな数の美術ライターの方が「デヴィッド」と誤記してしまっているようですわね。スペルを見ると「DeWitt」なので、元をたどると「De Witt」、つまりオランダ系の方なのかもしれません。
いががだったでしょうか!
個人的には、世界に波及した印象派の進化の歴史をたどるようで、大満足の展覧会でしたわ。ひとくちに印象派とはいっても、モネやルノワールでさえ違う枝葉を育み、異なる花を咲かせたのですから、それが世界各地に根を下ろせば、さらに違う色の花を咲かせるのは道理。歴史という縦の糸と、地域という横の糸が織りなす印象派という名のタペストリーの、ほんの一端を垣間見た気がいたしました。今までタペストリーの端の方に立っていたと思っていたハッサムやイネス、サージェントらアメリカの画家たちが、『ここで終点だと思っていたのかい?』『美しさの表現に限りなどない……』『君はどんな花を咲かせるのか、楽しみにしているよ!』こう言って笑っているようです。新しい時代のレールを自ら敷いていく、そんなスタイルに私もやる気を新たにいたしました!
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
それでは、ごきげんよう。