「結婚間近にふられましたが、幸せは思いがけず突然やってくる。……いやほんと、予想以上の展開だよ!?」 第3話
(第一話はこちらです)
恋人と、結婚相手との違いってなんだろう。
私と博昭は、そのまんなかの婚約関係だったけど、一方の気持ちがなくなれば、その関係が解消されるのに違いはない。
法的なこととかもあるんだろうけど、私が痛感したのは、結婚はふたりだけの問題じゃなかったってことだ。
私と博昭の結婚がなくなったことを知った両親の嘆きは、想像以上だった。
まだ博昭と別れたばかりでショックで呆然としていた私は、そんなふたりの反応に、ますます打撃を受けた。
親の気持ちも、わかる。
30歳近くまで仕事づけで、残業と休日におわれていた私が、初めて長く続いた彼氏が博昭だった。
その博昭と4年も付き合い、やっと結婚の話が出たのだ。
すごく喜んでいたのは、知っていた。
博昭と結婚するって話をした時の、ふたりの表情を思い出す。
喜びと、心の底からほっとしたようなあの顔。
考えて見れば、近くに住む同級生や年下の親戚が次々結婚して子どもを持つようになっても、これまで親から結婚をせかされたことはなかった。
内心ではいろいろ思うこともあっただろうけど、私の仕事や博昭との関係を見守って応援してくれていた。
きっと「はやく結婚したら?」「孫の顔が見たい」なんて言いたかったこともあるだろうと思う。
それでもなにも言わず見守ってくれて、私たちの結婚を祝福してくれて。
博昭が相手なら安心だ、と言ってくれていた。
なのに、これだ。
喜びが大きかっただけに、その結婚が博昭の心変わりでなくなったこと、そのことで私が傷ついていることに、両親は激怒した。
父は特に怒りが激しくて、博昭と直接、話がしたいと言ってきかなかった。
そんなことをしたってどうしようもないのに。
もう博昭の気持ちは決まってしまっているのに。
これ以上、ことを大きくしないで、惨めなだけだから、と泣いて頼んで、父の怒りをなだめた。
あの日も、父は泣いていた。
ぎゅっと握りしめられた手の熱さと力強さを覚えている。
たくさんの言葉を、父にも、母にも、飲み込まさせた。
両親の気持ちは嬉しかった。
同時に、すごく申し訳なかった。
だけどあの時の私は、自分の悲しみで手一杯で。
もうそっとしておいてほしいとしか思えなかった。
結婚のご挨拶をすませていたこともあって、博昭のご両親からも丁寧なお詫びをいただいた。
博昭の心変わりは、あちらのご両親のせいではない。
それは博昭と、新しい恋人、それに私の問題だ。
だけど、もうすぐ義理の父と母になるはずだった二人の顔を見て、何年もつきあいのあるこの方たちとも、もう会うこともなくなるのだと思うと、また悲しくなった。
博昭のお父様は推理小説好きで、おすすめの本の貸し借りもしていた。
古い小説にも詳しいお父様の洞察はするどくて、感想を伺うのも楽しかった。
お母様は私と同じでお料理は苦手で、でも簡単でおいしいお料理を教えていただいた。
「そんな手のこんだものつくらなくても、いいのよ。私より博昭のほうが料理も上手だから、結婚してからも博昭に作らせてもいいんだし」と笑ってくださるおおらかさに、料理の苦手な私は、優しいお義母さまでよかった、と思っていた。
おふたりに、「今までありがとうございました」とお伝えして、私と博昭の結婚の話は終わりになった。
不幸中の幸いだったのは、私たちが結婚することはまだごく親しい人にしか言ってなかったことだ。
私の友人たちは、博昭と面識もあったし、まさかの展開に、両親と同じく激怒していた。
だけど私が「今はもうなにも考えたくないんだよね」っていうと、みんな私をそっとしておいてくれた。
その距離感に救われた、と思う。
それから。
私はあれこれ考えることに疲れて、仕事も辞めた。
もともと終電で帰るのも休日出勤も日常的なブラックな職場で、30歳を過ぎてからは体力的にキツかったこともある。
同僚たちにも博昭と長い付き合いなのは知られているから、その話が出るのが嫌だったこともあった。
なにより、その時はもうなにもしたくなかったから。
幸いお給料はたっぷりいただいていたし、結婚資金に貯めていたお金の使い道もなくなった。
だから、そのお金で、今までできなかったことをいろいろしてやろうって思ったのだ。
何日もだらだら眠ったり、のんびり長編推理小説を読んだり、近くを散歩したり。
お決まりの海外旅行にも、あちこち出かけた。
呆れるほど無為な生活。
だけど、ただただしたいことだけをして浪費していく時間は、たしかに私の心をいやしてくれた。
そんな日々を半年以上も続けて迎えた秋の終わり。
私は、あれほど苦しかった気持ちが、どこか他人事のように遠いものになっていることに気づいた。
第4話に続きます。