「結婚間近にふられましたが、幸せは思いがけず突然やってくる。……いやほんと、予想以上の展開だよ!?」 第5話
(第一話はこちらです)
いくら相手がイケメンでも、目的地が一緒の伏見稲荷なので、あまり話したくないという気持ちに変わりはない。
電車でひとことふたこと会話を交わすのはともかく、降りてからもいっしょにお詣りに行きましょう、なんて展開はごめんだ。
けれど、その後も男がちらちらとこちらへ視線を向けてくるので、気にせずにはいられない。
隣に座っているから、至近距離なのだ。
気になってしかたない。
ナンパとかでは、ないと思う。
それ目的なら、最初に声をかけた時にもっと話しかけてくるだろうし。
そもそも最初に話した時は、男はいかにも人に話しかけるのに慣れているようだった。
こんなふうに、意味ありげにちらちら人を見て、話しかけたいのに話しかけられませんって無言で伝えてくるようなタイプには見えなかった。
親しげでいて踏み込まない距離感は悪くないと思っていたのに、その好印象が崩れていく。
なんでこちらを見ているのに話しかけもしないんだと思うけれど、わざわざこちらから尋ねるのも業腹だ。
大昔、高校の時の英語の授業で、先生が「真の詐欺師は、こちらから話しかけさせる技術を持っている」と言っていたのを思い出す。
いくらなんでも、この人が詐欺師ってことはないだろうけど。
かたくなに男に目を向けまいと本に目を向けるけれど、さっきまでのように本に集中できない。
そうこうするうちに目的の駅についたので、私は素早くバッグに本をしまって、ホームに出た。
男も、続いて電車を降りる。
彼の目的地も同じ場所なのだから、当たり前だ。
けれど男と並んで伏見稲荷まで歩いていくなんてまっぴらなので、早歩きで改札へとむかう。
ICカードで手早く改札を出ると、男もなぜか慌てた様子で切符を改札にいれている。
まさかとは思うけれど、追いかけられているのだろうか。
男の様子にいやな気分になって、前もろくに見ず、足早に駅を出ようとした。
と、そのとき。
『危ないっ』
腕をひかれ、体を後ろにひっぱられた。
その目の前を、車が走っていった。
危なかった……!
心臓がどきどきと、大きな音を立てる。
もうすこしで、車にはねられるところだった。
「ゴメンナサイ、ワタシのセイ……」
腕をつかんでいた男が、大きな体を縮めて、深々と頭を下げる。
「いや、今のは私が悪い……」
前方不注意にもほどがある。
あやうくお正月早々、車のドライバーにも、ほかの初もうで客にもとんだご迷惑をおかけするところだった。
追いかけてきた男のせいも多少はあるけれど、別段追うというらしく追われたわけでもない。
彼だって伏見稲荷に行くのだから、ただ急ぎ気味に歩いていただけかもしれないのに。
『顔をあげて。私が不注意だったのが悪かったの』
まだ深々と頭を下げている男に英語で言うと、男はがばりと顔をあげた。
「エイゴ、ハナセル?」
『それなりに。だから、英語で話してくれていいわ。通行の邪魔になっているから、歩きましょう』
連れだって歩くつもりはなかったのだけれど、おろおろしている男が哀れになって、促した。
実際、大柄な外国人に深々と頭を下げられていると、人の視線を集める。 ガラガラだと思っていた電車にはそれなりに人が乗っていたようで、近くまで車で来たのだろう人も合流した稲荷付近の路上はそこそこの人出があった。
そんな彼らは、お正月早々、大柄な金髪の男性に深々と頭を下げられている私を、ちらちらと横目で見ながら伏見稲荷のほうへ歩いていく。
まだ人はそんなに多くないから通行の邪魔というほどではないけれど、視線にさらされて、居心地はよくない。
ためらう男を再度促すと、男はおとなしくついてきた。
まだ肩を落としている男を気遣って、つとめて穏やかに話しかける。
『助けてくれて、ありがとう』
『いや、……というか、俺のせいだよね? 君が慌てて駅をでようとしていたの』
眉を下げて、いかにもしょんぼりとした顔で言われる。
イケメンにそんな顔をされると、周囲の女子の視線が痛いからやめてほしい。
日本有数の観光地の京都の中でも屈指の観光地である伏見稲荷は、外国人の姿もかなり多い。
けれども男はがっしりとした長身とキラキラしい顔で、女の子たちの視線を集めていた。
隣で歩く私にも、その視線は向けられていて、なんだか落ち着かない。
せめて彼がごく普通の観光客らしく、にこにことしてくれていれば注目度は下がりそうなのに。
面倒くさいな。
なぜお正月早々、知らない男の機嫌なんかうかがわなくちゃいけないんだ。
そういうのが面倒で、早朝から家を抜け出して、初詣に来たっていうのに。
肩をすくめて、さっきよりもすこし冷たく言う。
『心当たりがあるの?』
ますますしょんぼりするかなと思ったけれど、男は神妙な顔でうなずいた。
『ある。俺が、君を見ていたからだろう?』
『ふぅん。あなた、私のことを見ていたの?』
『気づいていたんだろう?』
まるで、口説かれているような会話だ。
彼がいかにもしょげた様子でなければ、勘違いしてしまったかもしれない。
けれど彼の態度はすこしも私の気をひこうとしてはおらず、ただただ申し訳ないとだけ訴えている。
それはそれで、すこしいら立つのは女子の性分か。
無言のまま、視線で話の続きをうながす。
彼は、しどろもどろに言葉をつづけた。
『怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ……、その、君の読んでいた本が、その……』
『本?』
電車で読んでいた本には、カバーはつけていなかった。
凝った帯がついていたが、そちらは家に置いている。
白地に黒でタイトルが書かれたシンプルな本は、そう人の目をひくものではないと思う。
ましてや、彼は日本人じゃない。
おそらく英語が母語の人だろう。
日本語はカタコトだし、話すのは苦手だが読み書きは堪能だということもないと思う。
本のタイトルなどが目に留まったというわけでもあるまいが。
首をひねっていると、男が言った。
『リチャード・ライターは、俺のペンネームなんだ』
『へぇ』
リチャード・ライターは、私が読んでいた本の作者だ。
思わず、自分でも驚くほど冷たい声が出た。
第6話に続きます。