【愛されたいって言えなかった】第5回「ニヒリズムと愛の剣」
「愛されたい」をテーマにお送りしている戸田真琴の連載第2回。毎月、さまざまな角度からテーマについて掘り下げていく予定です。何かの要因で表になかなか出ることのなかった「愛されたさ」を発掘したり、誰かの愛されたさについて考えてみたり、私たちの人生を真綿で締めるようにじわじわと縛っているあの「誰かに(自分が望むやり方で / 満足に / 濁りなく)愛されたーい!」というほぼ実現不可能な巨大願望についてみなさんと考えていけたらと思っています。愛されたかったエピソードも募集したりする時もあるかもしれません。愛されたい!と一度でも思ったことのあるあなた、ぜひお付き合いいただけますと幸いです。
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【愛されたいって言えなかった】第5回「ニヒリズムと愛の剣」
今日も本当に自分を愛してくれる誰かを探して目に付くドアというドアをノックしてみたり一度に開けてみたり逆に何もせず通り過ぎたりしているすべてのウォーリアのみなさん、こんにちは。戸田真琴です。突然ですが、みなさんには、自分がなにか決定的なシーン……真剣だったり、ドラマチックだったり、心から興奮するような熱いシーンの中に置かれたときに、どこかから視線を感じた経験はありますか?そう、例えば……斜め30cm頭上くらいから、ほかでもない自分自身が俯瞰で見つめてくるような、あの感じ。自分が真剣になればなるほど、その真剣さを野次馬のように、あるいは痒い気持ちで見守る肉親のように、ソワソワしながら、「うわ〜、やってるやってるぅ」とでも言うような顔で見てくる、あの「俯瞰の自我」。あるいは自嘲的な自己、あるいはニヒリズム。なんの話をしているのかわからない方もいるとは思いますが、それは幸福なことなのでご心配なく。なんの話かわかる人とは、今回“そいつ”との付き合い方を一緒に考えていけたらと思っています。
冷やかしにくる自分自身
最初に“そいつ”がいることに気がついたのは、いつのことだったでしょうか。私はおそらく小学校高学年の頃でした。これは本来普通にいい思い出なのですが、小5に上がるタイミングで隣の市の小学校に転校した私は、まだ誰とも友達になれないままで、校庭の隅で桜の花びらを拾っていました。遠くではクラスメイトたちが集まって何かを話しながらちらちらとこちらを見ていて、ああ、珍しがられているんだろうな、ばかにして笑っているのかな。と半ば萎縮するような気持ちで地面を見ていたのです。
やがて一人の女の子がこちらへ歩いてきました。ショートカットで背の高い、バスケットボールクラブに所属している子で、クラスの人気者でした。彼女のくつが私の視界に入って、私は、嫌なことを言われるのかな、と警戒して顔をあげずにいました。しかし、そこに聞こえてきたのは、「友達になろうよ」という一言でした。思わず顔を上げると、笑顔と、背景に降る一面の桜が目に入りました。景色がスローモーションに見え、私はすこしどきどきするとともに、照れながら、こくりと頷きました。それからクラスメイトたちは数人ずつに分かれて順番に、でもちゃんと一人一回ずつ、「友達になろうよ」と言いにきました。ずっと春風に桜の花が舞い散って、私の手の中からもいつのまにか消え去って、それはとても美しく印象的なシーンでした。そう、せっかく私の心はドラマチックにときめいていたはずなのに、どこからか「うわあ、漫画のワンシーンみたいだなあ。すごく綺麗だけど、一人ひとり来て同じこと言うのちょっとウケない?台本でもあるのかな。こういうとき私はこういう表情をするんだ、ふーん……」というような声が聞こえてくる気がしたのです。そう実際に言うわけではありませんが、確かにそのような“気がした”のです。漫画みたいでウケるシーンであることは確かなことですが、なんというか、そう言われてしまいますと、今私の髪が風に靡いたこともちょっと面白くなってしまってどうしようもない。みんなはこんなに真剣に、不安げな転校生を思いやる方法を考えてくれたのに、肝心の私が感動するよりも俯瞰カメラで見下ろして他人事みたいにウケているなんて、あまりにもひどいじゃありませんか。
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