「過信するより見縊るほうがタチ悪い。」
〜夜郎自大
井の中の蛙大海を知らず
なんて言葉があり、
自分を過信することは滑稽極まりないわ。
でも、それよりも何よりも
自分を過小評価する人のが酷いわね。
「自分なんて....」
そんな死語を未だに使ってる人、
流石にいないわよね?
出来ること
出来ないこと
出来ないことは何とかするとしてもさ、
出来てることにすら弱音を吐くのは
気色の悪さを感じるわね。
これを奥ゆかしさと捉えるのは
あたしたちの国民性でんす。
嗚呼、勿体なや勿体なや。
人の器ってのは、
己で広げてくもんだとあたしは思うわけです。
チャンスを与えてもらいますれば、
ここぞとばかり張り切ってやっちゃう。
もちろん、無理めのことも自ら欲して
当たって砕けて砕け散って、
木っ端微塵コになっても
清々しいスガシカオよね。
その時に人のキャパシティは
ぐぐぐんと拡張してくのよね。
控えめにで奥ゆかしい人、
あたしは好きよ。
でも、己の能力の高さは
そろそろ認めたほが良さそ。
それぞれが
それぞれの場所で発揮する、
最大限のパフォーマンスでもって
この世界を回してゆければいいのだと思うの。
あたしが時々人に話すこと、
家を建てるってことに例えてみるわ。
基礎工事をやる人、
足場組む人、
柱建てる人、
壁塗る人、
それと同時に
その人たちを支える人が必要よ。
基礎工事の人の好物の
卵焼きを毎日毎日作り続ける人、
足場を組む人の緊張を取るために
優しい気持ちで語りかける人、
柱を建てる人の万年のコリをほぐすべく、
マッサージを施す人、
壁を塗る人の冷えた身体を温めるために
お風呂を沸かして待っている人、
その全てで家は建つのだし、
特別な技術が有ろうと無かろうと
皆んな同じに家を建てたと言えると思ってるの。
人はそれぞれ長けた部分がある。
それをお互いに認めあえる優しいコミュニティ創りが大切になってくるのよね。
やだ、あたし とても良いこと言ってしまったわ✨
〜続く。
....て、これ読み切りだったわ。