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新型コロナウイルス、国際正式名称COVIT-19が中国の武漢で発生し、それが瞬く間にパンデミックを起こし私たちの生活が一変してからもう、なんと、すでに、くぅーーー、とカビる必要はまったくないのだが、1歳半も老いてしまった。僕の貴重な40代の約7分の1、人生を80年とすれば53分の1、秒でいうとなんと47,304,000秒である。
人間が1秒間にこなすことができること
・ 立ち上がる
・ お尻を突き出す
・ 鼻をつまみ、手を顔の前で横に振る
・ おならプー
・ 「くーさー」
この一連の動作を1セット5秒として3,110,400セットこなすことができる時間
と考えると、どうでもいいが、、、
しかし、なにが言いたいかといえば、人間が歳をとることは避けられないという事。
そして、今回は女子ガン無視で男子の話をさせてもらおう。
どんなご批判も受け入れない。なぜなら、僕は女子高生でもオバサンでもなくオジサンなのだから。
男子たるもの、オジサンになってしまう恐怖から逃れることはできない。
ちょい悪オヤジとかではない。ただのオジサン、純“おっさん”である。
ただ、「おっさんになること」には明確な定義は存在しない。
年齢では個体差がありすぎるし、髪の毛の量など見た目で定義するならば
全国のヅラーは“おやじ狩り”からま逃れることになる。
まずひとつの定義としては“オヤジギャグ”ではないだろうか。オヤジギャグというものは、言おうとして、または人を笑わせようとして発しているのではない、“出てしまう”ものだ。言わずにはいられないのであり、口にしないと気持ちが悪いという完全な個人プレー。観客は自分一人の“無観客試合”である。若者にこの“死合い”に耐えられる度量はないだろう。おっさん流石、ガーサスである。
試合といえば“ゴルフ”もある。
「ゴルフ」。これをやるくらいなら死をも厭わずノーロープでロッククライミングをしたほうがマシだと、僕の周りはかなり偏りのある考えを持っている。
駅のホームでの傘スイング。石田純一的肩掛けセーター。自分のみでなく息子の後ろ髪もジャンボカット。馬鹿みたいに前方に球を飛ばす横一線“打ちっ放し”安藤忠雄状態。想像しただけでも危険なスポーツである。
こうなったら完全にオヤジウイルスにやられている。すぐに隔離病棟に入院したほうがいい。
また、“IT問題”。これもひとつの指針になる。ITリテラシーなんてレベルではない“IT問題”である。おそらく、おっさんかおっさんじゃないかの間には非常に大きなITの溝がある。「イット」と読んだならそれはジイサンだ。
ちなみに僕などは、ガールフレンドとお店の予約をする時。スマホをサッ、画面をピピピッ。「プルルルル」「はい104の〇〇です」。。。
オメーは何のために最新のiphone持ってんジャーーーイ、フライングエルボードーーーン!からの三角絞め「ガクッ。。。」
と、ガールフレンドに締めおとされたのは遥か3年も昔の良い思い出である。
あと、ググり方が分からない。検索ワードをなんと入れれば目的のことを調べられるのか、、、
LINEを交換する際、あのQRコードでチョチョいとやるやつは、チョチョいと相手にやっていただく。
SNSは何をするところかが分からない。
とにかくアップデートが怖い。
などなど、iphoneのポテンシャルの1億分の1も使っていないのがおっさんだ。
もう“らくらくフォン”でいいだろう、という頭の声に蓋をして最新のiphoneを買い続ける行為が、すでに“おっさん”をこじらせている。
そして、音楽の嗜好にも“おっさん化”の傾向は表れる。昔は新しいもの、知らないものに飛びついたものだが、そのうち「知らない呪縛」から解放され、すでに好きだったモノ、すでに持っているモノを繰り返し聴くようになり、そのほうが「染みる」ことを悟ってしまうのである。
“未知の感触に感じる者”と“概知の感触に感じる者”ここにも「若者」と「おっさん」の線引きがある。
食べるものも、むやみに新しいお店などには行かない。もう何十年も通うお店で何十回でも同じメニューを食べる。
新しいものへの興味が減り古いものへの郷愁が増していくのである。
このブログでも「例えが古くて分からない」という若者からの苦情の電話が鳴りっぱなしで困っているが、
若者たちよ、ググりなさい!
ちなみにおっさんたちの間では思い出せないことをググらない!というのが流行っている。物忘れがひどくなってきたことへの危機感で、なんでも調べてしまうと老化が早まるという都市伝説によるものである。「えーっと、えーっと、んーなんだっけ、もうちょいで出る出る、やだーもう〜」と完全にオヤジギャルである。
このように書いている僕ですが、おおかたの例にもれず自分だけは“オヤジ”とは無縁だと思っている。いや思い込もうとしている。
何故なら、オヤジとはだんだんと世間から忘れ去られていく存在である。まだ、会社に属していたり、家庭を持っている場合はいい。僕は、48歳水瓶座O型の僕は、両方ともないので忘れ去られ度は非常に高濃度である。
しかもひとりっ子!ヤクルト山田哲人も真っ青のトリプルスリー!!!
多分誰にも知られずにひっそりとオヤジウェイからジジウェイを通過して無に帰するのであろう。知られざる存在。
「しられ猿」という誰にも知られずひっそり暮らす猿を想った。
他にも「しる蚊」「し蘭」など興味関心を持たれなそうな動植物のことを考えて涙がこぼれた。ひとしきり涙を流したら眠くなったので寝た。起きたら次の日のいつもの朝だった。何も覚えていなかった。流石おっさん、ガーサスである。
また、おっさんになるとダチとの会話も趣向が変わってくるものである。
「〜の数値が悪くて、お前どう?」「〜のいい薬があんだよ、お前もどう?」「振り向いただけで首を痛めた、お前はどう?」「ここが痛いあそこが痛い、お前はどこ?」
そして集まり酔いが回れば繰り返される“30年前のあの日あの時あそこで“話。
これが、リアルなおっさんの交友録だ。
個人的な話で言っても、老いることは楽ではない。
朝は不必要に早く目覚め、5分間は腰が痛くてよちよち歩き。酒を飲んだ次の日は若い時の数十倍酷い二日酔いで頭も胃も肝臓も痛い。
そんな朝は、目覚めると毎回こう思う。
「チキショー、まだ生きてる、、、」
老いるのはやはりシンドイものである。
とは言え、おっさんも悪いことばかりでは無い。
おっさんには若者には無いものが沢山ある。
そりゃもうアリアリである。
お金アリ
経験アリ
人脈アリ
リストラアリ
脂肪アリ
抜け毛アリ
腰痛アリ
借金アリ
残尿感アリ
完全な働きアリ
脳味噌モハメドアリ
「。。。」
ナンダカカイテルウチニ、ダンダンダンシニタクナテキタヨ。ソレジャ、ツァイチェン!
オジサンだって生きている〜♪生きているから歌うんだ〜♫
手の平を〜太陽にかざしてみれば〜♪
「シワ!シミ!浮き出た血管!」
ねぇどうしてールルルルル〜
PS
これを読んでいる若者たちよ悲観するなかれ!“老い”とは脂肪や病やトイレに行く回数などが増え身体的には余分なものをたくさん背負うのだが、ただただ無駄に長く生きてきたわけではないのである。心からは余分なものが落ち、ある種の諦観というものが生まれ楽になる。
人生で唯一決まっていることは死ぬ、つまり老いていくということ。
そう考えれば人生はただの夢である。あまりごちゃごちゃ考えずに生きて行こうじゃないか!
なっ!俺
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