捻出する時間の時間以上の付加価値

特にこの界隈の
表立っては言えないような関係の異性がいるような人達なんかは、Twitterで目にする限り自由な時間を捻出することにみんな頭を捻り工夫を凝らしてるんだなってよく思うけど、時間の捻出方法は人それぞれで、仕事の時間内に自由時間を見出だすような人もいれば、自宅には仕事の振りをして会社に休みをとるような人も多いかもしれないし、休日に嘘をついて出ていく人もいれば、そもそもの仕事形態が不規則族は自由な時間を捻出するのはわりと容易いという人もいる。

私の場合は誰かへのアリバイ工作をする必要はなく、時間の捻出に嘘をつかなければならない必要は全くないけれど、時間を捻出するためには単純な時間捻出以外のプラスαを常に考える。

プライベートで人に会うということは
本来はプライベートな時間であるべきなわけで。
その概念で言うと、たまに見かける「営業だから時間自由になります」みたいな、お金貰いながら、有給休暇でもなく、仕事してる振りして仕事しないで会瀬なりセックスって人は私の中では論外。
それは有給休暇でもなんでもなくて、ただの「おサボり」だから私には魅力的に映らない。

仕事は仕事、休みは休みで
仕事を調整して休みをとるなり半休をとるなりは
ちゃんとしてるなって思う(婚外とか不倫のモラルはさておき)。まあそのへんの概念って、自分のいる環境が生み出すものだから、正しいか正しくないかってよりは自分の好き嫌いの話になるけどね。

私はといえば、仕事する振りして仕事しないが可能な職種ではないし、仕事をしなければ無給という完全歩合の職種で(有給休暇のシステムは存在しない)
仕事をせずしてお金を得られることは一切ない。働くも働かないも自分次第で、引き受けるか引き受けないかも自分次第。引き受けないという選択は出来るけど、一旦引き受けた仕事を断ることや、さぼることは今自分のいる場所から抹殺されるくらい覚悟のいること。物によっては可能なリスケでさえ、すごく神経を使う。約束を変更するということは、相手のその時間を単純に変更するだけでなく、宙に浮いてしまう貴重な時間のことも考えるべきで、仕事がなくなってラッキー!とかいう単純な世界ではないから。

自分で仕事を選び引き受けるなんて言えば、かっこいいと思われることも多いけど、仕事をしない日は、仕事を引き受けず断ったか仕事がないかどっちかで、
気持ち的には仕事オフでもオン寄りになりがちだし、結局仕事に行かなくともいつでも即仕事出来るような準備をし続ける仕事の性質上、オンオフはっきりと線引きをするのは精神的にも難しくて、そういう仕事形態の中で、その日を休みと決めるには実は勇気がいる。
数時間なり1日なり数日のプライベートな時間捻出の裏側には、前後の仕事状況、収入状況、体調管理の全てが頭を霞めるし、実際休みを捻出すると決めた後に依頼されて断った仕事のことも当然頭を霞めるのは職業柄というか職業病。長年こんな感じで仕事をしていると、自分のこと、それから相手のことも考えると、プライベートな約束を誰かとすること自体にも慎重にならざるを得ない。

そうやって選択して捻出したプライベートなほんとの自由な時間は、当然仕事より絶対充実していたいって気持ちにどうしてもなる。捻出する時間は、その時間働いて得たであろう賃金がもたらす糧で得られる少しの豊かさなんかより、はるか上回って心まで豊かになる時間じゃないと、仕事すりゃよかったなって思っちゃうから(これも仕事の性質上仕方ない)、誰と過ごすかは当然すごく大事だけど、それだけじゃなくて、その時間をどう過ごすかは私にとってはものすごく大切。相手が男でも女でも、特別な関係でもそうでなくても。そもそもそうやって捻出するプライベートな時間を一緒に過ごそうと思う相手は、みんな特別な存在。そしていつも仕事と天秤にかけてる。「私と仕事とどっちが大事なの!?」な世界よね笑。どっちも大事だからこそ、天秤にかけて天秤がバランスをとれるようにするには、常に中身のクオリティは考えなきゃならない。

よく、好きな人と一緒にいられるなら、どこでもいい、何食べてもいいっていうのを見るけど
私の考えは違うかな。正確に言えば、若い頃はそうだったけど、今は違う。時間は無限じゃない。体力も有り余ってるわけじゃない。大の大人が自由になる時間は限られていて、その限られた時間に会いたい相手とタイミングが合って元気に会えるなんていうのは奇跡に近い。仕事での体調管理もものすごく真剣だけど、プライベートな時間を楽しく過ごすための体調管理もまたすごーく真剣(笑)

そこまでして会うからには、好きな人とだったらなんでもいい、どこでもいい、一緒にいられればいい、じゃなくて、好きな人とだから、大切な人だから、一緒に過ごすことプラス、心をさらに豊かにしたい。だから「適当に」っていうチョイスはあまりしない。適当にノープランで過ごすのもそれはそれで最高の贅沢なのかもしれないけれど、たまにしか作り出せない限られた時間でそう過ごすのはもったいないし、その時間が充実しないリスクも高い。行き当たりばったりでも楽しい時間って、相当お互いのこと知り尽くしてないとそうならないし、適当でも結果的には楽しいかもしれないけれど、心を豊かにするための片道切符くらいは袖に準備はしておきたい。

片道切符の種類はいろいろある。美味しい食事を共に味わうこと、素敵な空間(ホテル)に身を置くこと、自然を一緒に感じること、中には、ただひたすらにだらだらのんびりするとか、少しでも長く体を重ねる、っていう切符ももちろんある。たくさんの片道切符の中に「適当に過ごす」ってのもあって、時にそれが最高に心を豊かにするかもしれない。なんにせよ、心を豊かにする時間(経験)は、心を元気にするし満足度も高い。
別にぎちぎちのプランニングは必要ないし、心を豊かにする=高価というわけでもないから、食事なら赤提灯だっていいわけ。それが相手が用意したとっておきの持ち札ならさ。お互いの持ち札(アイディア)が多い中で、その日にベストなカードを選択するのはきっと楽しいし、そもそもいろんな持ち札を携えている人って好奇心旺盛で鼻が利くから、本当の行き当たりばったりでも不思議と楽しい方向に振れるけどね。
大人の限られた時間で共有する時間は、自然と食事になることが多いから、その舞台になるお店に拘るのは当然の流れだと思うし、食べるものや場所に興味やしなやかな拘りを持ってる人は好き。

結局相手あってのことだから、お互いの持ち札の数とその種類、何を持ち寄って二人で何をチョイスするかで共に過ごす時間の過ごし方は変わってくるけど、なんにせよ共に過ごす時間のために、わくわくするカードを提示できる人は素敵だし、自分もそうしたいし、そうやって過ごす時間が確実に心を豊かにする。

心を豊かにする時間は、季節やお天気や自然がもたらすような、思いがけずもらえる奇跡のギフトのようなものであることも多いけど、その時間をどう充実させて共に過ごす人と楽しむかっていうアイディアとか工夫次第なところも大きくて、それこそが時間以上の、捻出し費やす時間に求める付加価値な気がしてる。