仕事に行けなくなった頃の話など
わたしが仕事に行けなくなったのは新卒で働いた時の話
憧れではあったけど
自分にはなんだか向いていないというか
インターンに行っても???という感じで
習うより慣れろ、なってしまえばやるしかない
やれるようになるかもと思ったのですが
しんどくて
仕事を辞めることより自分で命を断つことが先に浮かび
それが今思うと限界を超えていて
若さゆえ
頑張ることが美学のような気がして
「嫌でしんどいから辞める」のを自分自身が認めたり許可できなかった
周りもその仕事が好きでやっている人としんどくても諦めつつ辞められない人に思えて
相談もできず
秋ごろからだんだんあやしい日々を送り
冬が始まった頃の
ある日とうとう仕事に行けなくなりました
仕事に行けなくなった人を見たこともなく
仕事に行けなくなって人にどう思われるかをそれでも気にしていて
精神科に行き休職
数ヶ月のち回復しきれなくて
とりあえず復帰してこれはダメだ
何年休んでもここから一旦離れなくてはと
辞めるという考えがすっと天から降りてきた感覚があり
辞めました
その後も精神科に通うも薬だけ貰いにいく感じ
薬を飲まなければ夜眠れなかったり
薬を飲むと日中家族がいない時間の数時間は落ち着いて過ごせましたが
家族がいると休めるようで休めなかったようにも思えます
(ほんとうになにもする気力がなくお風呂も何日間も入れなかったり寝たきりでした、サポートしてもらえたことは感謝しています)
気分転換に、と旅行に行っても元気アピールをしていたり
辞めたからには誰とでもいいから早く結婚して見返そう(誰に対して思っていたのだろう)とか
仕事を辞めるという決心ができたことは良かったけれど
今思うとまだまだ人のために生きていてわたしのようでわたしじゃなくて
半年くらい休んで
自分にできそうな仕事を見つけてはじめました
休むというかからっぽになるというのが難しかった
いつも自分を責めて頭の中はぐるぐるしていて
もし当時に戻って何かできるかと考えたら
何もせず休む
家族のもとを離れて療養するというのもよかったかもしれない
今ここ、という意識を学ぶ
辞めたり離れることで自分を守る
具体的にこうしたらいいというのは人によって違うと思いますが
家族や誰かからやたらと体調について聞かれるのはしんどかったし、今も苦手です
仕事に行けなくなることや精神科に行く、ということに偏見をもっている人も多いなと思います
わたしがそうだったことを知らずに「あぁなりたくない」と話してくる人もいたりして、最初はそういう話を自分からするのもしんどくて、けれど最近わたしがそうだったことを話して、何が変わるわけでもないのかもしれないけど
自分の中で少しずつ傷が癒えてきたというか
今どうしていいかわからない人にこんな人もいるということが届くことで
ほっとしたりするのかもしれないとも思うのです
わたしが苦しんでいた頃は個人的な発信をしている人はまだ少なくて
こういうことを公にしている人はもっと少なかったと思います
毎日ネットで検索して何か解決策はないかと思って必死でした
もちろん誰かのそのままを取り入れて解決するのではなく
ご自身のペースやこうしてみようという意思が
自分自身と一致していくと今までと同じに戻るというか
自分として生き直すような感覚が芽生えてくるのかもしれません
その後
薬を飲んでいても変わらないというか薬漬けになるだけ
自己責任で薬をやめて
今に至ります
体調悪いこともありますが
それは本当の姿なのだと思います
きちんとしなければ
枠の中に生きなくてはとか
そうやって元気なふり?誰かに心配されないように笑顔だけど中身は空っぽだったり
というのを辞めて
そのまんまでいることができるようになりました
行きたいなら行く
行きたくないなら行かない
そんなことから自己一致させてみています
なにかグループに属すのではなく
なるべくひとりで行動して
一対一だと互いに会いたい時に会うとかミスマッチが起きにくい気がします
比べれば
ペースダウンしたようで何もないようで
けれども自分を生きている感覚があります
目の前の景色が鮮やかになったような
季節の移ろいを感じながら
自分の浮き沈みと向き合いながら
でこぼこしたわたしを丸ごと
それでこそ自分だと思える
消してしまいたい出来事も過ちも
わたしの大切な一部
今の自分の一部
そんなことを思いながら書きました
続けても辞めても休んでも
あなたがあなたであるということは変わりません