大塚隆史さんに聞く、ゲイと子ども(前編)
こんにちは!Love Makes Family編集部です。
既存のかぞくの形に囚われない、新たな生き方のヒントを発信する次世代WEBマガジン『Love Makes Family』第5回目の連載です。
第5回目となる今回は、新宿にある『タックスノット』のマスターをされている、大塚隆史さんにお話を伺いました。
「#かぞくってなんだろう」をキーワードにお送りしている本シリーズですが、今回も前編・後編の2回に分け、前編では、大塚さんが『タックスノット』で出会ったお客さんとの交流を通して、パートナーとの長期の関係を築くことやゲイが子どもを育てるということに対するコミュニティの意識の変化についてお話を伺いました。
【大塚隆史さん PROFILE】
新宿三丁目のゲイバー『タックスノット』のマスター。その昔一世を風靡したラジオ番組『スネークマンショー』に参加し、ゲイのポジティブな生き方をリスナーに向けて発信。多くのゲイに大きな影響を与え、現在もゲイの良き相談相手として幅広い支持を得ている。著書に『二丁目からウロコ-新宿ゲイストリート雑記帳』(翔泳社)、『二人で生きる技術-幸せになるためのパートナーシップ』(ポット出版)など。
■「タックスノット」での様々な人たちとの出会い
新宿三丁目にあるゲイバー『タックスノット』のお客さんは、9割がゲイの方です。2021年4月でお店は39周年を迎えます。オープンした時から、男同士のパートナーシップを応援することを、店のコンセプトとしてやってきました。
新宿二丁目にデビューした今から50年ほど前は、ほとんどのゲイには「男同士で結婚のように人生を一緒に生きていく」というような発想はなかったように思います。当時、そのような関係を築いて生活している人を誰も見たことがなく、誰かから教えられたこともありませんでした。「男同士で長く親密な関係が欲しい」などというと「何、夢見てんの!」とバカにされるような状況でした。
バーでは、先輩が後輩に、「早く女性と結婚し、できるだけ早く子どもを作って、その後に男の恋人を作ってうまくやるんだぞ」とアドバイスするのは普通のことでした。30歳くらいになると、女性と結婚していくというのが昔は割と当たり前だったんですよね。でも実際、ゲイの人が結婚するっていうことは、何かちょっと、相手を騙しているみたいな、そういう思いもあって。でも結婚したいって言う人にそういうことを批判すると、「でも子どもが欲しいんだよね」と言われてしまう。そう言われると、「はいはい、またあれね」って、そう感じてしまうことがありました。
新宿三丁目にある老舗ゲイバータックスノットには大塚隆史さんの作品が数多く飾られている
■ゲイが子育てすることに対するコミュニティの変化
ただ、最近は昔とは状況が大きく変わってきていると思います。例えば、うちの店にバイトの子がいます。34歳のゲイの子です。カレシとのパートナーシップも5年ほどになっていて、最近「子どもを育てたい」という思いを聞かされました。僕自身は子どもを育てたいと思ったことはないので「あ、そうなんだ。そうなるといいね」くらいの返事をしました。
それを聞いて、昔も「子どもが欲しい」と言ったゲイの人はたくさんいたなと思い出しました。でも30~40年前は、その言葉は僕にとって、ゲイが女性との結婚を正当化させる時にいつも使われる言葉だったのです。
だから、僕はゲイが「子どもを欲しい」と言う度に、ザラっとした気持ちになっていました。「はいはい、女性の気持ちはどうでもいいのね」、みたいな。
けれども、「子どもが欲しい」という話をそのバイトの子がしたとき、自分はその子をはねつけるんじゃなくて、受け入れたいという気持ちになったんです。
なぜなら、うちのバイトの子は、カレシとのパートナーシップの中で子どもを育てたいと言っているのです。子どもが欲しいからと、誠実ではない結婚をしようとしていた人たちとは違うのです。すでに、それが可能なのではないかという情報を持ったからこそ、それがしたいと思っているのです。
■「このようにしかできない」と思い込まされてきた
そのことは、僕自身がいろいろ考え直すきっかけになりました。そうしたら、自分は子どもを持つっていうことをものすごく拒否していたんだなと気づいたんです。自分の幸せを考えていくときに、「子どもを育てるって選択肢がないのが当たり前だ」、「子どもを持ちたいと思ったらもう負けなんだ」みたいな考えが自分の中に住みついているんだってことに気付いたんです。言い方を変えれば、そういう気持ちを持たないように思い込まされてきたのかもしれません。
そうしたら、そういうふうに思い込まされてきたっていうこと自体が、実は大事なものを奪われていたんだということに気づいたんです。それと同時に、そういうふうに奪われたままで当たり前っていう世の中に対して、大きな怒りみたいなものが湧いてきました。
だから、同性同士が子どもを持つことができないような制度とか、結婚という制度に入っていけないということに対して、「僕たちは二級市民みたいなところに置かれていた」という事実に気付いたんです。それで、このことは何とかしなきゃいけないなって思うようになったんです。
2020年1月にスタートした新宿区民の会として新宿区に、パートナーシップを呼びかけた大塚さん
■子どもを欲しいとは思わなかったけど
僕には同性同士で子どもを育てるというビジョンは想像さえできませんでした。
だからこそ、長い時間をかけて「子どもは嫌いだ」という思いを育てて、そちらに近づかないようにしていたんだと思います。言い方を変えれば、僕は子どもを育てるという夢を持つことを奪われていたんだと思います。そういうビジョンを与えられる機会がなかったから。そう思うと、少し悲しくなります。
あえて言っときますけど、僕自身が七十歳を越えた今、子育てをしたいと思ってるわけじゃないんですよ。ただ、子育てをしたいという夢を奪われてきたんだ、ということを強調しておきたいですね。
自分で子どもは欲しいとは思わなかったけど、大好きな男性とずっと一緒にいたいという夢は、子どもの時からずっと持っていました。「いつまでも幸せに暮らしました」というおとぎ話に惹かれていたのでしょう。大好きになるのはいつも男の子なので、「いつまでもいつまでも幸せに暮らす」相手は男の子だと思うのは、なんの不思議はありませんでした。そんな思いをもって大人になってみたら、先ほどお話したように現実はそんなに甘いものではありませんでした。
僕は小学校低学年の頃に、自分が性的に男性に惹かれていることに気付きました。だから、女性と結婚することだけは避けたいとなんとなく思っていました。
高校生くらいになると親は軽い気持ちで「早く孫の顔が見たい」などと明るく笑いながら話していました。僕は結婚を避けるためにも、「子どもを欲しいと思ったら負けだ!」というくらいの気持ちを育ててきたのでした。そのうち自分は子どもが嫌いだとさえ思うようになりました。今となっては、僕は子どもに無関心です。今になってつらつら思うに、そう思うことで自分の「女性とは結婚しない」という気持ちを揺るぎのないものにしたかったのでしょう。
(後編につづく)