娘のカミングアウトをきっかけに社会を変えることを志した
既存のかぞくの形に囚われない、新たな生き方のヒントを発信する次世代WEBマガジン『Love Makes Family』、第15回目の連載です。
今回は、レズビアンの娘を持つ矢部文さんにお話を伺った後編です。
■アメリカには、100%受け入れられなくても、自分のやりたいことをやる風土がある
―日本は、地域文化があるにも関わらず、コミュニティ文化が浸透していないように思います。社会と自分がつながっているという意識が薄く、自分が活動することが社会を変えるということになかなかつながらないように思います。
私は、人間というのは、モデルを示せば学ぶことができると思います。誰か一人でも率先してやれば、それを見て真似してやる人が出てくるのです。
―文さんの活動に対して、横やりが入ることはありませんか?
幸いなことに、ありません。みんな、わぁーっと応援してくれます。日本人の仲間もいるし、PFLAGの仲間もいます。PFLAG NYC-API Rainbow Parentsは韓国人の方が始めた活動で、私が日本人として初めて参加しました。その韓国人の方は周りから「なんで日本人と活動しているんだ?」と聞かれ、「そんな(人種を)選り好みしているような状況ではないでしょ。とにかく(活動に参加する)親が足りないのだから、韓国人に限る必要はなく、どこの国の人であってもよいでしょ。」と答えたそうです。親同士で、危機感を共有しているという感覚的な部分での仲間意識があるのかもしれません。
―どうしたら危機意識を共有できるのでしょうか?私たちの間でも、あくまで自分の課題を解決するために妊活や子育ての情報を求めていて、それを社会にまでつなげようとは考えられない人もいます。どうやったら変えられるでしょう?
アメリカの場合は、敵が非常に分かりやすくなっています。例えば今、アメリカの保守的な州では、トランスジェンダーの子ども達がトイレに行けなくなってしまうかもしれないという瀬戸際になっています。私たちニューヨークの人間は、ニューヨークの州法によって守られているから(関係ない)、では終わりません。私たちの子ども達がそういう地域へ引っ越すかもしれない。そういう見える敵がいると、戦いやすいのかもしれません。
日本ではちょっと前まで、「意識高い系」が面倒臭がられる風潮がありましたが、やっぱり社会を変えていくのは意識高い系の人たちだと思うのです。何かしたい、例えば学校の中でリサイクルを始めたいなんて話をすると、多分日本だと「何あの人、意識高いわね」と言われてシカトされたり、そのまま終わってしまうかもしれない。アメリカの場合は「あぁ、やってみれば」という冷たい感じの反応から、「ぜひ私も仲間に入れて」という人まで、いろいろな意見が出てくると思うのです。100%受け入れられなくても、自分は自分のやりたいことをやるからと言ってリサイクルを始める。そして、それをやらせてくれる風土があるのです。日本の人たちはパーフェクショニストというか、100%賛成してもらえないと無理かも、と思い込んでしまっているのかもしれません。
■他人のことは、そもそも理解できない
―理解できないだろうから周囲にも親にもカミングアウトしない、という選択肢もあると思いますが、それについてはどう思いますか?
理解って何なのでしょうね?私自身、自分のことを多分理解できていないと思います。それなのに他人のことを理解するというのは傲慢な言い方であり、あり得ない、と初めから考えたほうが良いと思うんです。ワークショップをすると、親や学校の先生はどうしたら理解できるのかという話が出ますが、理解は必要ない、と話しています。社会には、たとえ言わなくてもそういう人がいるということだけ理解してもらえれば、LがどうとかGがどうなんていう知識は関係ないと思うんです。レズビアンの人がゲイの人のことを完璧に理解しているということはないでしょうし、ことトランスジェンダーの人についてはニューヨークのゲイの多くにも理解できていない。自民党がLGBT理解増進法案をつくったというニュースがアメリカでも流れましたが、どうしてそんなあり得ないゴールをつくるのかなと思って見ていました。
―ニューヨークでもLGBTQへの差別や嫌がらせは残っているのでしょうか?
私は直接見たことはありませんが、割とよくあるみたいです。たとえば、娘が妻と二人でバーから手をつないで出たときに路上の人から卑猥な言葉をかけられたり、絡まれたりしたことが比較的多くあるそうです。
うちの息子は、「レズビアンの姉ちゃんって気持ち悪い」と同級生から結構言われていたようです。でも息子は、姉のセクシュアリティをきちんと受け止めています。自分の姉は自分の一部だから、姉が侮辱されたらそれは自分が侮辱されているのと同じだ、というスタンスでいてくれていて、私はとても誇りに思っています。
―それはまさに文さんたちご両親の教育のおかげですね。
息子は、かぞくがお姉ちゃんを尊重しているから、自分も尊重してもらえるだろう、とわかったと言っていました。
―親への信頼が構築されていたということですね。
日本人でもアジア人でも、親子の会話が少ないじゃないですか?これが一番のネックだと思うのです。親子で話をしない。中学生になったら突然会話がなくなってそれっきり、というような感じがありますよね。親は威厳を保たなければならない、というような東アジア的な価値観が残っていますし、親が話さないから子どもも話すトレーニングをすることができないのです。今まで「ごはん食べた?」「お風呂入った?」程度の会話しかなかったのに、突然「お母さん、僕ゲイなんだ」とカミングアウトされても、「はあ???」となってしまいますよね。それはゲイだという事実に対する反応ではなく、どうしてそんな大切なことを今まで何も話してくれなかったの?という気持ちによるものです。
子どもが親にカミングアウトする時には、もう少し戦略的に親との会話を増やしてからするというのも1つの方法となるでしょう。PFLAGでは、最初に「ゲイの人のことをどう思う?」みたいな感じで小出しにして、それをリトマス紙にして様子を見ながら少しずつ、という話をします。
普段から会話をして、信頼関係を築いておくことが大切ですよね。そして、子どもを一人の個として見ること。わたしはわたし、あなたはあなた、という形で、早くから子離れをしておくことが重要ですね。
■アライにできることは、声を上げることと居場所を提供すること
―文さんはニューヨークの学校でも働かれていた経験をお持ちですが、多様性という観点において、日本とアメリカの教育の違いを感じますか?
アメリカでも特別な教育はないと思いますが、たとえば学校に貼っているイラストの中に母親二人が子どもと手をつないでいるものがあったりして、それが当たり前になっています。もう一つは、アメリカの白人の方たちはカミングアウトをしている人が圧倒的に多いので、LGBTQの存在の可視化が格段に進んでいます。
その中で、アジア系のLGBTQの存在がなかなか可視化されないことにより、年長の人の中には、アジア系にはゲイはいないと思っている人もいますし、移民としてアメリカに来てアメリカの文化に染まったせいで息子がゲイになった、あんな(LGBTQの)絵を学校に貼っているのが悪いんだ、などと言う人もたまにいます。
―それは極端なこじつけですね・・・。LGBTQの存在が一層可視化されていない日本で、LGBTQの子どもたちを守るにはどうしたらよいでしょうか?
周りが一人でもいいから、あなたは大切だよ、生きている価値があるんだよ、と言い続けることが必要だと思います。かぞくじゃなくてもいいので、例えば学校の先生でも、塾の先生でも、近所のパン屋のおばちゃんでもいいから、誰か一人でも。その子がLGBTQだと分かっていなくても、LGBTQの人たちはここに生きる価値があるんだよ、というようなことを(日常会話の中で)言う人がいたらいいですよね。
―親との関係に悩んでいるLGBTQの当事者が多くいます。今でこそ、親と縁を切る、という選択肢も出てきていますが、親の立場から見てどのようにお考えですか?
親の問題点としては、自分の夢や理想を子どもに投影させてしまうということがありますよね。自分と子どもは違う、という境界線を親が引かなければいけない。親を説得しよう、というのは、理解してもらえる可能性がある場合だったら努力してもよいだろうけれど、努力しても無駄という場合も残念ながらあると思います。だから、そんなに親(からの理解)にはこだわらなくていいんですよ、というのが私のメッセージです。自分の安全を一番に考えてほしい。
―親から理解が得られないのは自分のせいだ、と考えてしまう人もいますが、そうではないと親の立場の方から言ってもらえるのはありがたいです。
悲しいことに、自分の親は、親の親からそういう風に育てられているわけで、負の連鎖で今があるわけです。その連鎖を、当事者のあなたがカットしてもいいんだよ、ということは言えるでしょう。
―子どもがLGBTQということを知って、どう反応したらよいかわからない、という親にはどのような助言をしますか?
本当はアドバイスできるような立場にはないんですけどね。そういう方は、2,3年をかけて教育していくととても良いアライになると思うんですよ。
(カミングアウトした時の)一番最初の反応はあまり信用できないと思います。「私ゲイなのよ」とカミングアウトして、お母さんが「えっ何それ!」と驚いた顔をしても、それは子どもが話したということに対する驚きであり、ゲイという内容に対する反応ではありません。リアクションとリスポンスは違うんです。リアクションは反射的なもので、それが出てしまう可能性があります。「えっ」という言葉と表情のみを捉えて、やっぱりお母さんには言わなければよかったと判断するのは早すぎます。そういう時は少しずつ、例えば3カ月後にまた話をしてみたり、手紙を書いたりすることをお勧めします。手紙だと、その場でリアクションしなくていいから、読んだ親側も安心です。反応を考える時間もありますからね。その方がお互いのためになるかもしれません。
―手紙すら読まない親はどうしましょうか?
放っといてよいと思います。英語だと『Chosen Family』という表現があり、「血」や「家」とは別の概念でファミリーをつくってもよいのではないでしょうか。私の周りにも、自分の親にはカミングアウトできないという子どもたちが数人いて、家でご飯を食べさせたり話したりしています。
―アライにできることは、声を上げることでしょうか?
そうです。声を上げることに加えて、当事者の人たちに居場所を提供することです。
私がアライとして行っているのは、居場所を提供してご飯をつくること、そして、マスコミに変な記事が出たときに抗議すること。力のある人は、活動にどんどん加わっていただきたいと思います。
日本の場合は、当事者のアライに対する気持ちはどうなのでしょう?
―コミュニティができている人かどうかによるでしょうか。自分の周りにコミュニティができている人であれば、その中に、また接するところにアライがいますが、そもそもコミュニティとつながっていない人にとっては、アライというのは自分と関係のない人となってしまっているかもしれません。「当事者じゃないでしょ」「別に認めてもらわなくてもよいし」という気持ちすらあるかもしれません。
私の場合は、Chosen Familyの中でも親しい子とそうでもない子がいます。二重、三重の大きさの異なる関係性の円があり、お互いに自分をどれだけさらけ出せるのかということによってその円の大きさが変わってきます。私は娘には自分のことを100%話しているわけではなく、むしろChosen Familyのパトリックにこそ話していることもあります。
とはいえ、Chosen Familyの中で、私はあなたの母ちゃんではないよ、でも必要な人にはハグしてあげるよ、と言って接しています。娘には、私はもうお母さん要らないから他の子のお母さんになってあげて、と言われていますけどね。
―最後に、文さんにとって「かぞく」とは何ですか?
私にとって、かぞくは力の源です。やっぱりかぞくがいるから、私は活動できる。モチベーションになっているんです。娘・息子がいることも、Chosen Familyがいることも。誰かがいることで私は生かされていて、エネルギーが湧いてくる気がします。
かぞくは、何かをする時の単位としては一番小さな単位だけれど、私にとってそれが基本となっています。