お母さんになりたい!
こんにちは!Love Makes Family編集部です。
既存のかぞくの形に囚われない、新たな生き方のヒントを発信する次世代WEBマガジン『Love Makes Family』、第9回目の連載です。
今回は、えりさんにお話を伺いました。
えりさん
1990年生まれ。東海地方在住。現在、双子子育て中のシングルマザー。
「どんなセクシュアリティであろうとも諦めたくなかった」
小さい頃からの夢である『お母さん』となったえりさん。
子どもを持つに際して生じた母親や元パートナーとの軋轢、葛藤、そして和解と離別、また、双子の育児に奮闘中である現状についてお聞きました。
中学生の頃から女性に惹かれている自分に気づき始め、学生時代から女性と付き合い始めていたえりさん。
自分の中では「今のセクシュアリティはレズビアンなのかバイセクシュアルなのか…ふらふらしているような感じ」だという。
現在31歳、愛知県で1歳の双子の子育て真っ最中だ。
―子どもを持ちたいと思ったきっかけは何ですか?
「きっかけというよりも、小さい頃から子どもが好きで身近な子ども達の世話をしてきて、いつか結婚してお母さんになりたいとずっと思っていました。
自分が女性に惹かれ、女性と付き合う中ではお母さんになるのは難しいだろうと感じていたけれど、諦めたくない思いもありました。
古くからの友達に対しても、『女性と付き合っていたとしても私はお母さんになりたいんだよね』と伝えてきていたので、昔からずっと言っていたことがやっと実現したような感じですね」
―女性同士で子どもを持つに当たって葛藤はありましたか?
「『まず、どうやって?』ということから始まりました。まだ両親に自分のセクシュアリティと女性のパートナーがいることについて伝えていなかったので、『女性と付き合っている』ということと『子どもが欲しい』という二つのことをどう伝えたらいいか悩みました。
きちんと伝えられたのは妊活を始めた頃なので…結構最近のことです。
きっかけは、3年前にこどまっぷさんで開催されたイベントで、そのイベントに行って色々な話を聞いて、子どもを持つことについて本気で取り組もうかなと思って動き出しました。
(2018年2月に開催したイベント)
元々婦人科系疾患の既往歴があって、『早期閉経する可能性もあるから子どもが欲しいなら早めに』と医師から言われていたこともあり、『年齢的なことを考えても早くしないと』と思って、まず両親に自分のことを伝えることから始めました。
幼い頃から親に自分のことを色々話してきたのではなく、あまり相談せずに自分で決めてきたこともあって、直接口頭で伝えるのが難しそうだったので、母親に手紙で伝えました」
―その手紙には何と書きましたか?
「まず、
『自分が女性に惹かれることは普通ではないのは自分でも分かっていた。でも、自分の気持ちを偽って男性と一緒に生きるのは恐らく自分が頑張ればできるし、自分を誤魔化すこともできると思って生きてきた部分もあるけれど、その生き方は違うと思っている。
誤魔化した生き方をする中で生き辛い部分を両親と共有できなかったことが辛かった』ということを手紙に書きました。
あとは、丁度その頃自分の妹も妊娠が判明した時期だったこともあり、タイミングも相まった部分もあります。
妹も妊活の末ではあったけれど、私には妊活を少し試してみたらうまくいった程度に思えてしまって、すんなりとうまくいったように見えていました。
『結婚も、結婚式も、妊娠も、傍目から見たらすんなりとうまくいった妹がいて羨ましく思うし、自分も諦めたくない。自分も小さい頃からお母さんになりたいと思っていたから、自分がレズビアンであろうがどんなセクシュアリティであろうが子どもが欲しいと思っている。自分も子どもを持つために今、動き出したい』ということを手紙に書きました」
―手紙に対する親御さんの反応はどうでしたか?
「手紙を直接渡すことはできませんでしたが、後日母から手紙受け取ったよというLINEが来ました。
母は私のセクシュアリティについて薄々は感じていたようで、『どんなセクシュアリティであろうと私の娘であることには変わらないよ』と言われました。
しかし、数ヶ月後実家に帰った際、『世の中には色々な人がいて悩みがそれぞれあるのは分かるよ。でも、子どもが欲しいとか結婚式がしたいとか言うのは、普通に結婚して普通に子どもを授かることができた妹が羨ましいだけでしょ?
叶わないこともあるんだから、この人生では叶わなかったなと諦めようと思うことも必要なんじゃない?人のことを羨ましがって僻むのではなくて、諦めることも大事なんじゃない?』と言われました。
正直、『何も知らないのに何を言うんだ!』と悔しくて堪りませんでした。
世の中には、実際に結婚して子どもを持っているレズビアンカップルも、家を建ててかぞくを持っているゲイカップルもたくさんいる。
そういう世界があることを知らないまま、自分たちの価値観で『羨ましがっているだけ』とか『諦めなきゃいけない』と決め付けないで欲しいと思いました。
余りに悔しかったので、母にも色々なかぞくのかたちがあることを伝えたくて、無言でこどまっぷさんの冊子を実家に置いて帰りました。
(2019年4月発行したLove makes a family)
実際のところは分かりませんが、恐らく母も読んだのだと思います。
母に、既に自分が妊活を始めているということを伝えると『理解できない』と、ばっさり言われました」
―そのような親御さんの反対に対して、元パートナーの方はどういった反応だったのでしょうか?
元パートナーの方とは、どういった話し合いで子どもを持つことになりましたか?
「当時のパートナーも子どもが欲しいという考えを持った人で、パートナーの姪っ子や甥っ子のことをすごく可愛がっていました。
自分は里親という選択肢はありませんでしたが、パートナーは里親でもいいから子どもが欲しいとの考えを持っていたこともあって、子どもを持つのであれば里親でもいいかな、と二人で話していたのですが、前述したこどまっぷさんのイベントにパートナーを連れて行った際、里親になるのも非常に大変であることを知りました。
また、里親になったからといって自分達が子どもの親になれるのではないのだということを知り、それならば、自分たちで自分たちの子どもを作ろうか、という話になりました。
そして、すぐに妊活を始める手筈を整え始め、自分もパートナーも積極的に同じ方向を見て、子どもを持つために動くようになりました。
今まであまり同性間で子どもを持っている当事者の話を聞いてきたことがなかったこともあり、イメージするとしても具体性に欠けていたのですが、司法書士の方から法律のことなども聞くことができたり、生活を取り巻く様々なことが具体性を帯びて、『あ、そんな難しいことじゃないじゃん!』って、イベントに行って考え方が随分と変わったようでした」
―妊娠が分かった時の気持ちやパートナーの反応はどうでしたか?
「人工授精3回目でできたのですが、血液検査の数値が悪かったので正直期待は全くしていませんでした。
今回もだめだから気分転換をしようとクラブイベントに行って2日間も遊び倒していて、パートナーに自分勝手なことをしないで、と怒られてもいました。
でも、友人の勧めで妊娠検査薬を試してみたら、あろうことか妊娠していることが分かって、泣きながらパートナーに伝えると、『妊活も手伝わないし協力しないって言ってごめんね、一緒に頑張ろうね』と謝りながら喜んでくれ、お腹の中の子どもに対しても『酷い言葉が聞こえたよね、ごめんね』と謝っていました」
―妊娠したことを親御さんへはいつ、どのように報告しましたか?
「安定期に入ったら言おうかな、と漠然と考えていたのですが、つわりが酷く入院することになったり、6週目で双子ということが判明しハイリスク妊娠扱いとなり、分娩も総合病院でしかできないために病院を新しく探す必要が出てきたりして、悩む間もなくこれは早く言わざるを得ないと思い、子どもの心拍を確認した後にすぐに母へ伝えました」
後半に続きます