ひとりこそだて、さんにんかぞく
こんにちは!Love Makes Family編集部です。
既存のかぞくの形に囚われない、新たな生き方のヒントを発信する次世代WEBマガジン『Love Makes Family』、第10回目の連載です。
えりさんにお話を伺った後編です。
えりさん
1990年生まれ。東海地方在住。現在、双子子育て中のシングルマザー。
―パートナーの存在については病院へどう伝えていましたか?
「パートナーについてや妊娠に至った経緯については妊婦検診のときから伝えていましたが、入院病棟が両親と男性パートナーしか入れない規則となっていたため、出産時も再度全て病棟に伝え、通常対応で他の方と同じように対応して頂きました。
書類にサインが必要なときはパートナーでは難しい部分もあり、そこは親に依頼していました」
―出産から退院までの間、何が印象に残っていますか?
「妊娠23週のときに切迫早産で緊急入院して、37週で帝王切開をしましたが、産んだ後は帝王切開後の一般的な入院経過を辿ることができ、子どもと一緒に退院することが出来ました。印象に残っていることはそこからですね、全く覚えていないくらい大変で本当に目まぐるしい生活が始まりました。
新生児は3時間毎の授乳が必要なのですが、なにせ双子なので、24時間体制でずっとひっきりなしに授乳しているような感じでした。
眠れなくて、夜中もほとんど起きている状態で、明け方にようやく少し眠れたりしても子どもが泣いて起こされるような感じで過ごしていました」
―出産後、双子を育てていく中でパートナーとの関係について変化はありましたか?
「入院中からパートナーとの関係はだんだん崩れていき、退院日ですら喧嘩をしていました。
最初の頃は非協力的な態度を取っていた両親が、切迫早産で入院した辺りから心配して色々なことに協力してくれるようになったのですが、そのことがパートナーの気分を害したようで、『今まで酷いことをしてきたのに、何で急に手のひらを返したように協力するんだ、自分は今まで協力してきたのに!』と半ば自分の親への反感みたいなものが徐々に態度に出始めたのだと思います。
また、助産師さんの勧めもあり出産後は数ヶ月間里帰りをする予定だったのですが、長期間実家に帰ることが気に食わなかったようで冷たい言葉を投げられたりしました。
でも、実際にパートナーが側にいることで何か助けになったかというと恐らくそうではなくて、子育て経験者で一緒に子どもの面倒を見てくれる母が側にいてくれた方が十分自分の助けになっていたかなと思います。
育児初心者同士が意固地になって二人で子育てする必要ないよね、と割り切れた部分もあるのかもしれないです。
パートナーとチームになって一緒に子どもたちを育てていくことを望み、二人の関係を修復しようと頑張ったりもしましたが上手くいかず、パートナーと自分の親との関係もどんどん崩れてしまって、今実家を離れるのは得策ではないなと考え、里帰りを延長することを選択したのですが、そのことがまたパートナーの機嫌を損なう結果になったようでした」
―パートナーとの別れを決断するまでの葛藤と、決断の決め手を聞かせて下さい。
「一番の決め手は母の一言だと思います。里帰りから自宅に戻った後は、家事や育児は一人でやっていることが多かったのですが、『辛いけれど、私の我慢が足りないだけだ』と思っていました。
その悩みを母に相談した際、
『二人も子育てしているのに、お母さんは我慢が足りないなんて思わないよ。パートナーさんと別れて一人になってしまう可能性も考慮した上で、覚悟を持って妊活したんだよね?じゃあ世間体とか大変なことはもう気にしないで、胸張ってシングルですって言えるんだったらこっちに戻ってきたらいいんじゃない?』
と言ってもらって、
『そっか、そうすれば自分も楽になるし、子どもたちに喧嘩しているところも見せたくないし、そうしよう』と決心できましたし、『実家に戻ってもいいのか、別れてもいいのか!』と気が楽になりました。
子どもがまず一番だし、それに尽きると思っています。子どものためにも、別れを決断しました」
―別れたことで起きた環境の変化、気持ちの変化はありますか?
「気持ちの変化というよりも、とにかくその頃は忙しくて…。
保育園の入園や引っ越しのことを一人でしないといけなかったので、片付けや書類のことなどで毎日クタクタになりました。
でも、実家だと大人の手はそれまでよりも遥かにあるから、両親に助けてもらえましたし、気持ちは楽になりました。
双子をもつママ友達は夫婦二人で家事や育児を分担して一緒にやっている中、パートナーは家事や育児をやってくれなかったので、ずっと寝かしつけなどは一人でやっていたのですが、一人でやることが苦にならなくなりました。実家に帰る前と後で自分がやっていること自体には特に大きな変化はなかったけれど、自分の気持ちに余裕ができるようになりました」
―パートナーと別れなかったら良かったな、という感情にはなりませんでしたか?
「そういった感情にはなりませんでした。どちらかというとこれからは一人でもやっていかなきゃいけないという思いの方が強くなり、収入面でも色々考えるようになりました。
FPさんに相談して保険の見直しをしたりして一人で頑張っている気持ちの方が強く、これからも一人で頑張っていかなくてはいけないし、子どもをちゃんと自分で育てることができたらそれでいいやと思っていました。
ただ最近は余裕ができて、誰かと一緒にいたりしてもいいのかな、自分のことも大事にしてもいいのかな、と思うようになってきました。
今後のパートナーについても考えるようになりましたし、自分自身のセクシュアリティも揺らいでいることを自覚するようになりました」
―今後、社会や職場に復帰していくことについて不安なことはありますか?
「現実的な話になりますが、子ども二人を保育園に連れていってから仕事に行くことがまず大変なのではないか、と不安に思っています。
具体的には、仕事に行くまでの短い時間に食事や着替えなど朝の一連の流れができるか不安ですね。二人を一気に見てあげることが難しいので、一人ずつだったらもっとちゃんと見てあげられるのにという思いも拭えないです。
お風呂も最近やっと二人同時に入れられるようになりました。
子育てをしていく中で大変なことはどんどん増えて目が離せなくなっていくにも関わらず、自分は一人しかいないので、もう少し手があったらいいなと思う瞬間はたくさんあります。
周りの人達から双子が羨ましいといった声や双子を産みたいといった声をよく聞きますが、そう言われると『いや、双子いいなって言えないよ…』と思います。
ほとんどの確率で切迫早産で入院することが多いし、産まれたら眠れないし、二人なので単純にお金もかかるし、正直なところ、双子いいよ!楽しいよ!とお勧めすることはできないですね」
―こんなに大変な双子育児の現実…これは是非お伝えさせていただきます。
最後にふたつお聞きしたいのですが、まずはえりさんがお子様に伝えたいことはありますか?
「子どもを作ろう、となった時に一緒にいたパートナーとは別れることになったので、自分はある種の離婚を経験したのだと思っています。
その事実があったとしても、すごく望んでできた子どもたちであることは変わらなくて、自分自身も親になって初めて知ったことが多く色々なことを教えてもらったので、二人にはすごく感謝しているよ、ということをまず伝えたいです。
例え何があっても親は親なんだな、と子どもを通して教えてもらいました。
自分の両親も最初は子どもを作ることに反対していて、『まるで理解ができない』と言っていたのに、いまや父が娘の名前を呼んで、『可愛いなあ』と呟いていて、そういったことが何気無い瞬間ではありますが嬉しくて堪りませんでした。
それまでどう言われていてもやはり親は親で、最後には味方になってくれる存在であることは変わらないのかなと思うようになりましたし、自分も子どもたちから見てそのような存在でありたいと思います。
自分の子どもたちは普通とは違う出自であることもあって、これからきっと複雑な気持ちになることもあるだろうし、理解できないこともあるかもしれない。でも、色々なかぞくの形があるんだよ、ということは教えていかないといけないと思います。これは子どもたちが大人になってからではなく、出来るだけ早いうちから教えておきたいです。
少し普通と違うものと出会ったときであっても動じない子たちであって欲しいから、それを伝えていくのが自分の役目なんだと思っています」
―では最後に、えりさんにとっての『かぞく』って何ですか?
『自分の味方になってくれるひと』
『何があっても味方になってくれるひと』
「お母さんになりたい」
小さい頃からの夢だった『お母さん』になって初めて気付いた、かぞくという存在の持つ絶対性。
何があっても味方だよ、という揺らがない思いはふたりに確と引き継がれ、これからもまた同じようにかぞくという味方の輪が増えていく、広がっていく。
「お母さんにならせてくれて、ありがとう」
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