ゆごほくと真っ赤な嘘の話

ゆごほくが好きです。

運命めいたバチバチのシンメが好きです。
ジャニーズの「シンメ」って面白い文化だよなと思います。
たまたま隣で踊ることになった相手が、今後のジャニーズ人生をほぼ決めてしまう、こともある相手なので。

Tokyo Driveを見たとき、辛辣とも思える言葉を口にした北斗に衝撃を受けて、隣で黙ってその言葉を聞いている優吾くんの表情を見て、「な、なんだこの二人は…」となってしまったのがきっかけでした。その後、一万字インタビューを読んでその表情の理由がわかった気がしました。
髙地優吾、なんでそんなに北斗が大切なんだ、と思いました。

それからゆごほくが気になって気になって仕方がなくなって、ゆごじぇインライで優吾くんの予想を裏切って電話に出るわ楽しそうに話すわ二人で舞台観劇に行くわ優吾くんは嬉々として「友達」と呼ぶわお互いの写真をブログにアップするわ二人のユニット曲が発表されるわでハマって怒涛のゆごほくの関係性の変化(元に戻っただけなのかもですが)を目の当たりにして、すごい感情を乱された一年でした。

ここから本題ですが、二人の「真っ赤な嘘」は、ゆごほくそのものな曲だと思います。

優吾くんはパブリックイメージはポジティブだけど、ブログ読んでると時折ネガティブさが顔を出したりするし、頑固だけどどこか繊細で自信がなくて、ソロキャンプとか自然のなかで静かに過ごすことに癒しを求めてたりするので、ポジティブを演じれるネガティブ、という感じがしてます。反対に北斗は、パブリックイメージはネガティブで、自分に自信がないところもあって自分に関する物事を卑屈に受けとるところもあるけれど、自分でもよく言ってるけど根は陽で仲が良い人の前ではお喋りで甘えん坊のザ・末っ子気質という感じ。ポジとネガ逆なのでは?という声もいくつか見かけました。

でも、これは二人の歌なので、北斗から見た優吾くんは、「ポジティブ」なんだろうと思います。

Wink upで北斗は優吾くんのことを「受け皿みたいな人」だと言ってました。優吾くんは誰に対してもそうで、器のでっかい、みんなを受け止められる人だと感じます。

北斗が取り零していくものも、優吾くんは受け止めてくれる。それってどういうことなんだろう、と思っていたけれど、真っ赤な嘘のIN BOXを見て答えの欠片をもらった気がしました。

髙地の否定の言葉から入るんですよ。この歌い方めっちゃ難しいだろうなって思っていたけど、髙地が歌うと「そうだよね、そう言ってしまうネガティブな気持ちも分かるよ。でもね、こんなにも素敵なんだよ」っていうことがあのフレーズに含まれていて。説得力あるものに導く風を生みながら、余白を残しているように僕は感じて、ステキだなと思いました。

きっと、北斗は優吾くんがくれる言葉に対して、そう思うことが今までもあったんだろうなと勝手ながら思ったりして。

北斗がライナーノーツで言っていた「二人の根本にある個性を引きずり出して一曲に詰め込んでいる」という言葉。二人の個性の対比、ポジティブとネガティブの対比にしよう、と素案を出したのは北斗の方だということなので、北斗にとって、優吾くんは「ポジティブ」に置きたい人なんだろうなと思いました。

もしくは、「日々笑顔」を座右の銘にして笑顔とポジティブさを届けるアイドルとして頑張っている優吾くんへのリスペクトもしくはエールや肯定なのかもしれない、と妄想を巡らせたりして。

アイドル髙地優吾の肯定、だと勝手に私は思って、そう思うと真っ赤な嘘がほんとうに宝物みたいな曲に思えて仕方がなくなりました。

以上はゆご担の都合の良い解釈ですが、でもこの曲は二人の個性の対比からつくられた曲なので、真っ赤な嘘そのものが「ゆごほく」を表現しているんだなと思います。

対して優吾くんは、基本北斗にお任せだったみたいだけど、「任せた方がのびのびできるだろうし、センスも信頼してる」とか「自分はつくりだすのは苦手だけど、与えられたものに対して努力するのは得意」と言っていて、北斗への信頼とやりたいこと、表現したいことがあってクリエイティブな北斗と、なんでも受け止めて与えられたものに染まることができる優吾くんの相性の良さみたいなものも感じました。

正確に言えば、もうシンメじゃないのかもしれない。でも、隣で踊るだけではない存在、運命を決める相手、は、きっとゆごほくはお互いがそうなんだろうなと思います。

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