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幸せということ

今日は、仕事納めだが、有給休暇をとった。
今年は、他の同僚よりも一日早く、年末年始の休みに入ることにした。

去年も一昨年も、仕事納めの次の日にも出社をして、仕事をしていた。
もう、会社を辞めるのだから、そこまで頑張らなくてもいい、と思った。
忘年会にも、参加しなくていい。

ゆっくり起きて、洗濯物を干して、のんびりと朝食を食べた。
せっかくの休みだから、出かけたいな、と思った。
買ったはいいものの、あまり出番のない、ミラーレス一眼を片手に、冬っぽい写真を撮りに行こう、と電車に乗った。

しかし、せっかくの一眼で撮った写真は、イマイチだった。
今日は、雲が厚くて日差しが少なかったこと、出かける時間が微妙に遅かったこと、「変な人に見られないか」という自意識が邪魔をして、撮りたい、と思ったところでカメラを取り出せなかったこと、これらの要因が複雑に絡みあい、スマホでも撮れるような、中途半端な写真が数枚撮れた。

これが幡野広志だったならば、いろいろ工夫して素晴らしい写真を撮るのだろう。けれども、私は、幡野広志ではないので、はやばやと、冬っぽい写真を撮ることを諦めて、近くのカフェで暖をとることにした。

カフェの中は、暖かかった。
昼食を食べていなかったので、ハンバーガーとフレンチフライのセットに心惹かれたが、中途半端な時間に、肉汁したたるハンバーガーにかぶりつくのは、周りの目が気になるのでやめておいた。
店が推していたマロンパイとコーヒーを頼んだ。セットで2,000円ほど。なかなか、いいお値段である。
マロンパイは、パイ生地がサクサクして、クリームも甘すぎず、栗はホクホクとして、美味しかった。大して食べたくないものを食べるとき、人は味を冷静に判断できる。

今の会社に勤めたのは2年と少しだ。
なんとか、仕事を回すために、自分一人で闘い続けてきたと思う。味方のフリをする人はいたが、本当の味方は誰もいなかった。
2年、頑張った。
なんだか、相手が変わってくれることを期待して、ダメ男と付き合い続けたが、結局無理で別れる感じと、少し似ている。
この2年はなんだったのかな、と。

でも、なんだかんだで、私はそれなりに幸せだったのだ、とマロンパイをつつきながら、思う。
例えば、冬に出かけるときには、エアコンをつけっぱなしにする。冬の寒い部屋で留守番させることは、猫にとって拷問だからだ。電気代は馬鹿にならない。だが、迷わず、エアコンをつけることを選べるのは、しっかりと収入がある証拠だ。
そしてこの、マロンパイ。
単品で1,600円くらいするものを、私は、躊躇せずに注文しているのだ。

この2年、好きか嫌いかは別として、経営者としてのひとつのあり方を見ることはできたし、人のやっかみ、妬みの怖さ、己の正義をぶつけることが、いかに不毛かであるかを感じることができた。
学びはあるのだ、どこにでも。
それを、次に活かせばいい。

次の進む道は、すぐには決まらないかもしれない。
また、嫌な目に遭うかもしれない。
それでも、いいと思う。
隣の芝生の青さを、羨ましいと感じない限り。
欲しくもないものを、欲しいと勘違いしない限り。
小さな幸せをしみじみと感じて、生きていくだけだ。

そういえば、今年は何度か、神社やお寺に参拝をする機会があり、私はどこでも、「健康で、楽しく生きられますように」とお祈りしていた。
昇進も、結婚も、自分を幸せにするとは限らない、と思っていたから、お祈りはとてもシンプルなものになった。
健康で、楽しい。
大変、結構なことだ。
来年も、「健康で、楽しい」で、よろしくお願いします。

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ルル秋桜
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