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神様のテスト

毎朝、会社へ電車で通勤している。
通勤通学の時間帯は、超満員電車になる路線だ。

コロナの影響で、会社がフレックス制度を導入したので、出勤時間をラッシュの時間帯よりも少し遅めにしている。

だから、私が乗る電車は、座ることはできないものの、つり革を持つことができないほど、車内がぎゅうぎゅうに混みあっていることはない。
ドア横のスペースを確保して立つのが、わたしの乗り方だ。

私が乗る電車には、ある一人のおばあさんも、一緒に乗る。
そのおばあさんは、八十歳手前くらいの年齢で、カジュアルな格好をしている。大体ズボンにスニーカー。背負ったリュックにはヘルプマークのタグ。そして、足が悪いのか、杖をついている。

そのおばあさんが、どこの駅で降りているのか、私は知らない。
私は、おばあさんが降りる駅よりも手前の駅で降りてしまうからだ。

毎朝、おばあさんは、電車でどこへ行くのだろう。
習い事だろうか、病院へ通っているのだろうか。それとも何か仕事をしているのだろうか。

私と、そのおばあさんが乗り込む車両には、優先席がある。
私とおばあさんが、電車に乗り込む時、すでに優先席が満席のことも少なくない。

おばあさんは、杖をついて、優先席の方へ真っすぐ歩いていく。
私は、おばあさんの様子をちら、と見ながら、ドア横のスペースを確保する。そして、祈るような気持ちになる。

大抵、おばあさんが優先席の前に立って、つり革を持とうとすると、誰かが立ち上がって、おばあさんに席を譲ってくれる。
それを見て、私は少しホッとする。

初めはスマホや、自分のことに集中していても、目の前に立っている足の悪いおばあさんに気がついて、席を譲る人がいて良かった、と思う。
いつか、誰もおばあさんに席を譲らない日が来たら、きっと、とても残念な気持ちになる気がする。

電車に乗ると、そういうことを毎朝、神様に試されているように思う。
私たちはまだ、人に優しくできる。
おばあさんが無事に座れたことが確認できると、神様のテストをパスした気持ちになって、心から安心する。

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