孤高の画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)
今年の6月、軽井沢安東美術館へ行った。安東美術館は、理事の安東氏が私財を投じてコレクションした藤田嗣治の作品だけを展示した美術館だ。
細い線で描かれる婦人画。藤田のシンボルである猫の絵。
これだけたくさんの藤田作品を観ることができる美術館は、他にないだろう。本に載っている藤田の絵で、「個人蔵」と記載がされているもののほとんどは、この安東美術館の所蔵ではないだろうか。
藤田嗣治は、ピカソやマリー・ローランサン等が活躍した、エコール・ド・パリと呼ばれる時代にパリで活動していた画家だ。
乳白色の肌が特徴の婦人画で有名になり、日本人でありながらフランスへ帰化し、レオナール・フジタとしてその生涯を閉じた。
私は、藤田の絵も好きだが、彼の生き方が好きだ。
世界に認められた一方で、日本に背を向けざるを得なかった孤高の画家。
彼の人生は、一見華やかに見えるが、暗い影の部分もある。
パリで画家として成功をおさめ、フランス人や日本人と5回も結婚。第二次世界大戦中には戦地へ赴き戦争画を描いた。終戦後にはその責任を問われ日本を脱出、そしてフランスへ。その後二度と日本へ戻ることはなかった。「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのだ。」
藤田が残した有名な言葉だ。
藤田は、筆マメな人で、親しい人にはしょっちゅう手紙を書いている。達筆で、手紙には藤田の書いた可愛らしいイラストが添えられている。
以前、目黒区美術館で行われた藤田嗣治の展覧会で、藤田が妻の君代さんに書いた手紙が展示されていたが、可愛らしい挿絵と、君代さんへのストレートな愛情が綴られていて、読んでいるこちらも楽しくなるような素敵な手紙だった。
私は研究者ではないから、藤田嗣治について、美術館や本で見知ったぐらいの知識しかない。
そんな私が、藤田について思うのは、これだけ波乱に満ちた人生を、まるで大波をサーフィンで乗りこなすがごとく生き抜いて、ユーモアを決して忘れなかったこの人を、とてもチャーミングで素敵だと思う。
晩年、藤田は聖母子像をはじめ、礼拝堂のフレスコ画などの宗教画を描いていく。まるで、自分や君代さんの魂が救われることを祈るように。
安東美術館に展示された聖母子像は、藤田のそういう切実な祈りが感じられるようで、少しせつなかった。
二年ほど前に、新宿のSOMPO美術館で藤田の絵を観たことがあった。
フランスの風景が描かれた小さな絵だったが、なんとなく、日本ぽさを感じた。「この人、やっぱり日本に帰りたかったんじゃないのかな」とふと思った。
いつか、フランスのランスにあるフジタ礼拝堂を訪ねてみたい。
日本人芸術家が、異国の地で最後に残したものを見て、日本人の私は、何を想うのだろう。