立派なボスが欲しい

堀間善憲さんの記事を読んで考へたんですが、
プラトンの国家論でいふ哲人、
徳のある哲人が政治を行ふべし、私利私欲だけの市民たちが行ふ民主主義なんて衆愚政治になる、といふ主張のときの、哲人。
天皇と同じ、共同幻想かな?
民の幸せを願って、先祖の神をまつり、日々祈りたまふ天皇陛下。
未だに、被災地に天皇ご夫妻がいらっしゃると多くの日本人が涙を流してしまふのは、あのお二人を普通の男女と見てない、無私の超人といふ共同幻想を投射してるからです。

プラトンの哲人政治に関しては、保守派とされる福田恆存氏なんかも嘲笑ふやうな口調で触れてたのを覚えてゐます。哲人なんてゐるわけないよ、プラトンは夢想家だ、としてゐました。

でも、要するに、人間が、ボスやリーダー無しでは群れになれないといふ、動物行動学からみた人間の真実であるやうにわたしは思った。

ボスやリーダー。
超人的でありながら神そのものではなくて、神の子孫だとか哲人であるとか、さういふ現実にはゐない存在をカタチとして演じる人間がゐないとヒトの群れはまとまらない。

職場や学校でも、先生とかリーダーとかチーフとかの肩書きの人には、わたしたちは自分たちに無い品性や人格を平気で求める。
自分たちの期待どほりの聖人君子でないといふのが、職場の先輩や上司など対する不平不満の実体だ。
自分たちより高い給料をもらってゐるのだから、と言ったりするが、
給料分の働き
といふことに関しては、上司からも部下に対して物足らなさを感じてゐるかもしれない。

誰もがありのままの自分たちを認めて生きることにしたらいいのではないでせうか?
つまり、誰に対しても幻想を持たず持たせず、真実に生きることにすれば、人の上に立つ人は無理をしないでいいし、人から指図される人は期待外れのための怒りを感じないですみます。
人間社会に共同幻想を引き起こす最大の源は、刑法です。
刑法で禁じられてゐることが、人間のほんたうにしたいことです。ほんたうにしたいことができないから、社会にも他人にも不満が溜まってしまふのです。

刑法が無くなれば、人間はお互ひに幻想を持てなくなります。
互ひに尊敬したり蔑んだりする要因を無くして、
真実の姿を認めて合って生きるしかなくなります。

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