繁殖引退犬のうちのこたちの自己紹介
寂れた海水浴場の人目につかない掘立て小屋だった。
もと建設関係の事務所に使われていたような古いボロボロの建物に、
車が近づくと、けたたましい犬の群れた声。
案内されて、滑りの悪いガラスの引戸を開け足を踏み入れた。
ひどい匂いだった。声も大きく張らなければ会話できない。
獣と糞尿の発酵した匂いの中でくらくらした。
二十畳ほどの空間に、小さな錆びついたケージが壁に沿って3段重ねに積まれ、それぞれに2匹づつ入れられている。
その数5〜60匹はいるだろうか。
ケージの前には手作りのサークルがエリア分けされて作られていた。
小型犬専門のブリーダーと知り合い、里親を探していると聞き数ヶ月、悩み続け、見るだけ…といいながら犬舎に来た。
ペットショップよりも犬種は豊富で、圧倒的な頭数なはずなのに、
見ただけで胸が締め付けられる。
毛並みは悪く、目にかかる毛のせいで顔がよく見えない子もいる。
ケージ内に敷かれた新聞紙の上に、排便し、それを踏み荒らし、中には便を食べている子もいる。
ただガリガリに痩せている子はいなそうだ。最低限の食事は与えられているようで安心した。
ほとんどが牝犬で、年二回の発情期に入ると交配させられる。
事務所の奥のスペースには、ケージ内に毛布が敷かれ、チワワのお母さんが、小さな赤ちゃん達におっぱいをあげていた。
「この子たちは来週、出荷なんです」
ブリーダーさんがにこにこして話すから、私もつられて、かわいいですね、と笑顔になったが、出荷、という言葉に違和感を隠せない。
妊娠できた子は暖かい布団で眠ることができる。だけど、2週間ほどで、子供達は売りに出される。出荷…
子供と離れたお母さんはまた新聞紙の上で眠る。おっぱいを吸われることもなく。
「この子達、交配してもなかなか妊娠しないんです。あとこの子は高齢出産で、死産が増えてきたから…。経費ばっかりかかっちゃって、もしもらってくれるとありがたくて」
トイプードル、パピヨン、ヨーキー、ポメラニアン
4匹がケージから出されてサークルの中でぐるぐる走り回っていた。
「どうぞ、撫でてあげてください。私が普段撫でてあげられてないので、せっかくだから」
サークルに入るとすぐに飛びついてきた。
汚れた爪は伸びきっている。パピヨンの耳には大きな毛玉ができている。ヨーキーは顔が見えないくらい毛が長い。
触って、撫でて、すぐにわかった。
愛に飢えている。
「どの子もいい子なので、好きな子選んでもらえるとこっちも助かります」
ブリーダーさんは大声で言った。
犬の知識のない夫も、犬を撫でていた。
犬の鳴き声の中、夫と視線を合わせた。
車に戻り、市街地へ車を走らせる。
いらない、と言われた犬4匹は、ブリーダーさんがシャンプーをしてくれている。
コメリに着き、犬のケージ、シーツ、フード、お皿、キャリーなど
思いつく限りの必要物品を購入し、家に設置した。
西日傾く海岸線をまた走らせた。
4匹はきれいに、バリカンでカットされていた。丸刈りで別人になっていたが、私達にしがみつくように飛びかかってきた。
この子達も何かを気づいているように。
外の空気、初めての車、初めて会う人間、車中の彼らは緊張しているのか、一言も吠えなかった。
選ぶなんてできなかった。
私は声をかけ、撫で、じゃれたり、走ったり、動物病院に通ったり、
彼らに時間を費やした。
劣悪な環境から少しでも改善できたらいい。
セレブ犬のようにはできないし、愛情も4匹分で希薄かもしれないけど、
繁殖する人生から卒業し、穏やかに過ごしてもらいたい。
私も笑い、心配し、心が潤い、癒されている。
この子達の本音はわからないけど、
冬の寒さに震えることがないように、
お腹いっぱい食べられるように、
清潔でいられるように
当たり前に生きていけるように支えていきたい。最期の日まで。
※動物愛護法が施行され、このような飼育環境は罰せられることになった為、現在は改善されている。