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医事課さん ~困った老人Vol.2~

前回までのあらすじ
医療事務員のまみは、お昼休み、待合ホールにぼんやりたたずむ老人を見かける。
気になり声をかけたまみだったが、実はこの老人、とんでもないクセものだった。



お薬だけの常習犯

老人はお薬だけの常習犯だった。

診察を受けずにお薬だけをもらおうとする患者を、医療事務たちは「お薬だけの常習犯」と呼んでいる。

彼らはたいてい受付時間外や担当医がいない日にやって来る。そして、診察を受けずにうまいことお薬だけをもらおうとする。
「待ち時間が長すぎる」
「採血がこわい。針はヤダ!」
本当はそんな理由で診察を逃れようとするのだが、
「仕事が忙しくて今日しか空いてないの。もう今夜のお薬がないの。」
と、言葉巧みに頼んでくる。

まみの病院では、基本、担当医がいない日はお薬は出さない。
だけど、どうしても担当医のいる日に来れない理由があったり、次の診察までお薬が足りない場合は、少しだけ処方することがある。常習犯たちは、そこを狙ってうまいことお薬だけをもらおうとする。

電子カルテの記録から見るに、川村平治もお薬だけの常習犯の一人らしい。

まみは、ため息をついた。
まみは、この手の人物が苦手だ。だって、なかなかあきらめてくれないし、気弱なまみは、いつもうまく言いくるめられてしまうから。

「どうするの?」
元々クールな愛子様の声が、更にクールに聞こえる。
「薬が欲しいとか言ってる?それとも診察?」
「えっと、まだそこまで聞いてなくて」
相変わらずのんびり屋まみ。
要領の悪さを自覚して、口ごもりながら答える。
「定期受診ならダメだよね。今日は桜井先生予約でいっぱいだから、空きがないよ。診察しないと薬も出ないなら、今日できるのは採血くらいかな。」
理子が診察の予約枠を手早く確認しながら言う。
まみも桜井先生の予約枠を確認してみるが、空きはゼロ。どころか、1時間に5人の予約枠に7人がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。

「さっさと家族呼んじゃえば?」
「定期受診なら今日は無理だから、家族と帰ってもらうしかないね」
こういう時、愛子様は割り切るのが早い。
愛子様は、病院のルールを守らない患者が嫌いだ。
「ルールを守らなければいけないのは患者の方で、病院は慈善事業じゃない」と言うのが、彼女の口癖だ。

まみは、「そうですね」と答えたものの、わざわざタクシー代を払ってまで来た患者をそのまま帰すのなんて申し訳ない、と思ってしまう。だけど、ルールはルールだし、愛子様の言うことは正しい。

「仕方ない。とりあえず家族を呼ぶか。」
まみはため息をつくと、老人患者登録から家族の携帯電話を探してみた。すると、更に良くないことに気づいた。
「患者登録に、家電の番号しかない…」

最近の高齢者は、オレオレ詐欺のせいで家電に全く出てくれない。何度鳴らしても出ないし、自動的に切れてしまうことすらある。
これには病院もとても困っている。検査の結果が悪かったり、病院で重大な感染症が確認された時などは、患者さんの健康を守るために一刻でも早く連絡を取りたい。なのに、相手が電話に出ない。

「でるかな?」
まみは、川村平治の家族が電話に出ることを願いつつかけてみた。だけど、やはり誰も出てくれない。

留守電に切り替わった。そこで、話しかけてみる。
「西岡病院です。平治さんの件でご連絡があります。どなたかいたら、電話に出てもらえませんか?」
だが、誰も出ない。登録住所から同居の奥さんを割出したが、奥さんの患者登録にも家電の番号しかなかった。

「仕方ないじゃん。別にまみちゃんが悪いわけじゃないし」
理子がサバサバと言う。
「家族と連絡が着くまで、待ってもらえばいいんだよ」
そう言われるとちょっとだけ気が軽くなる。

とりあえず、今日来た目的を確認しなくては。
まみは老人のところへ行くと、隣のソファーに腰を下ろした。
「ご家族、電話に出ませんね?誰かお家にいますか?」
だが、老人は答えない。またもや、ぼんやりと宙を見つめるだけ。認知症かな?とも心配したが、名前も電話番号も答えられるし、ある程度しっかりしているはず。ではなかったか?

まみは続けた。
「今日は診察ですか?それとも、急に体調が悪くなったとか?」
やはり老人は答えない。

やっぱり、認知症かな?
まみが不安になったころ、老人がぽつりと言った。
「薬。薬だけもらえばいいんだ」

みんなの心配は的中した。やっぱり、今日もお薬だけだ!

事務室を出る時、理子に言われた。
「定期受診なら、今日は無理ですってハッキリ伝えるんだよ」

まみは、断るのが苦手。せっかく来た患者をそのまま帰すことに、すごく罪悪感を覚えてしまう。だけど、ここは断るしかない。
言わなきゃ。今日は無理ですって、断らなきゃ。

勇気を出して言ってみる。
「桜井先生は、今日は予約外来ですから診察は受けられません。川村さんの場合、診察を受けないとお薬も出せませんから、今日は予約を取って、また後日に来てくださいね。」
断るのが苦手すぎて、ものすごい早口になってしまった!
伝わったか?分かってくれたかな?

老人は答えない。

がっくり。せっかく心を鬼にして言ったのに、もう一度言わなきゃ?困ったな。断らなくちゃいけないのに、まみはなかなか言葉が出てこない。

すると、老人がふいに口を開いた。

「タクシー呼んでくれ。家に帰る」
「え?」
「家内は多分買い物にでも行ったんだ。タクシーで帰るから呼んでくれ」
「呼ぶのはいいですけど、お金は?」
「ない」
「家の鍵はあるんですか?」
「ない」
「じゃあ、帰れないじゃないですか?」
「帰ればなんとかなる」
本人がそう言うからには、まみに止める理由はない。ましてや、今日は診察も無理だ。後日、出直してくれるならその方がいいに決まってる。
まみは事務室に飛び込んで、にこにこタクシーを呼んだ。

老人に付き添って待っていると、にこタクはすぐにやって来た。
やっとトイレに行ける!それにわりと素直に帰るみたい!
まみは、解放される喜びでいっぱいになりながら、それでも一応念を押した。
「必ず電話で予約を取ってくださいね。今日は桜井先生は診察できませんからね。」

老人は理解したのか、しないのか、相変わらず宙を見つめたまま、フワッとタクシーに乗り込んで行った。

「よかった~」
まみはやっと安心した。心配で声をかけてしまったが、とんでもなく長い時間がかかってしまった。それに、あまりワガママ言わなくて良かった!

ほっととしながら事務室に戻ると、愛子様が声をかけてきた。
「まみちゃん、お昼は済んだの?」
「今から行きます!その前にトイレ!」
まみは明るく駆け出した。
この後、あの老人が戻って来るとも知らずに…。

Vol3. へ つづく… 








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