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第1章:霧の招待状

冷たい11月の風がビルの隙間を吹き抜ける中、田嶋涼は、いつものように編集部の片隅でデスクワークをしていた。彼の仕事は「都市伝説や怪奇現象を取材する記者」という一風変わったものだ。荒唐無稽な話に振り回される日々だが、それでも新たな謎に触れるたび、胸の奥が熱くなるのを感じる。
「田嶋、また変なネタでも拾ったのか?」
同僚の吉村が声をかけてきた。デスクの上に散らばる資料を見て、半ば呆れたような表情だ。「まあな。信じるかどうかは読者次第だが、最近ちょっと興味深い話を聞いたんだよ。」
田嶋は微笑みながら資料の山から一枚の紙を取り出した。それは「霧深村」という名前がかすかに記された古い手書きの地図だった。
「霧深村? 聞いたことないな。」
「当然だ。地図にも載ってないし、政府の記録からも消されているらしい。だけど、都市伝説好きの間じゃ有名だ。『村全体が霧に飲み込まれ、住民が一夜で姿を消した』って話だよ。」
吉村は肩をすくめた。
「どうせまた、ありもしない怪談だろ?」
「かもしれない。でもな、こういう話には必ず“何か”がある。そう思わないか?」
田嶋がそう言った矢先、編集部のドアが開き、郵便係が一通の手紙を持って現れた。
「田嶋さん宛です。」
差し出されたのは、どこか不気味な雰囲気を纏った古びた封筒だった。宛名は手書きで、差出人は書かれていない。
「何だこれ……?」
田嶋が封を切ると、中にはさらに古びた紙が入っていた。広げてみると、そこには霧深村と思しき場所を指し示す地図と短いメッセージが記されていた。

「霧深村――真実を知りたければ来るがいい。ただし、戻れるとは限らない。」

その文面に思わず眉をひそめる。
「なんだこれ、宣伝か?」
吉村が顔を近づけて覗き込む。
「いや、これは……」
田嶋の声が低くなる。文面の紙質や字体は、いたずらで作られたようなものではなかった。むしろ、何十年も前に書かれた本物の資料のような趣を感じる。
「これは本物だ。」
田嶋は地図をじっくり眺める。そこに記された場所は、彼がかつて耳にした霧深村の噂と完全に一致していた。
「まさか、こんな形で来るとはな。」
田嶋は立ち上がり、コートを手に取った。
「おい、どこ行くんだよ?」
吉村が驚いて尋ねる。
「ちょっと取材だ。これが本当なら、絶好のネタになる。」
「冗談だろ。そんな怪しげな地図一枚で動くのかよ!」
「だからこそ行くんだよ。真実を確かめるのが記者の仕事だろ?」
そう言い残して、田嶋は編集部を後にした。
数時間後、田嶋は地図に示された最寄りの地方都市にたどり着いていた。彼が最初に訪れたのは、小さな図書館だった。そこで霧深村について調べるうち、噂に詳しい図書館員の存在を耳にした。
「すみません、蒼井奈津子さんという方を探しているのですが。」
カウンターで尋ねると、奥から茶髪を後ろで束ねた女性が現れた。落ち着いた表情と知性を感じさせる瞳を持つその女性こそ、奈津子だった。
「私が蒼井奈津子です。霧深村について話を聞きたいそうですね?」
奈津子は静かに田嶋を観察するような目で見つめた。
「はい。都市伝説の取材でして……その村について知っていることを教えていただけますか?」奈津子は少し考え込むようにしてから、こう答えた。
「あなたもその村に興味を持ったのですね。でも、忠告しておきます。霧深村はただの伝説ではありません。あの場所は、“何か”を引き寄せる力を持っています。そして一度足を踏み入れれば、何かを失うことになる。」
「何か、とは?」
「それは人によって違います。正気かもしれないし、大切な記憶かもしれない。そして……場合によっては命さえも。」
その言葉に田嶋の心がざわついた。それでも、後戻りするつもりはなかった。
「分かりました。その覚悟で行きます。」
奈津子はため息をつき、棚の奥から古い地図と手記を取り出した。
「この手記を持って行ってください。村についてわずかに残された記録です。ただし、読む前に覚悟を決めてください。霧深村は、“選ぶ”んです。その地に入る者を。」
その言葉の意味がわからぬまま、田嶋は手記を手に取り、霧深村へ向かう準備を整えた。
どこか遠くから、低く耳鳴りのような音が聞こえた気がした。それが村からの呼び声だとは、この時まだ気付いていなかった。



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