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解体の歴史

序章

解体工事と一口に言っても、その歴史は長く、時代とともに技術や方法が大きく変化してきました。建物の構造が進化するにつれて、解体のやり方も進歩してきたのです。ここでは、解体工事の歴史を振り返りながら、その変遷を紹介していきます。

江戸時代:破壊消火の時代

江戸時代(1603年~1868年)では、建物のほとんどが木造だったため、火災が頻繁に発生しました。そこで「町火消(まちびけし)」と呼ばれる消防組織が活躍していました。その消火方法の一つに「破壊消火」があり、延焼を防ぐために建物を解体するというものです。この時代の解体工事は、火災を防ぐための手段として行われていたのが特徴です。

明治時代:解体業の誕生

明治時代(1868年~1912年)になると、大工や鳶職が建物を解体する仕事を請け負うようになり、解体業者が登場しました。当時の建物は主に木材で作られており、解体した資材を再利用するのが一般的でした。そのため「壊し屋」と呼ばれる業者が、釘一本まで丁寧に解体していたのです。むしろ、解体業者がお金を払って建物を解体し、回収した資材を販売するというビジネスモデルが成り立っていました。


昭和初期~戦時中:組織化と技術の進化

昭和初期には、解体業者が徐々に組織化されていきました。戦時中の昭和17年頃、東京の区画整理を目的に解体業が行政によって本格的に動き出し、この頃に「解体」という言葉が生まれたと言われています。また、昭和26年には酸素ガス切断やハンドブレーカー(45kg)などが導入され、解体作業の効率が向上しました。

戦時中の解体業 戦時中(昭和 17 年頃)、国の行政より「壊し屋の組合をつくり火事防止のために東京を区画整理する」という案が出された。当時の小熊初太郎等他 3~5 名の壊し屋は、 警視庁の課長室に呼ばれ、そこで組合立ち上げの会議がされた。その場には警視庁関係者や軍の上層部が何名もいたという。行政側は、壊し屋は土方や人足のように荒々しく壊すと思っていた。そうではないことを証明するために、 壊し屋達は会議の場であった警視庁の課長室を解体し、即座に元通りに組みなおしたという。 その手際の良さや仕事の丁寧さに感心した軍 は、壊し屋組合では格好がつかないということになり、他の名前を模索した。そこで、軍の大佐が体を解すという意味を込めて「解体」と名付けた。ここで初めて「解体」という言葉が生まれたという。そして、壊し屋の組合は「東京解体協同組合」という名前で発足したのである。 東京解体協同組合が発足してからは、解体業社は軍の管轄による仕事も行った。 その中でこんな話がある。ある建物の解体を 頼まれた時、いつまでたっても外観の解体が進まないことに腹を立てた軍人は装甲車で建物に体当たりし壊そうとした。しかし装甲車は建物にすっぽりはまってしまい身動きひとつ取れなくなってしまい余計手間がかかり解体が遅くなってしまったという。

日本大学生産工学部第42回学術講演会(2009‐12‐5)

昭和後期~平成初期:重機の登場

昭和38年には「スチールボール工法(モンケン)」が登場しました。クレーンに巨大な鉄球を取り付けて建物を壊す方法で、映画や事件の映像にも登場するほど象徴的な工法となりました。特に1972年の浅間山荘事件では、モンケンが使用されたことが記録に残っています。


浅間山荘事件 モンケンによる突入

その後、大型の油圧ショベルに「大割」や「小割」といったアタッチメントを取り付けることで、手作業から機械作業へとシフトし、解体工事の効率が大幅に向上しました。

現代:安全性と効率化の追求

① 足場の変化

20年前までは、木造建築の解体時に丸太足場を使っていましたが、現在では鋼管足場が主流となり、安全性が向上しました。

② 作業服の変化

昔ながらの「ニッカポッカ」は、今ではスリムで伸縮性のある作業服に置き換わり、動きやすくなりました。

③ 労働安全対策の強化

現場では、走ることが禁止され、30kg以上の重量物は二人以上で持つことが義務付けられるなど、安全対策が強化されています。

④ コンプライアンスの強化

以前は、有害物質(フロンガスやPCB)の処理がずさんだった時代もありましたが、現在では厳しい規制があり、適切な処理が義務化されています。

⑤ 大手ゼネコンの参入

7~8階建ての建物の解体も、今では大手ゼネコンが関与するようになり、安全管理がより徹底され、事故が減少しました。

⑥ 社会保険加入の義務化

昔は、社会保険に未加入の職人も多くいましたが、現在では未加入者は大手ゼネコンの現場に入れなくなり、職人の生活基盤が安定しました。

⑦ インボイス制度の導入

2023年に導入されたインボイス制度により、一人親方の負担が増え、解体業界にも影響が出ています。今後、一人親方の数が減り、大手企業による施工が増えていくと予想されています。

⑧ 超高層ビルの解体

近年では、超高層ビルの解体が始まりました。従来の方法では対応できず、大手ゼネコンが新しい解体技術を開発しながら施工を進めています。今後、さらなる技術革新が期待されています。

まとめ

解体工事の歴史を振り返ると、時代とともに技術やルールが進化してきたことがよく分かります。江戸時代の「破壊消火」から始まり、明治の「壊し屋」、昭和の機械化、そして現代の安全管理強化まで、解体工事は大きな変革を遂げてきました。

これからの解体工事は、環境への配慮や効率化がより求められる時代へと進んでいくでしょう。特に超高層ビルの解体技術の進歩は、今後の業界を大きく変えていく可能性を秘めています。

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