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【映画感想】『英国式庭園殺人事件②』

○17世紀オランダ絵画の風景画

 『栄光のオランダ・フランドル絵画展』に行った一番の目的は、やはり目玉の 『画家のアトリエ(絵画芸術)』が見たかったからであったが、初めて自ら積極 的に見に行った絵画展であったので、他の作品からの刺激もまた多々感じられた。
 特に興味を感じたのは、この絵画展の中でも比較的多く展示されていた風景画 であった。魅入った風景画の多くは、フレームの大半が空で占められていた。そ の空と陸地を占めるバランスに自分はまず惹かれた。
 日本人がよくイメージする、晴れ晴れとすっきりとした真っ青な空、もくもくと した白い入道雲が描かれているものは一枚とてなく、どの絵にも白とグレーの微 妙で絶妙な配合の巨大な入道雲が空を覆っていた。陸地には自然や人形のような 人間の姿がこと細かく繊細に描かれている。空間が、そこに描かれている世界が スーっと広がっていくようであった。
 これらの絵は、この絵画展の中でも「17世紀オランダ絵画」として分類され展示 されていたもので、サラモン・ファン・ライスダール、ヤーコブ・ファン・ライ スダール、イサーク・ファン・オスターデ、ルドルフ・バックハイゼン等の絵に 感銘を受けた。
 それは丁度、映画やハイビジョン映像等ジャンルを問わずに自分が見たいと願っ ていた世界のように感じた。
 単なる偶然とは言え、風景画は17世紀オランダ絵画の一つの特徴として挙げられる。
 16世紀、オランダを含む現在のベルギー、ルクセンブルグの辺りはネーデルラ ンドと呼ばれていたが、スペインの統治下に置かれていた。1579年北部7州がユ トレヒト同盟を結成し、独立への闘争を開始。1609年には休戦条約の締結によっ て事実上の独立を獲得し、さらに1648年のウェストファリア条約によってネーデ ルランド連邦共和国(現オランダ)が成立した。
 それまでネーデルランドの経済、文化の中心は南部地域(現ベルギー)であった が、中心都市であるアントウェルペン(アントワープ)がスペインの手に落ちる と、そこの人と情報や技術がアムステルダムへ移っていった。連邦共和国が成立 した頃には、アムステルダムは北部ヨーロッパ最大の経済力を誇り、オランダの 経済的中心となっていた。その経済を支えたのが海上交易と商業活動で、1602年 に設立するオランダ東インド会社はその中心であった。
 経済の発展は都市の商人階級のみならず、かなり広範な職人階級も豊かにしたよ うであり、彼等は過剰資本の投資先として絵画作品を選んだ。
 それまで絵画や一連の美術作品は王侯貴族か教会からの依頼がほとんどを占めて いた。しかしローマ・カトリックを信奉するスペインとの長い戦争の為に、多く のオランダ人はジョン・カルヴァンが提唱したプロテスタンティズムに改宗して いた。
 カルヴァンの旧約聖書の解釈によれば、絵画を含む宗教的な図像は、教皇による 偶像崇拝であるとして一切が非難されるべきものであった。プロテスタンティズ ムは政治的な自由の獲得と同一視され、その教えはネーデルランドに図像破壊を もたらした。そういった背景もまた一般市民に絵画を身近にもたらした要因であ った。
 一般市民に解放された絵画は身近な情景を写実的に描く静物画や風景画、風俗画 が好まれて描かれていくようになる。これには当時の科学的認識―特に光学の研 究の進展とも関連していると云う。
 また当時、オランダは地図学においても黄金時代を迎えていた。それは『画家の アトリエ』に描かれている壁地図からも読み取れるのだと云う。
 支配国からの独立、偶像破壊、経済の発展、光学や地図学に代表される新たなる リアリズム、17世紀オランダ絵画はそういった時代の空気を鋭敏に感じ取り、偽 りのない、世界のあるがままの姿を写し取ろうとしたのではないだろうか?
 オランダ絵画の発展は、支配国からの独立という点では、ネオレアレスモの誕生 と似通っているように感じる。支配や弾圧が及んだ時、人々は自らの足元を見る ようになる。本来あるべき世界や、あるがままの世界、真実の在り方を見つめ直 し、捉え直してみようと思うのだろうか?
 だけれども自分が問題にしていたあるがままの姿というのは、ハイビジョンやオ ランダ絵画が映し、描いているものに近いのだと思う。自然なら自然、建物なら 建物、静物なら静物、人なら人、動物なら動物―そこに生きる暮らしぶりや社会 等、そういったものは全く排除した、純粋に目に見える、物の本質だけの姿―そ れはやはりネオレアレスモやドキュメンタリー映画とは一線を画すものだと言え るのだろう。

○『オランダの光』

 17世紀オランダ絵画に対する興奮がまた冷め止まぬ時期、オランダ絵画を取り上 げたドキュメンタリー映画『オランダの光』が公開された。
 この時になっても絵画に対する抵抗(どこかで高尚なものというイメージがある らしい)は抜けずにいたが、広大な空の空間と白とグレーの入り混じった巨大な 入道雲の世界が忘れられずにいた自分は『オランダの光』を観に出かけた。
 映画の題名にある"オランダの光"とは、フェルメールやレンブラントら17世紀 オランダ絵画の巨匠たちが遺した傑作の源になった独特の陰影を持つオランダの 自然光のことと言われてきた。しかし現代美術家ヨーゼフ・ボイスが1950年代に 行われたザイデル海の干拓によってその光が失われてしまったと指摘した。
 映画はそのオランダの光とは何か?本当に実在したものであったのだろうか? ということを様々な人の証言や実証を基に追及していく。
 監督のピーター・リム・デ・クローンはオランダのある風景の中に定点観測地を 定め、その地点の1年間の風景を何十回にも及び映し出す。そこには広大な空の 空間と、一本の土手道、それに水辺が映し出されている。これと言った特徴があ る訳でもなく、どうという風景ではないが、どこかで『栄光のオランダ・フラン ドル絵画展』で記憶に残った風景画を彷彿させた。
 そこで映し出された風景には確かに晴れ渡ったピーカンの大空という時はなく、 あたかも山の気候のように変化の激しそうな天候が毎回映し出されていた。
 映画は終盤、ある実験を行う。それは水槽をオランダの空に見立て、水槽の底 にはザイデル湖に見立てた鏡を置く。周りを暗くし上から太陽光を見立てたスポ ットの光を当てる。水槽の水の中で太陽光はその光源をはっきりと映し出す。そ の光は鏡で反射する。つまり太陽からの直射光とザイデル湖からの反射光で光は 独特の輝きを創り出しているのだ。これが―オランダ独特の光だと言う。
 その光がオランダ特有の広い平野と融合し、また運河などの多いオランダの環 境も影響し、天候の変わりやすい独特の気候を生み出すのだと言う。
 支配国から独立し、新たなリアリズムに目覚めた当時のオランダの風潮にあっ て、世界を見つめ直し、庶民を見つめ直し、身近なものを見つめ直し、現実をこ と細かく描写した当時の画家の眼力、描写力は目に見えない光の姿をも写し出し ていたのである。
 ましてその光は太陽の直射光と水の反射光とが入り混じった、反響し合うエコ ーのような複雑な光である。その光が世界を照らす―。自然を照らし、人々を照 らし、動物を照らし、建物を照らす。そしてその建物の窓から部屋の中へ淡い光 を注ぎ込む。そこでもまた部屋の様々な静物を照らし出す。
 『画家のアトリエ』はそんな世界を描くだけでなく、さらなる画家の欲望に煮 えたぎった絵なのではないか―曲がりなりに、オランダ絵画について考えていっ た自分は、ふと今、そんな気がしたのである。
 この絵には多くの寓意がこめられているのだと云う。
 モデルとなっている女性は芸術家に霊感を与える古代ギリシャの歴史を司るミ ューズ、クリオがイメージされている。クリオを絵の中心に捉えることにより、 画家にとっての歴史の意義を強調する。歴史画は他の絵画のジャンルに勝る最も 高尚な芸術形式とされていた。
 フェルメールの風俗画はそれとはほど遠い位置にあるように思われるが、彼は歴 史画の画家としてスタートし、その理念に執着していたという。しかしフェルメ ールの時代、絵画市場の拡大が絵画の値段を下げた。おそらくフェルメール自身 であろう画家に、自分の生活水準以上の壮重な衣装を着せ、高尚な歴史画の描写 に勤しむ姿に、画家としての誇りを刻み込もうとする意図が見えなくもない。
 壁にかけられている地図はこの時には既に時代遅れのものであるが、フェルメー ルが培ってきたネーデルランドの地を象徴するものである。それはネーデルラン ドの地図学を始め、進歩した諸々の文化をを象徴し、部屋の中央に吊るされてい るシャンデリアはドイツ帝国に支配されていた歴史を物語っているのである。さ らに専門家でなければ解らない様々な絵画の技法が駆使されている。
 だからやはりこの絵はフェルメールが、誰かの為に描いたのではなく、画家とし ての己の欲望、己の誇りを満たす為に描いた作品と言っても過言ではないのでは ないか。故にフェルメールが死去するまで手元から離さなかったのではないかと 考えたりもするのである。

○支配する試み

自分がこの『画家のアトリエ』を見て、何故本物を見たいという欲望にかられ たかと言えば、この絵にグリーナウェイを見たからである。あの構図と対象の捉 え方にグリーナウェイの世界を感じたからである。
 今回、『英国式庭園殺人事件』の作品評を書くに当たって、グリーナウェイの文 献を改めて読んでみると、実はグリーナウェイは絵画では17世紀オランダ絵画に 一番影響受けているのだというので驚いた。『ZOO』ではフェルメールの絵を 大々的に取り入れたりもしている。『画家のアトリエ』を悪趣味に再現しようと しているシーンもある。
 だけれども『ZOO』を初見した時には、全く絵画には興味がなかったので、 『画家のアトリエ』を見た時、真っ先に連想したのは『英国式庭園殺人事件』の 画家の姿であった。着ているものは全く違うが、その雰囲気や優雅さにおいて共 通のものを感じた。
 さらにその画家の視点―。
 それは美しいものを見、捉える視点である。その美しきものは魅惑的で甘美、 だけれども非常に危険と紙一重なもの。画家はその美しきものを一枚のキャンパ スに収めようとする。それは言い換えると、キャンパスに描くことによって美し きものを自分の中に支配する試みである。

 「ネヴィルさん、頭のいい人はよい画家にはなれないものよ。画家はある部分 盲目で、現実をすべて把握していない。頭のいい人は目に見える以上の事を知る」

 17世紀オランダ絵画は、総体的に目に見える事物や実景を目に見えるがまま描 き出すのが特徴であった。フェルメールはよい画家だったのかもしれない。目に 見えるあるがままの世界を、複雑な光の世界をも克明に描き出した。
 しかし『画家のアトリエ』はどうであろうか?フェルメール自身がそこに描かれ ていることによって、どこか危険な香りが漂うのである。前述したように、この 絵には様々な寓意と、フェルメールの画家としての高度なテクニックが詰まって いる。商業画家としてでは無意味で用いることのないテクニックも使用されてい ることであろう。
 キャンパスに描くということは、描こうとしたそのものを支配する試み―だと すれば、モデルの美しき少女に月桂樹を被らせ、トランペットと歴史家ツキジデ スの本を手にさせたことによって、純潔な美しさと気高さを備えた神話の女性を自 分の中に支配しようとしているのではないか。さらに地図やシャンデリア等で自分 が生きている国や世界の象徴を描くことで、画家としての自分の気高さをも表現し ているのではないか。そして立体感のある本物と見間違うほどの優雅なカーテンを 前景に描き、劇のような空間に見立てることによって、彼の本心―欲望を、垣間見 る、あるいは覗き見しているような世界に自らの姿を飾ってしまった。そのことに よって、フェルメールはそれらを支配しようとしたのではないか?
 それは芸術と紙一重、危険と紙一重のように感じるのは自分だけだろうか?
 では『英国式庭園殺人事件』の主人公、ネヴィルはよい画家であったのだろうか?
 何よりもまずスクリーンに映し出される絵で、彼の画才が測られてしまう。手 法によっては実際に絵を見せずに、映画を進行させることも可能であった訳であ る。そうであれば実際に上手いのか下手なのかは、映画の流れから観客の想像力 の中で育まれる。しかしグリーナウェイはネヴィルの絵をスクリーンに映し出し た。こうなると逃げも隠れも出来ない。映し出された絵でその画家の力量が露呈 されてしまう。
 この絵がまた微妙な出来映えなのである。上手いことは上手い。しかし、何か 物足りない感じがする。この絵はグリーナウェイ自身が描いたものであるが、そ の微妙な出来映えにおいてこれ以上はないという絵の仕上がりであった。

 「そして知ると見えるという事の間に閉じ込められ、真実の追究ができなくなる。 彼の知った事だけでなく、注文主の知ってる事まで描き込まなければならないから…。 ですからあなたが本当に頭のいい方で、それほどの画家でないなら、絵の中の 証拠から筋書きが考えられるはず。一方、あなたが噂通りの才能のある画家なら、 私が教えた品々は、あなたには何の意味も持たないでしょう。犯罪の香りも…」

 サラの言葉はそんな微妙な画才のネヴィルの立場を示唆しているかのようであり、 同時に彼を挑発し、母のハーバート夫人と同様に密会へと誘うのである。
 ネヴィルはこのサラの誘いから逃げることさえ出来なくなっていたのだろう。 勿論、サラが犯罪の香りをほのめかしたので、自らの身を守る為ということで契約 に応じたこともあっただろう。だけれども画家としての立場を刺激され、自分の描 く絵の先に夫人達との甘い快楽の享受があること、絵を描き進めればさらに夫人達 の隠れた秘密を自らの手に出来ること、それはおそらく快楽の享受と同調し、夫人 達との営みをさらに高みに上げるであろうこと、そこには危険が伴い、その危険を も快楽の享受を高めるであろうことを感じていたに違いない。さらにその刺激が自 分の描く絵にもさらなる高みに上げるであろうという事をも彼は強く感じていたの である。その危険が己の死をもたらすとしても、快楽の享受や芸術の高みに換えら れるものではなかったであろう。
 グリーナウェイの女性達は死と隣り合わせの甘い蜜を滴らせていることが多い。 しかしその甘い蜜を一度吸ってしまえば、男達は逃れることは出来ないのである。

(2005.7.29)

※③へつづく


参考文献
『WAVE29 グリーナウェィplusナイマン』
1991年発行 ベヨルト工房
『Peter greenaway グリーナウェイ イメージフォーラム1月増刊号』
1992年発行 ダゲレオ出版
『ノンフィクション映像史』リチャード・M・バーサム
1984年発行 創樹社
『イタリア映画を読む』柳澤一博
2001年発行 フィルムアート社
『ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展 カタログ』
2004年発行 読売新聞大阪本社
『オランダ絵画』クリストファー・ブラウン
1994年発行 西村書店
参考映画
『オランダの光』デ・クローン監督
2003年 オランダ


 


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