徳永兄弟「ブレリア・デ・パドレ」小説スペインの風 #曲からストーリー
小説 スペインの風
数年前の事だ。二人の娘たちが、古希の祝いに「ずっと行きたかったんでしょう?お父さんとお母さんで行ってきたら」とスペイン旅行をプレゼントしてくれた。どれほど嬉しかったことか。
しかし、ちょうど渡航直前に始まったコロナのパンデミックのせいで世界中がロックダウンされ、渡航計画は中止された。
あれから3年の時が過ぎた。朝、久々に届いた同窓会のメールを開くと、「コロナ禍も落ち着きましたので、あの年に中止された『古希同窓会』をします」という知らせだった。
俺は、地方都市で画家をしながら、時々、非常勤講師として私立中学で絵を教えていた。今は小さな絵画教室を細々とやっている。
あのメールを見た後、高校時代の事を思い出していた…
「あの選択が正解だったのかどうか」そんな事を時々考える。
俺は高校時代、美術部で絵に没頭していた。ただただ、絵が好きで勉強なんか、そっちのけの高校生活。美術室での事しか思い出は無い。
どちらかと言ったら無口な俺にも、一人だけ親友と言える友人がいた。
ひろしだ。
二人とも絵が好きで休みにはよく、美術館巡りをした。
進路で悩んでいた時、俺は高校卒業して、すぐにスペインへ行く夢を語った。
すると、ひろしは
「健次は勇気があるな。僕なんて、すべてを賭ける決断まではしきれない…」
そう言って、彼は受験勉強に舵をとった。
やがて卒業。俺は何のツテもなくスペインへ。彼は一流大学に見事合格。
二人の人生は、まったく違う方向へ動き出した。実はあれ以来、彼には会う機会は無かった。何度か誘いはあったが、どんどん立派になっていく彼に俺の方が会うのを断っているうちに、お互いの連絡先もわからなくなって、それっきりだった。
同級生から「ひろしは商社に就職して、世界中を飛び回っているぜ」って話を聞いた。
その頃、俺は、スペインの街角で観光客相手に肖像画を売る仕事をしていたがそれだけでは生活は成り立たない。夜はバルでのバイトをしながら安アパートで暮らしていた。
そんな中、旅行社の添乗員でスペインに度々来ていた妻と知り合い、親に反対される中、結婚。
彼女は日本人相手のガイドをしながら貧しい暮らしを支えてくれた。
だけど二人目の子供ができた時、俺は決断した。大家の中庭には鮮やかな花々がいつもきれいに植えられていた。リナリアの花が咲く頃、俺は考えた。
「帰国しよう」こいつらを養う事もまた、俺の大きなものとなっていたからだ。
その帰国以来、俺はスペインに
行ったことはない。生活に一生懸命でその旅費を工面するゆとりはずっと無かった。
人から見たら「挫折」…なのかもしれない。
そんな俺の小さな心の傷が時々うずく。
ひろしは商社でわりと出世して、定年を迎えたらしい。数年経った今年、商社時代に描き溜めた各地の風景や出会った人物の絵の「個展」を開くという噂を聞いた。
俺はアトリエの古びたソファに腰掛け、窓からの緑をぼんやり眺めていた。そしてスマホで、たまたま見つけた「ブレリア・デ・パドレ」を聴いた。それを気に入った俺はその曲を何度も聴いた。
そこには緑美しい風景の中、演奏する徳永兄弟の映像があった。
二人は街角でフラメンコギターをかき鳴らす。
誘うようなフラメンコのリズム。
ギターにのってタップを踏む音。
ああ、あの風景…
俺の心は、瞬間、あの頃にタイムスリップした。
威勢の良いスペイン語での掛け声が、あの街の雑踏を思い出させた…
あの頃の風。
オレンジの香り。
あの頃のひもじかった思い。
日曜には、住宅の庭のあちこちから届くパエリアの芳ばしいにおい。
そして賑やかな笑い声…
そんな事を考えていると、急に開いた玄関から風が優しく吹き込んできた。
「お父さん!」
そう聞こえたかと同時で、孫の翼が元気よく俺に向かって走ってきた。
「じいちゃん!ボクね、幼稚園の先生に絵が上手いねって、ほめられたんだ。これみてくれる?」
くるくるっと丸めてある絵は、リボンで飾ってあった。そして、「じいちゃんへ」と言う、これもまた、翼の書いたかわいい字のカードをわたした。「翼からの73歳の誕生祝いですって。この子、絵描きになりたいって言ってるのよ」
そう娘の莉奈は笑った。「莉奈」という名前はこの子が生まれた頃、住んでいたアパートの近くの大家さんの庭に咲いていた「リナリア」から、つけた名前だ。
妻は手作りのオレンジケーキを運んできた。爽やかなオレンジの香りが口に広がる。
「俺の人生も、まんざらでもないかもしれない…」
この曲を聴けばスペインのあの風景が心に広がる。
あれから、俺の「特別な」お気に入りの一曲になっている。
俺の決断でやった一つ一つに、今やっと俺なりの満足感が込み上げてきた。
「行かなかった俺」には、この曲を聴いても、あの風景を思い出す「特別」は無かったわけだから。この曲を聴きながら目をつぶれば、ここの田舎の町に吹く風は、まるでスペインの風のように思われた。
俺は妻が祝いの時に必ず作ってくれる特別なパエリアを妻と娘と孫で頬張った。
曲は、徳永兄弟。
アルバム 「ネオフラメンコ」より
ブレリア・デ・パドレ
徳永兄弟featuring Juan Jose Villar
徳永兄弟は、新潟県出身。
お父さんはフラメンコギター
お母さんはフラメンコダンサー
中学卒業後、スペインに渡ってフラメンコギター留学。
現在、ギターデュオ「徳永兄弟」として活躍中です。
徳永兄弟billboard横浜10/11 18時、21時2回公演チケット発売中