[小説]オアシスの娘ロクサナ(約2850文字)
[小説]オアシスの娘ロクサナ
厳しい冬を越えた
オアシスの暁は眩しく輝く
天山は雪解けして
水嵩を増し音を立てて流れ出した
オアシスに恵みの春を告げる頃
その若者は亀茲にやってきた…
胡楊(ことかけやなぎ)の若い丸い葉はオアシスの水を得て喜び、葉が細くなった古木は千年の乾燥を耐える風格をみせている。
その頃の天山南路の亀茲国は、西域の康国(サマルカンド)と唐の長安の中継地として栄えていた。
亀茲はロクサナの父がシルクロードの商いの本拠地とするオアシスの都市である。百頭、二百頭のラクダを連ねて西域各地の文物や宝物はもちろん、楽団を伴い唐へ西域の音楽を届ける薩保をつとめていた。
薩保というのは隊商を束ね往来するソグドの商人の長のことである。
天山の雪解けの水を集めた川は、手を入れると今も冷たい。
雨の少ない土地なのに雪解けの水を湛える川から水路がひかれ、その土地の緑を豊かにしていた。
遊ぶ鳥の声、カタンカタンと粉を引く水車の音がオアシスの穏やかな午後に音楽のように響いていた。
館の敷地にある宿の前には水路が引き入れてあり、季節になれば杏や季の花も咲く。
オアシスの日差しを優しく遮ってくれる葡萄棚の下で過ごすのが、その辺りに住む者の習慣だ。
葡萄棚の下に腰掛け、若者は懐かしそうに東にあるという故郷の話をしてくれた。
ロクサナは行ったこともない異国の話を聴くのがとても楽しみだった。
「故郷では春になると山にも町にも、たくさんの桃色の花が咲くんです」
「それは、この杏の花のようなものですか?」
「うちの近くで咲くのは桃の花です。
父が唐から持ち帰った桃の花」
「まあ、桃の花?かわいい淡い色の花がここでも咲きます。あ、ほら、あの木が桃です。
甘い実がなって、ロクサナも桃の実がなる頃が楽しみです。杏に桃、柘榴も。甘い実のなる木は、まだまだありますよ。甘い果物と言ったら、それから…
あっ、花の話でございました…」
彼は笑いながらロクサナを見ていた。
「それから?」
「哈密ウリ…バザールに出るハミウリも美味しいんですよ。
その年はじめてのハミウリが出るころを、子どもの頃から毎年、楽しみに待っています。そろそろかもしれません…
今度、バザールでお探ししてみましょう」
「哈密ウリか…楽しみです」
「砂漠で暮らしていくためには水がたっぷり入った果物は宝物のように貴重なんだ、と父上が話してくれました。
貴方様のお国では、雨が降るのですか?」
「雨…?降りますよ。しかも梅雨になると毎日のように雨が降るんです」
「ツユ?」
「そう、水で満たされた田んぼは、たちまち一面が瑞々しい緑になるんです。蛙たちも雨を喜んでいるのか、ゲロゲロと、歌っていて賑やかなんですよ」
「ツユには雨が毎日降るんですか?!…そこでカエルという生き物が歌うのですか?」
ロクサナは不思議そうに首を傾げて、彼を見つめた。
「そう、そして夏が来ます。
夏には真っ青な空の下、海で水浴びもしたな…」
「ウミ…?」
「ええ、広く果てしない海がね。
海には、天山からの雪解けで一番多い季節の川の水量よりも何倍も、何倍も多くて…
見渡す限り向こうまで、いっぱい水があるんですよ。そう言っても、わかりにくいかもね……」
ロクサナは夢中で話す彼をじっと見つめていた。 彼も話すうちにいつしか、ロクサナのことを妹のようにかわいがってくれた。
「そうだ!たとえて言えば、
『果てしない砂漠の砂みたい』に、
たっぷりの水が続いているんだ…」
「砂漠みたいに『水』が?!」
「ロクサナにも見せてあげたい、海に船を浮かべて遠くに旅ができるんだ」
「フネって、ラクダのようなものですか?」
「ラクダより、もっともっと大きな乗り物だよ。大勢の人も荷物も載せられる」
ロクサナには、ウミもフネも想像すらできない。ただ、そんな話をしてくれる彼のそばにいられるだけで、幸せだと思った。
「秋には夕陽みたいな色の『柿』という、甘い果物がたくさんなる。
それを軒先に吊るして置いたら、冬には白い甘い粉がついた甘い菓子になって、長持ちするんだ」
「巴旦杏の実のようにですか?」
「巴旦杏?扁桃(アーモンド)のこと?
そうだなぁ、それよりも、すごく甘いんだ。
ここのもので、たとえたらナツメや…ほら、あの杏を干した物に似てるかな?」
ロクサナは、唾をゴクリとのんだ。
「うわー、美味しそう…私も食べてみたい」
「そして冬になれば私たちの国にも雪が降る。
天山に降るような雪が、辺り一面を真っ白にするんだ…」
彼は、故郷の暮らしを楽しそうに語ってくれた。
ロクサナは、いつのまにか彼に恋するようになっていた。
…でも、わかっていた。
「この人も、いつかは遠い故郷に帰るのだ」と…
花々が咲き、実を結び、木々の緑はあせていく。胡楊の木々は乾いた赤や黄の錦を描きだし、穏やかなオアシスの季節は過ぎていった。
いつのまにか天山の麓まで真っ白になっていた。
厳しい冬を越え、再び天山の雪が溶け出す時季が訪れた。
雪解けを集めた川には冷たい水が音を立てて流れだした。
オアシスの樹々に緑が戻る頃…
とうとう、その日がやってきた。
ロクサナは兄様に頼んだ。
「兄様の次のキャラバンに私も乗せてください。あの人の国にロクサナも連れて行ってほしい」と。
でも、それは叶わなかった…
戦が始まり、皇子である彼は早馬で帰らなくてはならなくなったからだ。
ロクサナは、もう会えないかもしれない彼に手紙を書いた。
お国に着いてから読んでください、
と念をおして…
突厥(チュルク)の馬に乗った彼は、
遊牧の民に導かれ草原を越えて行くという。
ロクサナは砂塵の果て、その人の姿が消えた東の空を見つめていた。
「もしかしたら、『戦が終わった』と笑って、再び、ここに帰って来るかもしれない…」
遥か東の砂の向こうを見つめて、
ロクサナは毎日、毎日待ち続けていた。
夕陽が砂漠のオアシスを金色に染め上げるまで…
「ナナ、そろそろ帰ろうか…」
ラクダのナナは、長い睫毛に縁取られた大きな目をロクサナに向け、
「ええ、帰りましょう」
と言うように優しく瞬きをした。
#恋文求ム
三羽烏さんの企画を機会に、書いている途中の小説の中に恋文を入れたスピンオフ作品を書いてみました。
小説なので、三羽さんの企画とちょっとずれているかもしれません💦
滞っていた長編を再び書くキッカケを頂き、ありがとうございます🙇♀️