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[連載小説]ソグディアナ物語③
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第三章
青の都サマルカンドへ
いよいよ五月、サマルカンドに出発する日がきた。
「メールでご連絡させていただいていましたマネージャーのアン・ミンジェです」
彼は流暢な日本語で丁寧に挨拶した。純一と連絡を取り合って熱心に段取りし事務所の社長に対しても、
「今回のことはソジュンの活躍の場を拡げるチャンスです」と交渉し、ちゃっかり出張扱いで同行することに。
「今回のサマルカンド行きが決まって、なんとウズベク語まで勉強して驚いたよ。張り切ってますよね。アンマネージャー」
マネージャーでもあるが、ソジュンにとって頼り甲斐のある兄の様な存在でもある。
純一は改まって挨拶した。
「ありがとうございます。何から何まで、お世話になりまして」
「いえいえ、ツアーのコーディネートもマネージャーの仕事ですから。こういう事は慣れてますんで。本当のこと言うと、子どもの頃の遠足みたいに楽しみで…あっ、社長には内緒ですよ!」
彼は、日焼けした彫りの深い顔立ちをくしゃくしゃにして笑った。
ウズベキスタン空港に到着した一行はタシケントに一泊し、翌朝、ウズベキスタンの新幹線「アフラシャブ号」でサマルカンドに向かった。三人が向かい合わせの席に座っても広々としている。
窓の向こう羊たちがゆったりと草を食んでいた。
しばらく行くと、次第に外の緑は少なくなり、ごつごつした岩が目立つ沙漠地帯を進んだ。
車窓からの景色は次々と移り変わっていく。今度は再び、水路の両脇に濃い緑が広がりだした。
純一の憧れのウズベキスタン。沙漠、緑のオアシス…そんな異郷の光景を前にいつもクールな彼もテンションが高かった。
「砂漠が続くのかと思ったら緑が綺麗だね」
「うんうん、サマルカンドはパミール高原の雪解け水で潤された『オアシス』だから、昔は『上空から眺めたら白い砂の上に一本の緑のベルトのように見えただろう』って」
「なるほど素敵な表現ですね。沙漠を超えてきた旅人がこの緑を見たら、ホッとしたことでしょうね」
アン・マネージャーも窓の外を眺めていた。
今回の旅程を陸路ラクダで旅したら、何ヶ月もかかる道のりだったわけか…と彼は心に思っていた。
サマルカンド駅に着くと現地案内の男性ガイドが出迎えに来ていた。
「ようこそ、いらっしゃいました!」
「お出迎え、ありがとうございます!ご連絡いたしましたアン・ミンジェです」
「長旅で、お疲れになったでしょう。先にホテルに参りましょう…
荷物はこちらですね」
ホテルに荷物を預け、さっそくサマルカンド観光に出発した。
「先にレギスタン広場の見学をして、バザールに案内しましょう。そこのランチがオススメなんです」
乾季に移るこの時期の太陽は、朝から眩しいくらいだった。彼らを載せた車の正面に、真っ青な空にターコイズブルーのドームが堂々と姿を現した。
「ここがレギスタン広場です。あれは『メドレセ』と言いましてね、イスラム教の神学校なんですよ。中を観ていきましょうか」
広場を囲むように大きな建物が建っていた。広場は、世界中から来た観光客で賑わっている。
中に入ると壁にびっしりと「青」のタイルが貼られていた。白、緑、黄色を少しずつ混ぜ合わせた多彩な青を見上げた。
「あの青には、『ラピスラズリ』が贅沢に使われているんですよ。中国の陶器とペルシャの顔料が出会って産まれた青いタイルが美しいでしょう?十四世紀、ティムール王の大帝国の都です。当時は世界中から来た商人や、学問や芸術を学ぶ学生たちでもっともっと賑やかだったはずです」
外に出ると、建物の脇の大きな木の陰に観光客が佇んでいた。オアシスの乾季の日差しは朝から眩しい。
「今度は別の建物を案内しましょう」ガイドは続けた。
「こちらは『ティラカリ・メドレセ』です。綺麗な『金と青』の装飾でしょう?『ティラカリ』っていうのは金箔のことでしてね」
天井は巨大な万華鏡のようにも見えた。茶、青、黄、緑のタイルが同心円状に貼られ、草模様が描かれていた。
「水が貴重なオアシスに暮らす私たちにとって『草模様』は生命の象徴でもあります」
車に戻ると、ちょうどイスラムの祈りが始まった。
さっきまでの喧騒とは打って変わって、ただ祈りの声だけが響いていた。
ガイドは、一行をスザニ市場に案内した。
「『スザニ』っていうのは、シルクや綿の布に鮮やかな花や草の刺繡をしたもので、サマルカンドの特産品なんです。元々は嫁入り道具に持たせた品でね」
色とりどりの美しい刺繡が施された「スザニ」を土産に買うことにした。
「アン・マネージャー、そんなにいっぱい?」
「スタッフの皆さんのお土産にいいと思いましてね…」
「まるで、仕入れですね」
品物を受け取ったアン・マネージャーは日焼けした顔に照れた笑みを浮かべ、袋いっぱいのスザニを抱える様に持った。
職人が工芸品を作る工具の音が響き、あちこちから客引きの声がする。
一行はバザールの人込みに、もまれながら進んだ。
向こうには鮮やかな色の野菜や果物の店が続いていた。籠には、ベリー、ブドウ、西瓜、ドライフルーツにナッツ、香辛料が無造作に積まれている。
パンを焼く匂い、羊肉のシャシリクを焼く芳ばしい香辛料の香り…
嗅覚からも、ここが異国であることを実感させた。
マネージャーとガイドは、もう打ち解けたようで流暢なウズベク語で話している。どことなく似ている二人は、まるで昔馴染みのように盛り上がっていた。
四人は、バザールの人混みを縫うようにガイドについて進んだ。
「そろそろ食事にしましょうか。良かった、間に合った…ちょうどサマルカンド舞踊が始まるみたいです」
そう言って、バザールの広場を囲むように置かれたテーブルへと彼らを案内した。メニューを見ながら羊肉の串焼き(シシャリク)や果物、飲み物を注文した。
「なかなか美味いもんですな」
「お口に合って良かった」
その時、男の甲高い歌声を合図に男たちの演奏が始まった。建物の向こうからは、青いシルクの衣装に身を包んだ女性たちが弧を描くように並んで踊りだした。
踊り子がクルクル回ると、薄く透き通った絹のべールが、ふわりと浮き上がる。回るたびに衣装の裾は円を描くように広がった。腰のベルトに付けた小さなドイラ(打楽器)を両手でリズムをとるように交互にたたくと片手を高く掲げた。もう片方の手を外に広げながら右に左に回旋する。大きく輪を描く様に回転しながら踊り続けた。
不意に始まった異国の踊りに、ソジュンも純一も一瞬で魅了された。
初めて観るサマルカンド舞踊を見ながら、西域の踊りに熱狂した唐の人たちも、こんな気持ちだったかもしれないと純一は想像した。
回るたびにエキゾチックな香水を振りまき、「西域の風」が彼らを包み込んでいく。
現代の「胡旋舞」に見惚れて、スマホを向けるのも忘れていた。
サマルカンド観光から帰る頃には、すでに夕刻。
大きな夕陽が地平をオレンジに染め始め、空は淡く層状に色を落としていった。真っ青だった空の向こうに始まったオレンジ、ピンク、薄紫へと変化する色のグラデーション…
やがて夕闇に沈んだレギスタン広場がライトアップされた。
その瞬間、青のドームが群青の夜の街並みに浮かびあがった。
第四章に続く