ボードゲームとの出会い
小学1年生のある日、お父さんが大きくて平べったいおもちゃを買ってきた。別に、フィギュアやプラモデルといったごっこ遊びに使えるようなおもちゃではなさそうだった。「何これ」「いろんなゲームが入ってるんだよ」そんな会話をしただろうか。取扱説明書から見る派のぼくは、そこに書かれている見出しだけ読んだ。「リバーシ」「ニップ」「囲碁」「バックギャモン」「コピット」「ソリテア」「シーカ」「ダイヤモンド」「将棋」「チェス」今でも忘れない。毎朝早起きしてお父さんに挑んだ。お父さんは弱気なんて出さなかった。ことごとく定石で負かされた。だから毎朝早起きして挑んだ。お父さんは読書のほうが好きだったんだろうが、そんなことは知ったこっちゃない。早朝、お父さんが家族と顔を合わせず、静かに読書できる数少ない時間を奪い続け、ただただ闘争心を満たそうとゲームをやり続けた。勝つために闘争心があるのか、闘争心のために勝つのか、どちらにせよお父さんは涼しい顔をしてあっさりとぼくを負かし続けた。ちなみにお母さんはテレビゲームなんか買ってあげませんと言い続けた。ぼくは、理路整然とした戦略を立ててゲームに勝ち続けるお父さんに負けてしまう自分が嫌になった。小学5年生になり、ぼくはカードゲームにハマった。山札から強いカードを運良く引ければ、お父さんに勝てるチャンスがあったからだ。そして小学6年生になり、いきなり中学受験がしたくなって塾に通い始めた。そうして勉強にも飽き、受験にも落ち、市立の中学校でサッカー部の練習に明け暮れるようになっていた頃には、もうすっかりゲームのことなど忘れていた。またサッカーの試合で負けて顧問に怒られるだろうなとか考えていたが、そもそも下手すぎてあまり試合で使われていなかった。顧問に「(サッカーは)将棋と同じじゃん。なんで相手がいる方に突っ込んでいくんだよ」と言われたことを覚えている。顧問もきっとゲームが好きだったんだろう。一歩引いた視点から試合を見て、ずる賢い戦略を立てられるのは、大人の特権なのかもしれない。もちろん子どものうちから戦略的にプレーできるならそれに越したことはないのだが。今、ぼくはスマホでアナログゲームをやりまくっている。AIとたくさん対戦している。そしてやっと気が付いた。ゲームの必勝法は隠してあるんだと。必勝法を見つけても、相手はまた対策を練って必勝法を潰しにくるんだと。ゲームでもスポーツでも、完璧な答えを見つけることは半永久的に無理なのだと。