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空しいだましごとの哲学

[コロサイ人への手紙 2:6,7,8]

このように、あなたがたは主キリスト・イエスを受け入れたのですから、キリストにあって歩みなさい。キリストのうちに根ざし、建てられ、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかりに感謝しなさい。あの空しいだましごとの哲学によって、だれかの捕らわれの身にならないように、注意しなさい。それは人間の言い伝えによるもの、この世のもろもろの霊によるものであり、キリストによるものではありません。

今日の聖書箇所
コロサイ2:1〜15

今日もコロサイ書から恵みをいただいていきたいと思います。

コロサイ教会には騙しごとの哲学,偽りの教えが入っていました。それは霊的信仰的に見えるものでした。

神に近づくためにはこれもしなければならない,あれもしなければならない,食事規定を守ればもっと神に近づける,割礼を受けたらもっと神に近づける,土曜安息を守ったらもっと神に近づける,禁欲したらもっと神に近づける・・・

そしてそのような行いをしたら天使が現れて特別な啓示を与えてくれた,夢の中で特別な啓示を受けた,特別な霊的な体験をした・・・

このような騙しごとの哲学だったようです。そこに流れているのは頑張れば報酬を受ける,頑張らないやつ,頑張れないやつはだめだというこの世の価値観です。自分で頑張れよ,頑張ったやつが報われるというこの世の哲学を律法主義というのです。

イエス・キリストの福音とは自分の頑張りではどうすることもできない者に与えられる無償で無条件の救いなのです。それを恵みと言います。

私たちが自分の頑張りではどうすることもできないもの,それが罪です。どんなに良い行いをしたとしても自分の心の奥底から悪しき汚れた醜い思いが湧き上がるのを誰でも体験するのではないでしょうか?

自分の心の奥底を見つめるなら,どんな罪滅ぼしもどんな修行も役に立たないことを誰しも理解できるのではないでしょうか?

しかしそれらの罪の全てを罪のない神のひとり子イエス・キリストが代わりの背負って十字架につけられ,その血潮のよってその罪の負債を全て支払ってくださったのです。それを信じるなら何の行いがなくても全ての罪の負債から自由にされ,罪を通して私たちを支配してきた悪魔の全ての支配から解放され神の子とされ,イエス・キリストに与えられていた全てのもので満たされていくのです。

[コロサイ人への手紙 2:13,14,15]

背きのうちにあり、また肉の割礼がなく、死んだ者であったあなたがたを、神はキリストとともに生かしてくださいました。私たちのすべての背きを赦し、私たちに不利な、様々な規定で私たちを責め立てている債務証書を無効にし、それを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。そして、様々な支配と権威の武装を解除し、それらをキリストの凱旋の行列に捕虜として加えて、さらしものにされました。

これがイエス・キリストの福音であり,このイエス・キリストの福音以外にはもう何も必要ないのであり,このイエス・キリストの福音によって全ては満たされるのです。

イエス・キリストの福音を信じて救われた者にとって必要なことはもっとイエス・キリストとその福音の素晴らしさを知っていくことだけであり,それが霊的な成長であり,その時,ますます感謝が溢れるようになるのです。

信仰が成長するとは人ではなくますますイエス・キリストだけに注目するようになり,行いではなくますますイエス・キリストの十字架だけにより頼むようになり,しるしや不思議や霊的な現象ではなくますます神の約束の御言葉だけに堅く立つようになることなのです。

そのようにさせないものはどんなに霊的で信仰深そうに見えたとしても全て空しい騙しごとの哲学であり,自分を誇りたい肉の働きなのです。私たちはもはや二度と騙されてはなりません。ただ主イエス・キリストだけにより頼み,ただ主イエス・キリストだけを誇る者となっていきたいと思います。

今日の祈り
主よ,キリストにしっかりと根差し,キリストのうちに建て上げられていき,人や自分を誇らせようとする悪魔の惑わし,肉の働きに勝利させてください。

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