クリスチャンって何だろう?
[テトスへの手紙 1:9,10,11]
教えにかなった信頼すべきみことばを、しっかりと守っていなければなりません。健全な教えをもって励ましたり、反対する人たちを戒めたりすることができるようになるためです。実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。そのような者たちの口は封じなければなりません。彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家庭をことごとく破壊しています。
今日の聖書箇所
テトス1:1〜16
今日からテトスへの手紙から恵みをいただいていきましょう。
テトスへの手紙は「牧会書簡」と呼ばれる使徒パウロの手紙です。ここではクレタの教会の指導者であり、パウロの弟子であったテトスに牧会についてのさまざまな指針と指示を与えています。
使徒パウロはクレタでも教会を開拓したのですが、そこからまた別な場所に移動し、その働きを弟子をテトスに委ねたのです。使徒パウロはそのテトスに最優先になすべきこととして町ごとに長老、監督を立てて偽りの教えから教会を守るようにと命じています。
当時、クレタの教会にも割礼派と呼ばれる人々が入り込んで、教会を混乱させ、聖徒たちを惑わしていたからです。その人々は律法に熱心なユダヤ人信者たちでした。
それらの人々は救われるためにはイエス様を信じるだけでは足りない、割礼を受けなければならないし、この律法もあの律法も守らなければならないと教えていたのです。
それらの偽りの教えから教会を守るために指導者を立てるように使徒パウロは命じるのですが、その指導者の条件として健全な教えをしっかりと守っている人、つまり教えと生活、言葉と行動が一致している人でなければならないと教えているのです。
簡単に言うと言葉だけの人ではダメだと言っているのです😅言葉と行動が一致している誠実な人、霊的に成熟している人だけが人々から信頼を得ることができ、教会を治めることができる霊的な力を持つことができるからです。
それではそのような誠実さ、霊的な成長の証拠は何でしょうか?それは家庭を治めることができているということなのです😅
[テトスへの手紙 1:6]
長老は、非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、子どもたちも信者で、放蕩を責められたり、反抗的であったりしないことが条件です。
つまりその人の霊的な成熟度、霊的な力というのは最も身近な家庭、家族に現れるということです。使徒パウロは人間というものを本当に良く理解していたことが分かります。
人は接触の少ない外部の人にはどれほどでも良い顔ができ、自分を偽ることもできるということです。しかし絶えず一緒にいる家族に対しては本当の自分、自分の本性が明らかになってしまうということです。
それゆえ家族に霊的に良い影響を与え、家族を治めることができている人の信仰は成熟しており霊的に力があるということです。しかしそうでないならどんなに言葉が立派でもその人は霊的に未成熟であり、霊的な力がないということなのです。
またパウロは霊的に未熟なのではなく偽物、偽クリスチャンの特徴をも明らかにしているのです。それが割礼派の人たちでした。
[テトスへの手紙 1:10,11]
実は、反抗的な者、無益な話をする者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けている人々の中に多くいます。そのような者たちの口は封じなければなりません。彼らは、恥ずべき利益を得るために、教えてはならないことを教え、いくつかの家庭をことごとく破壊しています。
その人たちの最大の特徴は神を利用して自分の利益を得ようとすることだったのです。そのためにいろいろな偽りの教えで人々を自分たちに結びつけ、金や名誉を得ようとしていたのです。これらの人々はイエス様と最も激しく対立したパリサイ人や律法学者たちと同じ根性を持っていたということです。彼らはどんなに立派なことを話し、信仰深いように見えても、肉の欲の塊であったということです。
私たちは誰もが牧師や宣教師になるわけではありません。また誰もが教会の役員や実際的なリーダーになるわけでもありません。しかし私たちがイエス様を信じて救われたなら必ず霊的に成熟し、人々に霊的に良い影響力を与える霊的なリーダーにはなっていかなければならないのです。
そのために必要なこと、それが言葉と行動の一致、教えと生活の一致なのです。そのためには自分の霊的な成熟度というものを知り、どこの部分で成長しなければならないかを絶えず教えられていかなければなりません。
そのためにはいつも祈って、御言葉を聞いて聖霊によって戒められ、悔い改め、また示された御言葉に一つ一つ従えるように聖霊の助けを求めて祈らなければならないのです。
聖霊と御言葉による絶え間ない悔い改め、絶え間ない祈りによる霊的な戦いの中で初めて霊的な成長、成熟は与えられていくのです。手軽で簡単なインスタントな成長はないのです。
それはまず自分の弱さやごかまし、罪や汚れを知ることから始まります。それは私たちの肉にはとても辛いことです。しかしその辛い過程を通ることばなければ癒しと成熟は不可能なのです。聖霊様が御言葉の光を照らして、その一歩一歩を導いてくださいます。
主の御手に引かれて霊的な成熟への道を進んでいきたいものです。
今日の祈り
主よ、口先だけの未熟な者を憐れんでください。聖霊様によって言葉と行いが一致する霊的な成熟へと日々導いてください。