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きっかけは「原付だけある」

旅が好きな友人のプロフィールに
目標:47都道府県制覇 残8県
と書いてあった。

こういうシンプルな目標は好き。
私も旅が好きだ。主にひとり旅。
私の場合、残1都 1道 13県。まだまだ。

この友人の目標を目にした時に、私はいつから旅が好きになったのだろう、と考えたが「あの時だろうな」と簡単に答えが出た。


高校生の時、原付免許を取得した。
昔からバイク乗りの祖父から父、そして父から私に言い伝えられてきたこと。

「車に乗る前に必ずバイクに乗ること。事故をした時の痛みを知っておくと、事故に気をつけるようになるから」

今思えばむちゃくちゃだと思う。そもそもこれは、事故を起こして痛い目にあうことが前提の話である。ただ、当時の私は「なるほどな」と手をポンっとしていた。
この教訓は私の代で終わらせることにする。

話は戻り、
原付は小さい頃からあった。ヤマハのジョグという距離メーターが3周以上している、年季の入った黒い原付。奇しくも、同じ生まれ年の1991年製の2ストロークエンジン。免許取り立ての頃は、白い煙を巻き上げながら、その辺をちょろちょろ走るだけだった。

高校卒業の餞別として、野球部のコーチから少し変わったプロテインをいただいた。
味が美味しくて気に入ったが、通販でしか買えないと聞いており、通販嫌いな親事情で購入は諦めていた。
ある日、ネットで調べてみると販売している店が岡崎市にあるということを知った。名古屋からは50㎞ほど距離がある。50㎞がどれほどの距離かわからなかったが、ママチャリでは無理と判断。親に連れてってとお願いしたが、案の定却下された。
ただ、直接買えるとわかった以上、買う以外の選択肢はなかった自分は方法を考えた。


「友達に頼んで車で一緒に行くか」

「俺、原付しかないからな」

否っ、

「原付だけあるじゃん」


町内をちょろちょろ走ってただけの原付で、岡崎まで買いに行くことにした。
公共交通機関で行くという選択肢はなかったのか、と当時の自分に言いたい。

当然、ガラケーが主流の時代に、携帯でナビという発想はない。道のりは家のパソコンで調べる。交差点の名前と、それを右折なのか左折なのか、前日ノートに書いてそれを見ながら走ることにした。

当日は快晴だった。
「ちょっと出かけてくる」と母に言って、早朝に家を出た。はっきり覚えている。

原付とはいえ燃費の悪い2ストロークエンジンで、燃料タンクはたった3リットルだった。ガス欠が怖い。ガソリンメーターとちらちら目を合わすようにしていた。

法定速度と2段階右折は遵守。
道の広い国道153号は途中から信号が激減し、
「あれ?俺いつの間にか高速道路乗ってね?」
と、経験値の低い私は冷や汗をかいたが、ノートを信じて走り続けた。

岡崎城の天守閣が見えた時、鳥肌が立った。信号待ちの時、ガラケーで写真を撮りまくった。門の前に原付を停めて1枚だけ写メった。

無事に到着。一軒家を改装した店だった。
店主に名古屋から原付で来たことを話すと、大いに笑ってくれた。
プロテインとクエン酸のサプリメントを買った。正直サプリメントは必要なかったが、店主と仲良くなって、気分が良くなり買った記憶がある。

帰りは同じ道で帰った。ノートは見なかった。
晩飯前には帰ってきたが、父親に「全然ちょっとじゃねえ」と嬉しそうに怒られた。

これが私の初めてのひとり旅


原点は間違いなくこの原付旅。

「原付しかない」
ではなく、
「原付だけある」

我ながら良い判断だったと、今でも心底思う。

おかげさまで、ひとり旅好きな私が出来上がったのだ。

そんな私は27歳の時、カブで西日本一周をした。
まだ東が残っている。

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