1日1000字チャレンジ#29

「蜂」
蝶のように舞い蜂のように刺す。という言葉からわかるように蜂の飛び方というのは直線的で舞う、とは言えない。
蜂や、蟻は社会性を持つ昆虫であるらしい。巣を母体として個がまるで人間の細胞の一つ一つのように動く。
彼らの一生は彼らの意思というよりも、巣、ひいては女王を生かす、子を育てるために存在しているともいえるだろう。
ぶ、と羽音が聞こえて自分のすぐ隣を蜂が飛んで行った。近くに巣でもあるのだろうか。
辺りを見渡してみても視界には何も見得ない。
地方によっては、蜂に目印を結び付けて追いかけ巣を見つけるという蜂追いとよばれるものがあるそうだ。
蜂の模様をみていると自然と危機感を感じるため、間違っても追いかけてみようとは思えない。あの大きな体を持つ象であっても、蜂の羽音を聞くとそこへは近寄らないという。それだけ恐ろしいのだ。
勾配のある坂を頂上へ向かって歩く。
木々が生い茂り視界は悪い。蜂の種類によっては倒木が痛んだところへ巣を作るものもいると聞く。そうだとすれば巣にかなり近づくまで気が付くことは難しいだろう。
時折、テレビで蜂駆除の番組をみることがあるが、たいていそういう駆除対象になる蜂の巣は結構巨大であることが多い。二層三層と連なり取り出された巣も厚みがあり、しっかりとしたつくりになっていた。自分の家の近くにできたら、街路樹に巣があったらなどと不安になるところまでがセットで番組をみた翌日はやたらと周囲をうかがっていたものだ。
こわいもの見たさとでもいうのか、恐ろしいものほどよく見てしまうものでいつ見たかもわからない情報が浮かんでくる。
ふと足元、木の幹など見渡して飛ぶものがいないか見てみるが、特に視界を横切るものはいないようだった。
頂上に上りきり見晴らしのいい場所から景色を堪能し、下りになる。
行きとは異なる道を歩き下山するのだが、山の景色は思った以上に変わりがない。木々の林立する道を抜け、無事に下山することができた。
蜂の姿は見ることがなかったことに安堵し、もと来た登山道を振り返る。自然であふれるそこにまた来たいかといわれると、正直いまは思い出してしまった蜂についてのあれやこれやにより、恐怖心がよみがえってきてしまったのだ。帰りのバスに搭乗し思わず登山服の周りを叩く。あの黄色と黒の姿があったらどうしようかと思いながら席に座る。流れていく景色のなか、ふと一瞬黄色と黒が見えたが、それはこの距離でも視認できるテープの姿であった。

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