1日1000字チャレンジ#24

「二度目」
はっきりとは覚えていないはずだった。けれど、今確実にこれが二度目であることを知っていた。
デジャヴとでもいうのだろうか、なんとなく「あ、こんなこと前にあったな」と感じた。道端を歩いていたとき、目の前を通り過ぎる車、信号、歩道を歩く人。
その中で、時が止まるような。雑踏の中でふと音が聞こえなくなったかのような気分がして立ち止まる。
当たり前だが周りを歩く人は立ち止まる自分のことなど気にも留めずに歩き続けている。
子どもが走り抜ける途中で「転ぶな」と思った。
その通りに子どもが転んだ。膝を擦りむいたようでわんわん、泣き始める。親の姿は近くにはなかった。
どうするか、少し考えてから、近寄ると子どもの姿はなくまるで狐だましにでもあったように。
「は」
確かにいたはずだった。そう思ってあたりを見渡そうとしたら、足首をひねってしまった。
「転ぶな」
さっき、子ども相手に思ったことだった。けれど、いま転びかけているのは。いや、もうすでに地面に近く、このままでは受け身もままならないだろう。
カメラ映像のように、縦方向から横向きの視点に変わり、遅れて痛みがやってくる。
周りを歩く人の歩調は全く変わらない。近くで人が転んだ、などと思ってすらないように歩き出していく。
いや、一人地面に横倒しになった視点の中で確かに、目が合った。
その人は、しまった、というように顔をしかめて、それでも確かに進行方向をこちらに変えて歩いてくる。
その人を見ていたのだが、不意に視線が遮られる。通り過ぎるだけだった人たちが、ざ、と周りから押し寄せ、そして、
気が付けば歩道に立っていた。
周りを歩く人の歩調は変わらない。先ほどまでの痛みもない。
子どもが走ってくる。このままだとすれ違うだろう。
まただ、と感じた。
デジャブとでもいうのだろう感覚。確実に覚えている。これは初めてではない。という感覚。
「転ぶ」
まるで、言葉がトリガーになったかのように子どもの体が、傾く。
いたい、と子どもが泣く。両親はおろか周りを歩く人のだれも子どもを助けない。
仕方がない、と歩き出す。
だが、子どもの姿はない。
足がもつれる。
「転ぶ」
とっさに体をひねろうとする。だが、急な方向転換に体はついてこれなかった。
「痛い」
さっきの子どもと同じように痛みを訴えて、また、目が合う。
しまった、と顔をおおうその人。
「何度目ですか」
呆然とつぶやいた言葉に、周りの人が急にこちらを見下ろしてきた。
体勢が悪いのか、まるで地面に蟻をみつけたかのような無感動な目に感じた。

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