頭の中を整理するための方法と退屈の創造的な解消について
手書きで英語を書く
手書きで英語を書く練習をすると、頭の中がすっきりしたという経験があった。そのときに書いていた英語は、自分がその場で発想したものもあれば、好きな英語も歌詞であったりもした。
ジャーナリングをするときに方眼のマス目におさめるようにする
ジャーナリングはたまに行っているが、そのときに方眼のマス目のなかにおさめるというルールを定めてみる。具体的にどんな効果があるのかは分からないが、続けてみてプラスになるかもしれないので、それを続けてみて、得られるかもしれないものの感覚を確かめてみたい。
ジャーナリングをしたものをブログにする
これは、頭のなかを整理するための方法ではないが、手で書いたものはブログを書くための格好の材料になるので、手で書くことがあれば、それをブログにすることも検討するようにする。
1日のなかでたくさん没頭する
頭のなかをすっきりさせるためには、何かに没頭するという感覚が最適なのではないか。自分が没頭できる行為のリストを作って、いつでもどこでも自分のタイミングで没頭できるようにしたい。逆に没頭できない感覚が続いてしまうことが問題で、そうなってくると、自分に迷いが生まれてくるようになってしまう感じがする。没頭することの重要性をここで強調したい。自分を退屈させないようにすることについて考える。
→これをしたら没頭できるかも
「好きな音楽を聴く」
「好きなゲームをする」
「長めの将棋を指す(将棋倶楽部24)」
「ギターで新しい曲を練習する」
「何か新しいことを練習する」☆
「新しい洋楽の歌詞を覚える」
自分を退屈させることこそが悪である
先ほどの話とつながるが、自分が退屈を覚えたときに、いかにしてそれを打開するかということを考えていかなければならないのではないか。退屈したときにそれをどうやって解消するか、それが人生のターニングポイントになるのではないかという感じがする。きっと退屈を解消するときに楽をしようとすると上手くいかなくなる。そうではなく、自ら工夫することを検討しなくてはならない。どうやって創造的に自分の退屈を解消できるかを自問していかなければならない。最悪なのは、例えばスマホで自分の退屈を解消しようとすること。それを最悪なものだと考えて、自分の行動について、より良いものにしていきたい。現代人は退屈を解消することが下手になったせいで生きにくくなってしまったのではないかという仮説を立ててみる。テクノロジーは発達したが、そういったテクノロジーが人間の退屈を本当の意味で解消することは出来ないのではないか。でも、人間はそれを求めてしまうから、自分の退屈がそれでどうにかなることを期待してしまうから、そこでおかしくなってしまう。人にもよるかもしれないけれど、自分の場合はテクノロジーでどうにかなるとは思えない。現代人はテクノロジーに依存しているけれども、きっととてつもなく退屈している。しかし、退屈している自分に気付いていない。どうやって創造的に退屈を解消できるかという問題をテーマに、自分の生き方を問い直したいと思った。