怒りは消えない
先日、久しぶりに病院で握りこぶしを握り怒りに震えたことがあった。
私はとある精神障害者施設で働いている。
一応、資格を持っているので看護師としての役割がほとんどだ。
そんな施設の中で生活をしている利用者に乳癌を患っている若い人がいる。
発見時に癌のステージはIV
最悪の結果だった。
ある特殊な向精神薬を飲んでいるため、治療の選択肢は一択しかなかった。
向精神薬を止めてしまえば、彼女は暴れ暴言を吐き手がつけられない状態になることは精神科医を含め、彼女に関わる人間全員がわかっていた。
命との天秤にかけるには、あまりにも重かった。
もし、手術ができ治る見込みがあるのであれば、その薬を一旦やめることができる。
でも、ステージIVは手術の適応にならない。
なら、せめて人間らしく最期を迎えさせてあげたい。
そう、結論を出し彼女は残された一つしかない治療を始めることになった。
それから半年、彼女は驚くほど人間として成長した。
あれほど自分の思い通りにならなければ癇癪を起こし、自分を傷つけていた彼女が
人を思いやることができるようになった。
もちろん病魔は待ってなどくれず、少しずつ彼女の身体を蝕んでいた。
痛みや吐き気と戦いながら、できることを懸命にやり、笑顔を作って見せてくれた。
半年経って治療の効果が出ているかの検査があった。
結果は予想に反して腫瘍は小さくなっていた。彼女はもちろん我々も大いに喜んだ。
だが、常にある痛みの原因がはっきりとせず、麻薬が処方されることになった。
その翌日、彼女は激しい痛みに襲われ起きることも難しくなった。
私のいる施設では介護ということがない。
トイレに1人で行けなくなったら、施設を出るしかない。
起きることすら難しくなっているはずの彼女は、そこでも頑張った。
壁をつたいながら必死にトイレにだけは行った。
一度だけ私の前で彼女は泣いた。
「こわい……」と声を震わせて泣いた。
私は彼女を抱きしめてやることしか出来なかった。
「大丈夫」と声をかけることは簡単だが、それは嘘になる。
必死に戦っている彼女に今さら嘘をついてなんになる。
できることをやろう...そう思った。
その3日後、精神科への受診の日だった。
待合室で座って待つことができない彼女を診察室のベッドに寝かせ
そばにいた私に彼女が言った。
「ちゃんと痛みの治療をして施設に戻りたい」
痛みに耐えガタガタ震えながら...
すぐに精神科の主治医に伝え、癌の治療をしている病院に連絡をとった。
そこの主治医の診察を受けてからという話になり、時間を待って病院に向かった。
そして診察の時、医師からは信じられない言葉が出た。
「薬と命どっちが大事ですか?」
「食事が取れていないのをほっといたんですか?」
命の短さを最初に告げたのはこの医師。
暴れ回り縛られたまま弱っていくより、できるだけ好きなことをさせようと話し合いの席にも同席してた。
受診の度に食欲がなく、ほとんど食べられていないことは伝えてた。
この医者はなにを言ってるんだ?
本気で意味がわからなかった。
挙句の果てに「治療の主役は本人ですから、置き去りにするようなマネはやめてください」とまで言われた。
置き去りにしてるのはどっちだよ...怒りで身体が震えた。
我ながら怒鳴りつけなかったのは感心する。
長い看護師生活で、この手の医者にキレても無駄だってわかっていた。
心を無にして、延々と続く嫌味に耐えた。
無事に彼女はその病院に入院することができた。
だが、私の中に巣食った不信感は決して消えない。
あんな医者に命を預ける患者がいるんだ、気の毒に...
彼女の入院中にまた話し合いをしたいと言われている。
これ見よがしにボイスレコーダーを目の前に置いてやろうと思っている。
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