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我が家にルンバが来た経緯を聞いてほしい

我が家にルンバが来たのは今から6年前のことである。
正式にはルンバ980という、当時の最上級モデル。
小さなアパートで暮らす私ーー私たちには、もったいない代物であった。

当時28歳だった私は、教師になって初めての転勤を経験した。
教師なんてどこに行っても仕事は同じだろ、と思われるかもしれない。まぁ確かにそうなのだが、それでも職場が変わるというのは、それなりに負担があるものだ。

例に漏れず、しばらく私も転勤の辛さを味わった。
しかし、そんな中でも人生を大きく変える出会いがあった。

まずは妻である。
職員室で自分の机の向かい側に座っていたのが、現在の妻だった。

もう1人は、O先生である。
O先生は、私と同じ学年を受け持つ学年主任であり、私の隣の席だった。

転勤した初日、先生方への挨拶を終えたばかりの私を、O先生はにこやかに迎えてくれた。
「多分女性の先生が学年主任だと思うよ」と噂を聞いていた私は驚いた。
O先生は、力強い男性である。当時48歳だった。AKB48と同い年だと子どもたちが話していたから、間違いない。
両津勘吉のような逞しい外見からは、とても女性であるように見えない。噂は本当に噂でしかなかったのである。

『こちら葛飾区亀有公園前派出所』80巻より

初日の昼食は、近所のとんかつ屋だった。
机が近くの先生たち5人で食べに行った。もちろん、妻もO先生もその中にいる。

少し大きめのとんかつに舌鼓を打ち、さて学校に帰ろうと言う時になって、O先生は口を開いた。
「あー、これ、払っておくから」
そして、さっさと5人分の会計を済ましてしまった。

もしかしたら、私の歓迎の意味を込めて払ってくれたのではないか、と推察した方もいるのではないかと思う。
そうではなかった。
私はその後もO先生と食事に行って、代金を支払ったことは一度もなかった。

O先生は、とにかくやることなすこと全てのスケールがでかい。
毎朝、6時くらいには出勤する。
そして、学校中の窓を全て開ける。
次に、自分の学年の教室(つまり私の教室も)を開錠し、こちらも窓を全開にする。
台風などの特例を除き、どんな日でも全開だ。

その後は、教室の掲示物を作るなどしていたようだ。おそらくそうであろうということで、実際にその様子を見たわけではない。
例えば、突然私の教室の後ろに学年全員で撮った写真が掲示されていたことがあった。幅2メートルくらいの巨大なもので、写真上部には学年目標が書かれている。

学級目標は決めなくていいとO先生は言った。学年目標だけで十分だと。
彼にとっては、学年全体が自分の学級であった。頻繁に学年集会が開かれ、O先生の指示によって、学年全員の子どもたちが行動した。
言い方を悪くすれば、私は、いてもいなくても問題ない存在だった。

あまりに全てをやってもらえてしまうので、私は、「何かできることはありますか?」と聞いた。
本当は自分で判断して学年主任の求めることをやっていくのが良いとは思うが、私が勝手に何かをして、O先生に迷惑をかけてはいけないと思ったのだ。
O先生は、いつでも、「優君は、元気に学校に来てくれたらいい」と答えた。

学校行事に関する冊子なんかも、気が付いたら全員分出来上がっていた。それも朝にやっていたのだろうと思う。
O先生は、17時になったらすぐに退勤する。めちゃくちゃ早く学校に来る代わりに、残業は一切しない先生だった。唯一、私の学級に何かがあって、私が家庭に電話をかけなければいけない時だけは、残っていた。電話が終わって問題ないことを確認すると、「じゃあねぇー」と言って去っていくのだった。

ここまで読んだだけで、O先生の特別感が伝わったのではないかと思う。もしかしたら、読まれた方によっては、O先生を少し強引な人だと感じたかもしれない。

まぁ、確かに、強引か強引ではないかと言われたら・・・。でも、そこには気遣いや、責任感があった。
キャンプの準備をするために買い出しをした際、O先生はレトルトカレーを50人分、自腹で買った。カレー作りを失敗した子たちに食べさせるためだということだった。
結局全員上手にカレーライスを作ることができたので、そのレトルトカレーは日の目を浴びなかった。そりゃあ、学校でも作り方を練習するのだから、滅多なことでは失敗しない。きっとO先生もそんなことは知っていたはず。それでも買わずにいられないのが、O先生なのであった。

さらに擁護すると、私たちが受け持っていたのは、数年前に雰囲気が悪化した学年だった。子どもたちを救うため、1年前に担任として抜擢されたのがO先生だ。
O先生の学級はすぐに立ち直ったが、隣の学級はすぐには改善しなかった。
学年の今後を危惧したO先生は、おそらくそこで「学年全体が自分の学級である」という認識をもつようにしたのだと思う。そして、自分自身が責任もって、学年全体を立て直そうと考えたのだ。

「優君は、元気に学校に来てくれたらいい」という言葉には、疲弊して体調を崩さないようにしてほしいという、O先生の願いが込められていた。あとは自分が何とかするから、と。
確かに学級経営をしていくうえで格別の苦労のあった一年であったが、O先生が守ってくれるという安心感に包まれて無事に終えることができた。

3月になり、私から結婚の話を聞いたO先生は大変喜んだ。
「結婚祝いは何がいいかなー」と、私たちのために考えてくれているようだった。

1週間ほど経ち、O先生が言った。
「優君。決めたよー。ルンバ」
「え!?」
「持ってないよね?ルンバ」

次の日。
「優君、持ってきたよ。ルンバ」
「え!?」
「一番いいやつを欲しいって言って、買ってきた。それなら、間違いないよね」

そうしていただいたのが、ルンバ980である。

ゴミではなくて、O先生のスケールのデカさと気遣いを吸い込みながらやって来た彼女は、今も現役で活躍している。

ルンバのスマホアプリを使うと、ルンバに名前を付けることができる。家の中をマッピングしながら、まるで意思を持った生き物のように動き回る様子から、しっかり者の女の子のイメージで、「るんみ」と名付けた。

また、一軒家を建ててアパートから引っ越した際に、もう一台ルンバを買い足した。
ルンバ890という、ほとんど980と変わらないが、マッピングまではできないタイプだ。るんみのように計画的にではなく、ランダムに移動しながらゴミを探す様子から、あちこちをかけ回る弟のイメージで、「るんじろう」と名付けた。

やはりるんみはO先生と同様、テキパキと無駄なく動き、部屋が分かれていても意に介さず、2階全体をきっちり吸い取る。階段さえなければ1階も掃除しかねない働きぶりだ。

るんじろうは、1階担当。あちこちを行ったり来たりと、不規則に動き回るため、どうしても掃除に時間がかかる。さらに購入してから何年も経つために、1時間程度掃除をした末に充電スペースまで辿り着けず、途中で止まっていることが多い。

人間に例えるとこんな感じ。おい、そんなところで寝るんじゃない。

何も言わない時もあるが、放っておくとブザーが鳴り、「ルンバを充電してください」というアナウンスが流れる。そこで、「あぁここにいたのか」と気付くこともしばしばだ。

ルンバに全く不満はなく、建てた家にも専用の充電スペースを作るなどして可愛がっている。
唯一ルンバに要望を伝えるならば、「ルンバを充電してください」ではなく、「私を充電してください」と言った方が、充電してもらいやすいんじゃないかな、ということだ。

ねえ。
るんみ、るんじろう。
君たちはどう思う?

「ルンバもそう思います」
「『私もそう思います』って言いなよ」

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