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覚えていられたら良かったのに

妻が足を止めた。
「あの人、どこかで見た・・・」

自分も知っている人かもしれない思って目を凝らしたが、私たちの視線の先にいる男性には全く心当たりがない。

数秒経って、妻が目を大きく開いた。
「高校生のときに、教育実習に来ていた人だ」

妻が出歩けば人に出会う。まるでことわざみたいな言葉がふさわしいほどに、妻は交友関係が広い。
出産・育休のため、教師として働いたのは6年くらいで、今は同じく6年のブランクがある。でも、今でも付き合いのある先生が何人もいて、働き続けている私と同じくらいの速さで情報が入る。

交友関係の広さは、彼女自身の性格によるところが大きいと思うけれど、人の顔と名前を忘れない能力も大きな要因なのではないかと推察している。

教育実習は、長くてもたったの1か月。それから10年以上も経っている。
誰でも少しくらい顔が変わるものだが、それでも見てすぐに思い出すことができるなんて。思い出すというより覚えているに近い。


人の顔を忘れない人は、子どもの頃からその素質があるらしい。

私は教育実習で小学2年生を担当したのだが、その4年後に部活の大会で、その学校の子から、「ビーバーの大工事の授業をした先生」と、言われたことがある。
ビーバーの大工事とは、小学2年生で扱う国語教材の名前。私が実習のまとめとして全力投球した教材でもある。

驚くべきなのは、「ビーバーの大工事の授業をした先生」と口にした彼女は、私の担当する学級で行う、言わば「本番」の授業の練習として、1時間だけ授業をさせてもらった、隣のクラスの子だったことだ。


私は、ずっと、人の顔を覚えるのが苦手。

先日、私が勤務する小学校の保護者から、「私のこと、覚えてますか?」と声をかけられた。
交友関係の少ない私は、少し戸惑いながら彼女を観察・・・。

・・・誰だ。

「知りません」とだけ答えて早急に失礼したくなったが、相手の立場を考えれば、自分の子が通う学校の先生にわざわざ声をかけようというのだから、ある程度の確信があってのことだろう。

戸惑いを隠さない私の顔を見て、彼女は「やっぱり覚えていませんよね」と苦笑い。「結婚して、苗字も変わったし」と。
彼女は続けました。「河田です」。
それでもまだ分からない。河田君という子を担任したことはあるけれど、それ以外に河田さんって、いたっけ・・・?

「大学で、少林寺拳法をやっていたんですけれど・・・」

大学。
少林寺拳法。

人違いじゃない。
この人、知っている人だ。
消えかかっていた記憶が、戻りかける。

「あ、あぁ・・・」
「私、地味でしたから。覚えてなくても仕方ないですね」

思い出した。
「あぁ・・・!河田先輩!」

1つ上の学年の先輩。
私は2つ上の先輩たちが大好きで、1つ上の先輩とは深く関わる機会が少なかった。でも、大学から帰る方向が同じで、河田先輩とは、電車で何度か話したことがある。

「でも・・・何というか、先輩はもっと体が大きいイメージでした」
保護者に対して使う言葉としてはいささか失礼だが、少林寺拳法部の先輩ならば、こちらの言いたいことを誤解せずに受け取ってくれる。

河田先輩と言えば、元気いっぱい。喋るのが好きで、食べるのも好き。
少林寺拳法部の中心で、決して地味な存在ではなかった。

しかし、目の前にいる人は、体が細く、表情の変化も控えめで、気弱なお母さんという印象を抱かせた。

「そうなの。ストレスで痩せちゃって」
河田先輩は元気いっぱいだけれど、真面目な先輩でもあった。
人見知りで、相手の意見を尊重することを大切にする人だった。

少林寺拳法部を引退してからこれまでに、どんな道を歩んできたのだろう。
困ったように笑う彼女の表情からは、いろいろなものと折り合いをつけて、いい大人として、いいお母さんとしてやり過ごしてきた苦労が見えるようであった。

そんな彼女の苦労を思えば、後輩として、すぐに思い出すことができれば良かった。
欲を言えば、ずっと覚えていられたら良かったのにと思う。


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