撮っているは、誰?
強く怒ったりひどく悲しんだり、そんな投稿者自身を撮影した写真や動画が苦手です。
このオッサン、何を言っているのかと疑われそうな、そんな与太話です。
発端まわり
YouTuberの方やそうでない方でも、ネットでよく何かしらを主張されていますが、自分は特定の類のサムネを見かけると、スクロールなりブラバで、とっとと視界から消し去ってしまいます。
内容や主張の是非云々などよりも先に、どうにもサムネイル自体に、忌避感と云いますか、反射的に胡散臭さを感じてしまうのです。
いや、何でよ、と思われるかもしれません。
出来上がりまでの、一連の流れ
どうにも自分は、『サムネ画像』を目にした瞬間に、『その画像を撮影している光景』を連想してしまい、何かしら加工が施されているのなら、『編集をしている工程』も想像せずにはいられないのです。
念じただけで、諸々が一瞬で作成されるわけではありません。
被写体を狙った構図や衣装で撮影して、そこに煽り文句やエフェクトだったりも付け加える。
動画であれば、全編を通した編集が必要になりますし、音声周りも大事になることでしょう。
不備があれば、場合に依っては撮り直しもあるのではないでしょうか。
サムネなり、本編なり。
これらの工程を、一瞬で終わらせるのは不可能です。
慣れている方でも、時間はかかるのではないでしょうか。
コンテンツとして完成させるためには、時間と工程と人手が必要になるわけです。
この辺りは、テレビ番組や映画の制作現場と同じです。
画角に入っている出演者以上のスタッフが、カメラの後ろに控えて、それぞれが専門に特化した仕事に携わって、様々な作業を進めて、コンテンツを完成させています。
相性問題?
特に自分がスルーしがちなのが、『緊急』や『怒っている』系のコンテンツです。
どうしても一連の工程が頭を過るので、それを考えると内容の割に余裕がありそうじゃないかと、思えてしまうのです。
『緊急』というのであれば、構図だの音声だのに拘っている余裕はないだろうと考えてしまいます。
『怒っている』というのであれば、感情を昂らせながら撮影や編集を行っているのかと疑ってしまいます。
作業というのは、丁寧に行わなくてはいけないと思っています。
その場ならば、画用紙にサインペンでなぐり書きも可能でしょうが、デジタル上のコンテンツでは中々そうにもいきません。
コンテンツの作成・編集には、『怒り』や『悲しみ』などの感情の昂りとは相反する、落ち着いた情態が必要になると考えます。
それこそ、こういう文章などを作成されている方には想像しやすいかと思われます。
荒ぶった感情でキーボードを叩けば、それに見合ったよく分からない文字列が誕生します。読めたものではありませんし、放置しておけば黒歴史化するかもしれませんね。
どうしても、冷静に客観視する自身を置かなくてはなりません。
内容的には、大事で感情的なコンテンツでも、そのコンテンツを作成するには、冷静に時間を掛けなくては出来上がらないわけで。
これは、実は相性が悪い、非常に宜しくない組み合わせではないかと思うのです。
そして、そのちぐはぐさに強く胡散臭さを覚え、自分はスクロールやブラバをしてしまうのです。
商売として、そういうキャラ売りをしている・狙っているというのであれば、大変失礼しました。
ひねくれた見方をしている自覚はあります。
どうにも、裏方の行動や意図を想像してみるクセがあるようです。
客観視としては良いのかもしれませんが、没頭というのは逆に難しかったりします。
コンテンツは何かしらの手間が掛かって出来上がっているので、ネット上の物事をそのまま受け入れるのは安易すぎるかもしれません。
一度立ち止まって、右左右を確認してから足を踏み入れたとしても、遅くはないでしょう。
交通事故に合わない、起こさない与太話でした。
お時間をいただき、ありがとうございました。