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M.Jの心は死んでしまう・・・生まれ変わるしかない!
はじめに
改めまして、M.Jです。
「🎵いちばん近くにいても いちばんわかり合えない」
「🎵いちばん大事なものが いちばん遠くへ行くよー」
「最後の言い訳(歌:徳永英明)」の歌の最後の「歌詞と曲調」が思い浮かぶような記事を書きます。
今回のテーマは「一番近くにあったものが遠くなってしまった体験」「ものすごく痛い思いをした暗黒の体験」について書きます。
この記事をご覧の皆さんにとって「厳しい表現・重い表現」が出てくると思います。少しずつ、ゆっくりご覧いただけると有り難いです。
社会人になると厳しい洗礼を受ける
M.Jは「小学校・中学校・高校」といった義務教育を「一般の学校」で受けた後、専門学校に行きました。学生時代は、健常者たちと一緒に過ごしていました。
しかし、社会人として病院や施設に勤務すると180度変わってしまったのです。
話す言葉は1日を通して「尊敬語」「標準語(少しだけ方言・・・)」で、常に「気づかいは必須」「月の休みは自由に取れない(上司や年上の職員が優先)」など難しい対応を迫られることばかりでした。
病院に勤務すると「利用者」「医師」「上司」「看護師」「介護福祉士などの介護職」「事務職員」など「さまざまな人とのコミュニケーション」が必要となってきます。
話すことも必要ですが、相手の「話を正確に聴くこと」が求められます。
ただ、M.Jは「状況を把握して話すこと」「相手の話を正確に理解すること」「申し送りなどの話を伝えること」ができず、上司や看護師などに「注意されること」が多くありました。
これに加えて「同じミスをしてしまう」ことで、上司の「口調がキツくなる」、周囲に「笑われる(呆れられることも含む)」ことが日常茶飯事でした。
「上司との人間関係のトラブル」「同じ部署の職員とのトラブル」などが原因で、精神状態が悪化してしまい「仕事場を転々とする(就職と退職を繰り返す)」こととなりました。
そして、心が死ぬ前の最後の職場(◇病院)に就職することになるのです。
人間関係が複雑 ➡︎ トラブルになってしまう・・・
前回のNoteの記事をご覧になった方には、ここからは重なる部分が多くなってしまいます。《重なる部分は、飛ばしていただいても構いません》
約10年前、病院(◇病院)で勤務していた時のことです。
当時、リハビリの職員は1つ年上のAさん(以下、Aさん)と私の2人体制でした。
試行錯誤しながら2人で仕事をしていた時に突然、事務長から「君たちの上司になる予定の管理者Kさん(以下、Kさん)の面接をするので・・・」と言われました。
3日後Kさんの面接があり、すぐに「合格通知」がなされました。
その後、Kさんが入職されて一緒に働くことになるのです。
Kさんの最初の印象は「温かな感じ」かつ「紳士的な感じ」でした。私はKさんに対して良いイメージを持ち「この病院は、素敵な感じになる!」と期待していました。
Kさんは最初の頃、利用者のウケが良く、ほとんどの職員のウケも良い感じでした。
ただ、Aさんだけは違っていました。Kさんが早く帰った時など「Kさんが居なくなる」と、Aさんは私を呼び出して「Kさんの悪口」を毎日言っていました。
《理由:Aさんからすれば、Kさんが上司になり「自分のペースで仕事ができなくなる」ので面白くなかったと思います》
私は、Aさんにはバレないように「右から左に流す感じ」で聞いていました。
Kさんが入職されて1ヶ月後、いきなり事務長がKさんを呼び出して、別室で話し始めました。約30分程度「誰にも内緒の感じ」で話しをしていました。
Aさんと私は「?(疑問)持ちながら・・・」何事もなかった感じで仕事をしていました。
その日の仕事の終了後、Kさんが次のことを言い出しました。
「2日後に私よりも年上の大先輩の職員Pさん(以下、Pさん)の面接があります」
「このかたは、九州でリハビリの学校が始まった時の1期生です」
「くれぐれも、慎重に接していくように・・・」
《Pさんは当時60歳以上でした→いわゆるリハビリ職員のレジェンドです》
Aさんと私は「えーーっ!」とかなり100m遠くても聞こえるほどの「大きな声」で驚いていました。
2日後、Pさんの面接があり、Pさんにもすぐに「合格通知」がなされました。
ただ、Pさんが入職されて、4人体制で仕事をするようになってから、大きく事態は変わることになってしまうのです。
最初は、比較的「ほのぼのとした感じ」でした。
しかし、1週間後には「リハビリの部署の雰囲気」が変わりました。Pさんが「自分の若い時はこうだった」「Kさん、部下には厳しく対応しなさい!」と言い始めました。
その言葉があって数日後から、突然Kさんの態度が大きく変わるようになりました。
Kさんは、人が変わったように「不平不満」言い出すようになりました。
「この病棟の看護師長は訳が分からん」
「あんなに出来の悪い介護職はありえない」
上記のような発言が毎日のように出現するようになりました。
これに加えて、Pさんを含めた年上の職員に対して「媚びた感じの態度」をとるようになりました。一方で、年下の職員に対しては「ものすごく冷たい態度」をとるようになりました。
また、Kさんは仕事の終了時にAさんと一緒に「M.Jの悪口」を毎日言うようになりました。
プライドも高くなり「高圧的な発言」も多くなりました。相談をしても「それは自分で考えなさい」「そんなこともわからないで仕事をしているのか!」と言われるようになり、全く相談することもできなくなりました。
私から見ると、KさんとPさんは「性格が180度違う感じ」だったので、仕事中は対応の方法を「Aさん用・Kさん用・Pさん用」と分けていました。その一方で、利用者の訓練をすることも仕事でした。
よって、疲れが出ると「簡単なミスをしてしまう」「自分のキャラクターをいろいろ分けることができなくなる」ことが多くなり、「人間関係でのトラブル」を生じてしまいました。
Pさんが入職されて1ヶ月後、私の精神状態はかなり悪化して、出勤することができなくなりました。
こうして起こった「人間関係のトラブル」を今振り返ってみると、「自分のキャラクターを瞬時に変える」「良い意味で八方美人になる」ことができないことが原因だったと思います。
以下は、素敵なライターが「M.Jにはなることができなかった」八方美人についてわかりやすく書いています。ご覧いただけると有り難いです。
関連記事:Pink:「いい人」は「八方美人」?悪影響を与えてしまうことへの対処法は
障がいを認知してしまった・・・
前述したことに加えて「状況に応じた行動ができない」「物事を観察する視野が狭くなりすぎる」ということを自分自身で感じることが多くなりました。
「これは、うつ病ではない!」「うつ病とは、違う症状がある!」と私は気づいてしまいました。
そこで、精神科の⚫️クリニックに行き上記の症状を伝えるとすぐに「ウチでは診れません」と言われて「△病院行きの紹介状(診療情報提供書)」を出されました。ただ、△病院からは「ウチでも専門医がいないので・・・」と言われて、児童精神科専門の◼️クリニック《発達障がいを診る特殊な精神科》を受診しました。そこで、M.Jは「発達障がいの診断を受ける」ことになるのです。
《診断していただいた後、発達障がいの症状で「コミュニケーションの障がい」「過集中」という症状があることを知る》
◼️クリニックでは「今の仕事は向いていない」「転職するように」と言われました。ただ、それについては、M.J自身信じることができずにいました。そんな様子を見た◼️クリニックの主治医は「私も一緒に職場(◇病院)行くから、周りからみてどうなのかハッキリすると思う」と言われて、◇病院に行くことになりました。
そこで、ついに「私の心が破壊される」ことになるのです。
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私の心が破壊されて、死んでしまう日
数日後、私の精神状態が少し落ち着いてきたので「◼️クリニックの主治医と一緒に、今後のことについて話すために」◇病院に行きました。
◇病院で「Kさん・Pさん」「◼️クリニックの主治医」と私が「今後のことについての話し合い」をしました。
《Pさんは、その日仕事を休まれていました》
話し合いが進むと、◼️クリニックの主治医から「Kさん・Aさん」に対して次のような質問がありました。
「あなたがたは、M.Jさんと今後一緒に仕事をしたいですか?」
数分間、沈黙がありました。その後、2人がそれぞれ発言しました。
【Kさんの発言】
⚫︎「M.Jさんに発達障がいがあるとは知らなかった」
⚫︎「もう、M.Jさんとは一緒に仕事をしたくない」
《別の日のKさんの発言:お別れの時の発言》
⚫︎「発達障がいが治ったら、また会いましょう」
【Aさんの発言】
⚫︎「やっぱりねぇ」「おかしすぎる人だと思った」
⚫︎「空気を読めない人は最悪だよね」「終わってる」
⚫︎「この業界にいない方がいいよね」
上記のような発言があり、◼️クリニックの主治医から「何かありますか?」と言われても、私は言葉を発することさえできませんでした。
まさか、Aさんから厳しい言葉が出ると思わなかったので「ショック」が大きく、私の心は「どんどん破壊されていく」感じになっていきました。
◇病院を出た後、◼️クリニックの主治医から「とどめの言葉」を言われました。
⚫︎「これが、発達障がいの人をみている周りの人の印象です!」
⚫︎「(あきらめて)ほかの仕事を見つけましょう!」
この言葉の後、自分は「何をしたかわからないくらい」の感じで自宅に帰りました。
10年前のこの日、私は1回死にました・・・。《実際には、心だけが死んだだけなのですが・・・》
「言葉の拳」で後頭部を何発も殴られた感じになってしまいました。
「🎵いちばん近くにいても いちばんわかり合えない」
「🎵いちばん大事な仕事が いちばん遠くへ行くよー」
「🎵いちばん近くにいても いちばんわかり合えない」
「🎵いちばん大事な心が いちばん遠くへ行くよー」
この歌のような「最後の言い訳」もできないまま、心が死んでしまいました・・・。
こうして、健常者としての「仕事」は「最期」となりました・・・。
M.J:生まれ変わった後から現在へ・・・
この時に私は「いちばん大事なものが遠くへ行ってしまった」のです。
今後、病院や施設に勤務することはないでしょう。引退して「新たな人生(セカンドキャリア)を探して過ごす」しかありません!
現在、2回目の出生から10年が経過しています。
やっと「A型事業所」で仕事をすることができています。「新たな人生」のスタートラインに立ったばかりです!
最後に、M.Jからメッセージを伝えたいと思います!
◎言葉によって「人の心は・・・、死んでしまう」のです!
◎相手に障がいがあるからといって、「傷つけていい」ことにななりません!
◎相手に対する言葉は「丁寧に」してほしいです!
◎相手に対する対応は「優しく」を心がけてほしいです!
◎私も1人の人間、あなたも1人の人間です。尊重し合っていきましょう!
◎できれば「私のような思いをする人間を生み出さない」ようにしましょう!
ご覧いただき、どうもありがとうございました!
今後とも、M.Jの記事をよろしくお願い致します。
補足事項
以下は、素敵なライターが「発達障がい者への対応」についてわかりやすく書いています。ご覧いただけると有り難いです。
以下は、TANOSHIKA CREAITVEの「AKARI」のサイトです。素敵なライターたちが記事を書いています。ご覧いただけると有り難いです。
推奨サイト:AKARI