優しい歌 Mr.Children
優しい歌のCDは海から浮上した巨大な岩の上に街があるジャケットになってます。
間違いなく彼らの転換点になった曲ですね。
歌詞解釈自体はいろんなサイトでやっているので今更感があるのですが。
私は魂の歌、後悔の歌について一曲に絞ろうと思いました。
魂の歌 「innocent world」
一応以前のinnocent worldの歌詞解釈もここに置いて
後悔の歌 「NOT FOUND」
MVの中で部屋の中に田原氏がいるのが超重要ポイントですね。
歌詞の一部分だけ解釈します。
ライブで観客の中に立って歌っていて 空を見ると
大切な物に気付いて 狂いそうになる
これからは優しく聞こえる歌を歌おう
でもそれは 自分の為ではなく 誰かの為に
小さな火を少しずつくべてやがて大きな炎になるように
その先には 愛する喜びに満ちあふれた世界が訪れる歌を
真っ白いアンダーシャツとひまわりが印象的です。
ひまわりの花言葉は「憧れ」「情熱」「あなただけを見つめる」だそうです。
曲としてもhimawariがありますが、
君がいた夏でも
またアルバムBOLEROのCDジャケットも小さい女の子とひまわりですね。ALIVEであらゆる国境線を越えて咲く花がひまわりなんですね。
優しい歌のカップリングも-Me[']mento-Mori-が付いてない花ですね。
また坂道と言えばInnocent worldになるのです。
君がいた夏では駆け下りていた坂道を
Innocent worldでは昇るのです。
CROSS ROADでも
ひまわりの花言葉の「あなただけを見つめる」はMirrorの
から、ひまわりもあなたを映す鏡の意味を持っているのかもしれないと今日は思いました。
少年ではひまわりが枯れています。
この記事を書こうと思った切っ掛けは「生きろ」のMVです。
優しい歌と生きろの関係性を書いて置きたくなったのです。
冒頭の岩に戻ります。
海から浮上した岩は20年近くそのまま上昇し続けます。
ついには地球から離れ宇宙空間に出ます。
石ころの中に立って 宇宙を見れば
大切な物に気付いて 狂おしくなるのですね
(素直に書くと群衆だと思っていた人々もそれぞれの人生を歩む同じ仲間だと気付いて正気に戻るのです)
あれだけ大きかった岩も砕け破片は箒星(涙)になり
海へと帰ります
小さな火は薪をくべて炎になり
スニーカーも履かずに
裸足のままで
固く握った掌を解いて手を繋げる時まで もうすぐです。
お伽話(昔話)とコーヒー
上みたいな事を書いたサイトなり記事なり昔は有った気がするのですが、検索しても私にはNOT FOUNDなので狐につままれたような気分になってます。
オルタナティブの意味を詳しく説明しない音楽ライターに何の価値があるの…???
確かアルバム IT'S A WONDERFUL WORLDの時にもアルバムmiss you,アルバムsenseと同じ事が起きていたんだと本当に朧気ながら記憶しています。
2001年10月からドラマ、アンティーク 〜西洋骨董洋菓子店〜が始まります。所謂フジTVの月9です。原作では藤木直人が演じるパティシエがゲイだったのですね。全楽曲がMr.Childrenだった為か、分かりやすかったからか、そこで今回私がしたみたいにネタバレ的な事をネット上でした人がいたんです。
そこで差別みたいな事があったのかな?
原作ではゲイの人がそうでなく替えられただけでも差別ですけど、詳細は知らないです。
それでくるみで君と別れる事になるのですね。
HEROも悲しく聞こえます。
くるみとは違う道を行くFifty'smap~おとなの地図のMVの意味がやっと分かった感じです。
多分当時ロードムービーの歌詞の意味をそこで私は見た気がします。
その時の私の感情がどうだったかはもう思い出せないです。
wwwにふざけてるなーって事を想い厭きれたのだけは思い出せますが、
その先の記憶が無いってやつ。
此処で私はMr.childrenから離れます。
正確に言うと日本から離れます。
で音楽とはほぼ無縁の生活に…。
帰って来てからもSOUNDTRACKSまでは聞いてはいても買うまではいかなかったです。
僕らの音にアンティークの時の事が唄われていますね。多分。
ここの部分を反転させて意味を付け足すと、
君は月9の夜に吹き荒れた差別に
叩きつけられた
虹は見えなかった
世界は変わらなかった
朝もTV朝日として逆だとするとフジTVになるのかな…。
その後の歌詞に ホラ って連呼してるので…。
誰の耳にも聞こえるDocumentary musicですね。
本質的には
この通りなのかなぁって思うのですが、ある意味残酷でもある切り口だなと思うのです。
そう女性に思わせているのも間違いなく男性なので結局自分に帰ってくるので溜息しか出ないのですが。
まぁ「つよがり」はもう必要無いでしょう。
半世紀へのエントランスが男女半々の世紀からの出口の意味を持っていると、どれくらいの人が気付いているのでしょうか?50周年への入り口の意味だけなら出入口の意味のエントランスを使う必要はないはずです。
記憶の旅もこの記事で終わって良いか…?
スコップで掘った穴にハマってみましたが
喜んで頂けるのかなぁ…。
誰に?
自分に。