見出し画像

偶然性を受け容れ、偶然性に抗う

お久しぶりです、みっちゃんです。
私は文章を作成するのに随分エネルギーを必要とするので、これまであまり書けませんでしたが、2023年最初の月ということで頑張って書くことにしました。

今月のテーマは「新年の抱負」ですが、私は飽き性で三日坊主ばかりしていることで有名(?)なので、あまり具体的な抱負を決めることに対して積極的にはなれません。

昨年はいろいろあったなあ、何を書こうかと思っているとき、ふと昨年受講した授業で書いたレポートを思い出しました。村上春樹の作品を読む授業で、最後の試験は先生の好みだけで評価が左右されることで有名でした。その試験課題で『国境の南、太陽の西』を選び、自分なりの「読み」を書きました(時間が経ったので公開することにしました)。とくだん小説を読む趣味を持っているわけでもないので、単位を落としても仕方がないかなと思っていましたが、いざ成績見ると高評価だったのでとても嬉しかったのを覚えています。

『国境の南、太陽の西』の読み方として、私は〈偶然〉〈待つ〉をキーワードとしました。私たちの人生は多くの偶然によってつくられています。私たちはその偶然性にいったいどのように向き合うべきなのかという疑問に関して、村上春樹なりの一つの答えとして〈待つ〉が提示されているのではないかと読んだのでした。

私たち人間は、高度な能力を持ってさまざまなことを発展させてきました。あらゆる物事を予測可能とし、自分たちの思い通りになるように物事をつくりあげてきました。自分がどう生きるのかという疑問を抱くと、外部の客観的な答えを求め、それを正しいと信じて突き進む。でも、本当にそれでうまくいくでしょうか。

偶然性はあらゆるところに存在します。たとえば人間関係は、自分の意志によってつくったり切ったりすることのできる部分だけでなく、予測できないような出会いや別れによってもつくられています。「どうして、こんなつもりじゃなかったのに」と思うような出来事も、(原因として説明できることもいくつかあるかもしれませんが)偶然性に大きく影響を受けていることでしょう。いろんな技術で容易に予測できるようになった今こそ、実は自分の力では到底どうしようもないことも同時に多くの場面で存在するのだということを認識し、どんなことが起きても大丈夫だという心構えが意外と重要になってくるのかもしれません。この題名の前半の「偶然性を受け容れる」ということです。そして、私のレポートでも紹介したように、偶然性に期待して〈待つ〉という姿勢でもって、人生を歩んでいくということです。

……そうはいっても。人間は常に何かをしないではいられないような生き物です。『国境の南、太陽の西』において、ハジメは偶然性を破って自分の意志で行動しようとする場面が描かれています。人間は偶然性に抗う生き物なのですね。黙って何かが起こるのをずっと待つことが苦手。それは「人間らしさ」と言えるのかもしれません。偶然に期待して待つことだけを人間に求めても、それはあまりつまらないことなのかもしれません。

今、私に必要なのは、偶然性との向き合い方を見極める力ではないかと思っています。偶然性を期待して待ち続けるのか、自分の意志でもって偶然性を破り行動するのか、どっちが適当なのかを見極める能力です。そんな完璧で特殊な能力は誰も持ち得ないのかもしれませんが、両者のバランスが人生を豊かにするのではないかと思っています。

自分の人生を左右するような決断を迫られる場面が多くなりそうな今年、新年の抱負というテーマを機に、以上のようなことを考える日々です。

みっちゃん


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?