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黄昏の秋

先日大学から帰る電車の中で外を見ていると、驚くほど鮮やかな空の景色に暫く呆気に取られてしまいました。時刻は5時ごろ、地平線にかけて空は徐々に朱色がかり、無数の建物は淡い影を帯びてぴたりとそこに佇んでいました。

僕はどうしてか、「空が美しい」という事実に言葉にならないほど驚いていました。数秒前までの僕は、その日の大学での出来事を振り返り、その日何がうまくいったのか、何がうまくいかなかったのか、そんなことばかりを考えていました。そしてそれを考えるのに飽きると、帰ったら何をするか、今日という日を生産的に過ごすためにはこの後いかに行動するべきか、考えました。自分の行動がうまくいけば今日はいい日であり、うまくいかなければ悪い日。いわば、自分を癒すことができるのは自分自身だけであり、「今日の空がどう」なんてことは僕の生活にとって取るに足らない背景に過ぎなかったのです。

でも今、僕は今日の自分の「得点」に関わらず、ただそこにあった空によって本質的に癒されていました。それが多分僕が驚いた理由です。僕はその後家に着くまでの40分間、ただ空を眺めて過ごしました。次の日からも、僕は電車での時間を黄昏て(たそがれて)過ごすことにしました。

別の日、僕は自分の中に溜まったストレスや人生への漠然とした不満を母親にぶつけました。母は、「私はただあなたが笑って生きていればいい。勉強で一番にならなくってもいいし、ただ毎日自分の好きなことをしていればいい」と言いました。その場ではその意味をうまく理解することができませんでしたが、時間が経って自分の中の重石が一つ外れたような気分になりました。その感覚は秋の空への「黄昏」が与えてくれた感覚と似ていました。僕はただそこにいて、無条件に自分を取り囲む世界の「美しさ」に癒されていればいい。人も世界も思ったほど厳しくはないし、そもそも僕を追い詰めようとするほど僕という一人の人間に興味もない。

さっき調べて分かったことですが、「黄昏る」という言葉の「物思いに耽る」という使い方は世俗的なものであり、本来の意味は「日が暮れること」、「全盛期を過ぎる」というものだそうです。

黄昏る(正式な意味)秋の空は太古の昔から、不思議と人間を黄昏(世俗的な意味)させてきました。皆さんも学校や仕事で疲れた帰り道、少しだけ空を見上げてみてください。ぼーっと1分や2分黄昏てみると、少しいい気分になります。


あきひと


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