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みけこの散歩21(振り返ったこと)

奈良の當麻寺に行ってみた。

立秋を過ぎたとはいえ、こんな酷暑の中、お参りに来る物好きは私くらいで大きな境内には誰もいない。

日傘をさしていてもお日さまの熱は容赦なく、上からの強い光と下からの照り返しに思わず「暑〜」と独り言が漏れてしまう。

もうすぐ新しい車に乗り換えるというのに、たくさんガソリンが残っているのがもったいない、ただそんな理由で出かけた。
猛暑のこの夏、車では買い物ぐらいしか出かけなかった。

家をあけられる時間が限られていたので、そう遠くまでは行けないけれど、いつもの行動範囲より少しはみ出ると、久しぶりに走る道が私の記憶をチョイチョイとつつく。

こっちの道の方が空いてるんだったなとか、まだ真っすぐ走っても大丈夫だっけ?とか。

今日の目的地をとりあえずナビに入れてはいるけど、まだ私のテリトリー。ナビのお姉さんを置いてきぼりにして抜け道を通り抜ける。

しばらく走ると、懐かしい場所を通過。
何年か前に娘と大阪から東京方面に向かう途中、ちょっと私の友達の家に寄ったために、その近くから高速に入ることにした。

だがしかし、そこからは東には行けないことが高速の入り口付近で判明。
まだまだ長い道のりを走らなければいけないのに序盤でつまずき、焦ったことを思い出す。

確か、かなり離れたところまで東行きの入り口はなかったよな?と記憶をたどる。

出かけるのは億劫だったが、出てきてよかった。

あの時は日暮れが近づいてたっけ?かなり不安だったな。

こんな些細な思い出は、そこに立つまで、そこを通るまで思い出すことはなかっただろう。

懐かしい思い出に胸がきゅっとなった。

街中を過ぎると周りの景色が開ける、田んぼが広がり遠くの山まで見通せる。
青空が高い。雲の白さが眩しい。
気持ちが和んだ矢先、道が二股に。

両方ともほぼ直進。少し先で右は高架になっている。
青い道路標識をくぐりながら、右を選んだ。

ナビのお姉さんは知らん顔のまま。

そうだった、この人、肝心なところで黙りこくるんだった。

かと思えば、左折左折、戻れ戻れとうるさかったり、直進でいい所で、車線を変えるように指示し、そのせいで本線から追い出される羽目になったり。あと少しで到着のはずが、混んだ道を回り込むことになり、戻るのに四苦八苦したり。

そんなナビのお姉さんとももうすぐお別れ。

けれど、これも振り返ってみるとナビなんてない時代からずっと運転してきたし、本当なら地図と標識で進めるはず。
なのにすっかり頼り切り、今では迷うのも間違うのも全部ナビのせいにしている。

ごめんね、つい失敗ばかり思い出したりして。
もちろん、教えてくれた通りに走ってちゃんと到着した方が多いに決まってる。
今まで、たくさん教えてくれてありがとう。


今日は難なく無事に到着した。

灼熱の當麻寺では、参拝に訪れた私1人のためにお寺の方が案内をしてくれた。

ほんとのところ、大した信仰心もなくて、近くにある道の駅でお買い得な野菜やスイカや梨が手に入らないか?とお寺の方は、ついでだった。
この暑さで買った果物が傷むといけないからとクーラーバックまで積み込んでいた。

だから、ちょいと拝んで帰るつもりだった。

けれど、スタンプラリーよろしく集めている御朱印をお願いした時に話しを聞いて気が変わって、本堂、金堂、講堂の3ヶ所のお参りをすることに。

動かせなかったから1300年前の昔からずっとそこに座っているという仏像。
(こんなに平たい表現は失礼なのだが…)

60年ほど生きただけなのに、数年前を振り返って、きゅんとしている私が、ただの成り行きで、その前で手を合わせている。

なんとまあ一瞬の小さなちいさな出来事だろう。
そう考えてみると、私の人生なんてものはちっぽけだ。
くだらないことにこだわってないで、もっと大らかに、などと、1300年の歴史に心洗われる思いも束の間…

大きなお堂の中、光もあまり届かないその場所は風もなく暑い。
ものすごく暑い。
暑いがしかし、もちろんエアコンは設置されていない。

高尚な気持ちは引き摺り下ろされ「暑〜。ね、仏さま、昔はここまで暑くなかったでしょ。大変やね。」

お祈りの最後に思わず呟いた。





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