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伝説の力士・横綱千代の富士

1989年のきょう、当時の通算最多勝ち星967勝を記録した横綱千代の富士貢さんに、相撲界初の国民栄誉賞が贈られました。そこで、今朝は、千代の富士貢さんの人生を振り返りました。
北海道で漁業を営むご家庭に生まれた千代の富士貢さんは、子供の頃から漁業を手伝った事で、強靭な足腰やバランス感覚が養われたと言われています。足の筋肉や、体にバネがあり、中学生の頃は陸上の走り高跳びや三段跳びで活躍。オリンピックを狙えるほどの逸材だったそうです。
この逸材を見逃さなかったのが、当時の九重親方。
スカウトされた千代の富士貢さんは相撲に興味を示さなかったそうですが、「入門するなら、飛行機に乗せてあげる」という誘いに乗って、上京。何と、中学3年生だった1970年の9月場所で初土俵を踏みました。飛行機に乗りたいという思いが相撲のきっかけだったというのも、可愛いですよね。
相撲を始めた千代の富士貢さんでしたが、陸上への未練は断ち切れず、転校した東京の中学では砲丸投げの大会に出場していたこともあったそうです。また、中学卒業後に高校に進学するなど、相撲の世界に専念する事に対して、迷いもあったと言われています。若い頃は体重も100キロに満たず、小さな体で苦労しましたが、入門から5年後の1975年の9月場所で、新入幕を果たしました。現役時代の千代の富士関の魅力は、細身な体型でありながらも、荒々しさを感じる相撲。豪快に肩越しから上手を取って投げたり、左の前みつを一気に引いて、根こそぎ直線的に寄り切るスピード相撲。自分よりも大きな相手を豪快に倒す反面、力士生命に関わる脱臼を何度も経験しました。脱臼を乗り越えたのは、1日500回の腕立て伏せ。筋肉の鎧を作り上げる事で、自らの弱点を克服したのです。
横綱に昇進したのは26歳と遅咲きでしたが、31回の優勝を果たしました。そのうち、19回の優勝が30代になってからというのも、驚きですよね。まさに、努力の賜物と言えます。「ウルフ」の異名を持つ小さな大横綱は、その後、通算勝ち星を1045勝まで伸ばし、1991年に引退。その後は九重親方として、後進の指導や相撲界の発展に貢献されました。
それだけに、2016年、61歳の若さで天に召されたのは、悔やまれます。

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